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2010年12月の14件の記事

ゆく年くる年

もう2時間弱で来年になります。

私がこのブログを書きはじめたのは今年の10月でした。その時は自分のような考えをブログにしても果たして読んでくれる人がいるのか、反論だけがあるのではないかと思っていましたが、ただ同じような考えを持った人がほしくて書きはじめました。

私の書く内容は穏やかなものではありません。ただの個人的な日記でもありません。かなりきつい主張を持ったブログであると思います。私は新聞やテレビなどで「平和を祈る」だの「人の命は大切なので戦争はしてはいけない」だのそんなお題目を唱えていれば平和が守れるものだとは思っていません。また平和憲法といわれる第9条があるから平和が守られているとも思いません。それは日米同盟があるからです。さらにアメリカが核を保有しているからだと思っています。

そしてそのアメリカに対しても頭から信じる気もありません。第二次世界大戦における不必要な東京大空襲、広島、長崎に投下した原爆、沖縄の地上戦、竹槍しかなくなっている事を知りながらの蛮行、戦後の極東裁判による人権侵害など許しがたいものがあります。しかし現在中国の脅威、北朝鮮の脅威、ロシアの脅威をやわらげているものも確かにアメリカなのです。今私達のまわりにある脅威に対しては、このまま日本が自前の軍隊を持たないのであれば、アメリカを遠ざけてはいけないのです。

とにかくこのような考えですので、あまり同調者はいないものと思っていましたが、実際にはたくさんの方が私のブログを読んで下さっています。これは素晴らしい経験でした。私は今年起きたこの奇跡のような出来事を絶対に忘れません。皆様、本当に、本当にありがとうございました。

今年はもう1時間をきってしまいました。皆様にとって来年が本当に良い年になりますように、強く、強くお祈り致しております。

本年は本当にご声援ありがとうございました。

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あの鐘を鳴らすのはあなた……

もう今年も残すところ2日となりました。

「あの鐘を鳴らすのはあなた」は和田アキ子が紅白歌合戦でよく歌う曲です。一番の歌詞は下記のものです。

       あなたに逢えてよかった
      あなたには 希望の匂いがする 1_3

      つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも
      さわやかな 希望の匂いがする

      町は今 眠りの中
      あの鐘を 鳴らすのは あなた
      人はみな 悩みの中
      あの鐘を 鳴らすのは あなた

「あの鐘を鳴らすのはあなた」の全歌詞はコチラをどうぞ。

2009年の8月30日に民主党が政権を奪取してから1年4ヶ月が経ちました。そしてその間、何もよくなりませんでした。泥舟に乗ったように沈んでゆく日本を見るばかりです。民主党は鳩山氏(稀代のうつけ)が日米同盟を希薄なものにしました。小沢氏は金にまつわる政治の暗部をイヤというほど見せてくれています。そして仙石氏は全共闘あがりらしい、日本解体を試みています。そして菅氏はその場しのぎの政治にきゅうきゅうとしています。2009年に掲げたマニュフェストは守られる事もなく、来年度の衆参での賛成多数の数合わせに奔走しています。まだまだ細かくあげればあげられます。が、そんな事をしなくても、一言で言えるので一言で言います。

    『民主党には日本に対する愛情がないのです』

だから、綱領もない、国民の安全保証もない、国土も守らない、経済も気にしない、道徳もない、出来なかったことに対する反省もない、のだと私は思います。

私達はこの政権になってから希望を感じる事はありません。もうこんな政権は私達の手で終わらせてやりませんか?

そして暗闇の中にいる私達は、また将来に対し希望を持てる一皮剥けた、自民党なるものでもなく、真に保守的な自主憲法を持ち、核を保有し、独立した日本をめざし、希望と若さと伝統と気品を備えた美しい日本をつくりましょうよ!具体的には超党派による保守連合による政治をめざすべきだと思います。

また和田アキ子の歌に戻りますが、この歌は阿久悠 作詞、 森田公一 作曲で1972年3月25日リリースされた曲です。時代も、時代背景も違うかもしれません。それでもこの曲は現代に、さらに現在にドンピシャな曲です。

そしてこの曲に歌われている、鐘を鳴らす希望を持った「あなた」と歌われている人物は、私達一人一人の事だと私は思います。

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天皇誕生日-一般参賀

12月23日は天皇誕生日です。それなのにクリスマス休日のようになっていますし、マスコミも天皇誕生日の様子は産経新聞以外ではほとんど報道されません。残念でなりません。私はこの今上天皇が大好きです。

私ごときが天皇様を語るのはおこがましいのですが、この天皇様は戦争の決断に遭遇する事もなく、世界平和の為に尽力されておられます。ご高齢で病気でもありながら、災害があれば、真っ先に美智子皇后様と駆けつけられ、被災者にお声を掛け励まされております。立てない人にはしゃがんでお話され「頑張って下さい」とお声をかけられます。いつでも日本を思い、日本国民を思い、愛情のすべてを捧げていらっしゃいます。

どんなとんでもない内閣でも、天皇様は変わらず私達日本人を見守り元気を与えてくれます。今の内閣はその日本を否定し、国旗、国家を嫌う売国政権です。その事を知りながら、天皇家にいつ厄介がおとずれるかもしれないなかにおられながら、その喜びや悲しみは、天皇様の優しい笑顔とともに、優しい笑顔のまつげに優しくいこわれていらっしゃいます。私達はいつもその天皇様の慈愛に、包まれて暮らしているような気がします。

今年の天皇誕生日の一般参賀の様子は次の映像をご覧下さい。

今上天皇がいつまでも、お元気で日本を見守ってくれる事を切に切に願います。

美智子皇后様もお元気で天皇様と一緒に、いつまでも私達をお見守りください。

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ハニートラップ夜話

去る11月25日(木)に開かれた「頑張れ日本!全国行動委員会」庄内支部設立記念講演会の有志によるなおらいが12月22日(水)に兵六玉(居酒屋)で午後6時30分からありました。10人ほどの有志が集まっていました。

なおらいには講演会後の資料がありました。この講演会をやるにあたりマスコミは山形新聞と荘内日報に声を掛けていて席も用意していたのですが、当日は誰も座らなかったので来ていないものと思っていましたが、次の日の荘内日報の紙面には載っていました。来ていたのです。またアンケート調査結果もでていて何点か気になるものもありましたがそれはまた別の機会に。

実はそれよりづっと興味深い話があったので、そちらについて書きます。何のきっかけかわかりませんが、ハニートラップの話になりました。そして一人の有志が第二次世界大戦の時もハニートラップがおおはやりしたのだという話をしだしました。それはイギリス兵に対してドイツ女性が盛んに仕掛け、イギリスの高官を意のままにしたとの話でした。

現在中国で行はれているハニートラップ(ハニートラップについてはコチラをどうぞ)は、男性高官のホテルの部屋にあらかじめ、きれいな女性(もちろん好みは調査済みですが、あえていえば女優の小雪のような女性)を待機させておいて、性的誘惑をしセックスに入ると隠れていた中国兵がばたばたと現れて写真をとりはじめ、買春の罪をきせその後中国の意のままにしてしまうものです。その最たるものが「上海総領事館員自殺事件」(上海総領事館員自殺事件についてはコチラをどうぞ)です。
彼は「日本を売らない限り私は出国できそうにありません」という言葉を含んだ遺書を残して亡くなってしまいました。

また、第二次世界大戦に戻りますが、あまりにも増えたハニートラップに対してイギリスはその事を上官に告げれば上官は許したり、そのままにして逆スパイにしたりしたそうで、ハニートラップは無駄な調略となってしまったそうです。日本ではなぜそういった法律ができないのでしょうか?ま、その場にいた有志の中にも「俺もハニートラップに弱いから」などと言っていましたが、私は何の意味も無い親父には来ないと思いましたが。小雪に似た美人はスパイですから。

そういえば小沢一郎氏は130名もの議員を連れて中国にいきましたね。中国には女性用のイケメンのスパイもいて、女性にもハニートラップをするそうです。あれは売春ツアーではなかったんですよね。小沢さん?

またそれに関連して、有志の中に別のエピソードもあり、ちょうど中国に旅行した時、加藤紘一衆議院議員が同じホテルで同じ階だったそうですが、加藤氏が部屋から出てきて中国人のホテルマンに「女いないのか!女連れて来い!」と日本語でどなっていたそうです。これはハニートラップでもなんでもなくただの売春ですから。問題は別ですが。そんな彼が日中友好協会の会長ですから。日本人も面目丸つぶれです。

とにかくハニートラップは告白により本人に罪をかぶせないようにし、中国の調略を潰すべきだと思います。

全体的にはハニートラップにあいたい人もいて、酒がまわりグチャグチャになった寒い冬の夜でした。

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このブログを読んで下さる皆様へ

毎回このブログを読んで下さる皆様、本当にありがとうございます。この場を借りて感謝の言葉をおくらさせて頂きます。読んでわかるとおり、このブログは、コメントもトラックバックも設けていません。

このブログの目的は山形県内に同じ考えを持つ仲間が欲しくて書き始めました。また、内容に関しては、いろいろな意見をもつであろうし、反論があるであろう事も予想されました。しかし目的は庄内に同じ考えの同士を探す事にあるので、あえて討論の場にはしたくなくコメント欄も、トラックバックも設けませんでした。もし同じ考えを持っていただける近郊のかたは、「桜ファン」の方からメールを頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。

また、宣伝的な事は何一つしていないのに熱心に読んでくださる皆さん、本当に本当にありがとうございます。このブログの「地域アクセスランキング」をご覧下さい。全国に散らばっています。私が深夜にブログを書きあげアップすると深夜1時であろうが、2時であろうが、4時であろうがアクセス数が飛び上がります。待っててくれるのでしょうか?本当にありがたい事です。皆さん、日本が好きで「日本を心配して」いらっしゃるのでしょう。こんな拙い文章を待ち望む憂国の皆様に心からのお礼を申し上げます。

そして日本をよくするために私なんかより数十倍も頑張っておられる方もたくさんいらっしゃると思います。それでもこのブログをどこかの検索サイトから探して、読んでくださる皆さんは皆「日本をもっとよい国にしたい」と思う皆様であると私は思っています。実際のところ予想をはるかに超えた閲覧数があるのです。私がびっくりしてしまいました。日本全国の「日本をよくしよう」とお考えの皆様、今後も一緒に頑張りましょう。

本当に皆様に感謝、感謝、です。「ありがとうございました」

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「南京大虐殺」という大嘘~アイリス・チャンの死

前回は「南京大虐殺」を日本中に広めたのは朝日新聞社の記者本田勝一氏による中国の旅という記事からであり、その本田勝一は日本人ではないという話まででした。

その後、その話により日本人の心の中に「贖罪」意識が芽生え、従軍慰安婦問題しかり、強制連行しかり、歴史教科書しかり、あらゆる方向にその問題は事実として歩き出してしまいました。そして長く長く、日本人はその問題にむかわざるをえなくなってしまいました。

そこに1997年に中国系アメリカ人のアイリスチャンによる南京大虐殺があったとする決定本「ザ・レイプ・オブ・南京」が発売されました。Tyannそれにより何も日中関係を知らないアメリカ人を震え上がらせる事になります。そしてこの本のヒットにより南京大虐殺は日本人の戦時中に犯した最大の罪として世界中に広まる事となりました。

アイリスチャンがこの事件を知るようになった経緯は次のようなものです。

“チャンは少女時代より、両親から「南京大虐殺」の話を聞いていた。しかし小学生の頃、図書館で「南京大虐殺」に関する書物を探したが何も見つからず、学校でその事件について教えられることもなかった。20年後に、この事件に関する記録映画を制作していたプロデューサーに出会い、この事件に再び向き合うことになった。1994年にサンノゼ市近郊で中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」が主催した集会に参加したときに、会場に展示されていた日本軍による残虐行為とする写真を目にして衝撃を受け、本書の執筆を決意したとされる。”

この中に出てくる中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」は中国が日本叩きの為に、アメリカで反日プロパガンダを広めていた団体です。この嘘にすっかり乗せられてしまったアイリスチャンは世界をだます妄想本を書いてしまう事になりました。当時1998年のアイリスチャンと駐米大使の映像がありますのでご覧下さい。

皆さんはこの映像をみてどのように感じるでしょうか?

この後アイリスチャンはうつ病にかかり2004年11月9日に自殺(中国に始末されたという噂もあります)しています。彼女も批判やさらなる検証により自分が書いた本が、そして本に使用した写真が事実ではないことに、だんだんと気が付いたのかもしれません。その為に中国から「口封じ」をされたのかもしれません。

彼女が書いた「ザ・レイプ・オブ・南京」がインチキ本であったから南京大虐殺がなかったとはいえないかもしれません。しかし本当と思われる本は、この「ザ・レイプ・オブ・南京」に勝てずにいるのです。

私達日本人は中国お得意の歴史捏造にまたもや負けてしまったのです。

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陸上自衛隊幹部候補生学校-第91期幹部候補生卒業式part2

和やかな会食はすこし長引いてしまいました。幹部候補生達はこの9ヶ月の訓練のきびしさから開放された喜びに満ちあふれていました。よく食べ、よく笑い本当に楽しそうでした。この食事を最後にこの地を、また仲間と別れるのです。この少しだけ長い会食の延長は、時間に厳しい自衛隊からの粋なはからいではないかと私は思いました。

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そして父兄は息子や娘と別れ「観閲行進」の行われるグランドに向かいました。候補生達は着替えに向かいました。しばらくして、広いグランドに幹部候補生達が集まって来ました。グランドに向かって左側に吹奏楽隊が、その隣に第1候補生隊第1区から5区隊まで、その隣に第3候補生隊第1区から5区隊までが並びました。その正面の演壇に学校長が立ち、ジープが迎えにきてそのジープに乗り込みジープは静かにグランドを回りました。そしてまた演壇に登り候補生の方を向きました。

吹奏楽隊が陸上自衛隊幹部候補生学校行進歌「烈日燃えて」を演奏しはじめ、それと共に行進が始りました。「烈日燃えて」はコチラをどうぞ。

吹奏楽隊を先頭に、第1候補生隊第1区から5区隊まで(赤いフラッグ)がゆっくりとグランドの奥から私達の目の前まで行進してゆきました。会食の時までしていなかった長い銃を片手にその銃の先を右肩にかけて左手をやや高く上げてゆっくりと行進は進んでいきました。息子が銃を持って行進してきました。その姿はとても凛々しく、たくましいものでした。けれど私は突然これでよかったのかと思ってしまいました。可愛がって育てた息子です。離したくなかった息子です。9_4

陸上自衛隊幹部候補生学校行進歌「烈日燃えて」という曲は祖国防衛を幹部候補生という、この人生経験も少ない子供達にたくす歌でもあります。私の息子は自分の息子ではありますがどんなに苦しい時でも、泣き言ひとつ言わない見事な息子です。私のほうがよほど人生に汚れて生きてきたような感じがします。この葛藤は私だけではなく、幹部候補生を子供に持つ親には大変多いそうです。ですのでこの点は見て見ぬふり。

最後の卒業式のメーンイベントの「卒業生見送」がありました。これは構内の中央道を幹部候補生が一人一人行進し、校門を出て旅立つ、本当に最後の行進です。その左右を学校長、教官、校医、父兄が取り囲み激励やねぎらいの言葉をかけるものです。

候補生達がやってきました。歓声が上がりました。「おめでとう」「よく頑張ったな」「ご苦労様」などたくさんの言葉が飛びかいました。父兄達は写真を撮ったり掛け声を掛けたりしながらもうっすらと泣いていました。行進する幹部候補生達も人々に向かい敬礼をしたり、微笑んだりしていましたがやはりうっすらと泣いていました。そんなはずではないのに、嬉しいような、悲しいような、涙がこぼれる卒業式でした。8_4


皆が見送った幹部候補生達は、幹部自衛官となって学校を巣立って行きました。


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陸上自衛隊幹部候補生学校-第91期幹部候補生卒業式

「南京大虐殺」の大嘘の続きを期待した皆様、誠に申し訳ありません。続きはすぐ書きますのでよろしくお願い致します。

陸上自衛隊での今年度幹部候補生の研修が福岡県久留米市で4月から行われており、それが9ヶ月の時を経て12月14日(火)に終了しました。短くも密度の濃い、苦しい研修にも関わらず、めでたく356名が卒業式を迎える事になりました。私の息子も入学していた為、その卒業式に出席してきました。当日のスケジュールは下記のとおりです。
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1、開場      午前8時から 父兄は卒業式開始まで家族休憩所で待機2
2、卒業式    午前10時10分から11時25分  大講堂
3、祝賀会食   午前11時55分から12時55分  食 堂
4、卒業記念観閲行進   午後1時25分から1時50分  グランド
               5、卒業生見送 午後2時20分から 中央道          

私は割合早めに会場に着いたので家族休憩所に案内されました。そこは何かの講義室でした。広い部屋で真ん中にテーブルがあり、コーヒーとパックのお茶とジュース、そのまわりには袋菓子をひらいて並べたものが用意してありました。いかにも公務員らしく質素なのにその中に自衛隊という組織の細かな優しさが現れていました。公務員にはもうボーナスが出ていて実は、前夜自衛隊の心使いで、遠方からくる父兄にはその息子、娘の外泊許可が出ていました。それでその夜は息子と泊まる事ができました。その時、私の息子は「いつもお父さんにお世話になっているから」と息子にしてはかなりのお金をくれたのでした。つい3月まで私が息子に服を買い、食べさせ、お金をあげていたのにです。いつまでもそんなものと思っていた私は不意に息子から渡されたお金を前にして頭を殴られたような気がしました。そしてあとからあとから、涙が出てくるのでした。

そんな思い出を持ちながら、その部屋の前方にはDVD用の幕が降りていました。そしてそこの幕には4月から今日までの幹部候補生の日々が映っていました。息子とは携帯メールが出来るか出来ないかという位のコミュニケーションしかとれていなかったので、そこに映しだされる光景に私はあっとうされてしまいました。秘密の部分もありあまり書くことはできませんが、軍服のままの水泳の姿とか、高良山登山走とか、沖縄戦史現地教育とか見るも聞くもはじめて見る映像に息子はこんな事に昨日まで耐えていたのかと思うと、昨夜息子にもらったお金の思い出とがまた交錯し私は、この美しく成長した息子の事が、嬉しくもあり、またそんなに息子に尽くしたつもりのない私を最大限に尽くし返してくれた息子にまた涙がポタポタと落ちるのでした。
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その後、卒業式会場に案内されました。会場は500名規模の古い会場でした。私達が席に着くと学校長の森山尚直(陸将補)氏や来賓の方々が登壇されました。そして「生徒!起立!」(言葉がちがったかもしれません。すみません)という掛け声と共に356名の生徒が力強く風を切るようにきちっと立ち上がる姿に、この機敏さは私が経験したどの式典より気高いものでした。その後それはなんども繰り返されるのでした。学校長に敬礼の後、父兄も含めて全員立ち上がっての「君が代」斉唱でした。それは私が聞いた「君が代」の中で一番声が大きく、クリアーに聞こえる美しい「君が代」でした。                       
その後、森山学校長による贈るお話がありました。「現在自衛隊を取り巻く環境は、以前とはまったく違ったものになっている。日米同盟はかなり変化してきた。これから諸君の30年はその解釈が変わってくると思われる。その為に悩む事があると思う。その解決方法としてプラス思考であれ!しかしその気持ちだけではなんともならない事もある。その時は原点に帰るという事が必要である。そしてその原点とは、陸上自衛隊とは何なのか?の基本に戻る事である。諸君はこの地で充分学んだはずだ。自衛官の使命、体力、気品、そしてこの久留米の地が心の故郷になったはずである。どうかそれを思い出してほしい」という感激に満ちたお話でした。その後、卒業証書授与が一人一人に行われました。その立ち居、振る舞い、証書の戴き方などまさに自衛隊でした。4

その後食堂に全員が移り、親と子供は必ず向かい合わせになっていました。そして食事は決して豪華なものではなく質素でしたが赤飯がついていました。食事の席でもまた久留米市長を始め、財団法人カイコウ会、第4師団長、自衛隊福岡医院長、衆議院鳩山邦夫氏代理、古賀一生氏代理ほかこの3倍位の来賓がありましたが、3人めで乾杯があり和やかな会食となりました。その間また来賓の挨拶が静かに続いていました。私も再会が嬉しく、よく話、笑って食事をしました。親が子供に会えるのはそこまででした。息子達は次の観閲行進に備え着替えの為、部隊に戻らなくてはならなくなりました。それでも息子は「おとうさん、僕は○区隊の右から2番目だから。今日は来てくれてありがとう」といい「お父さん達はむこうだから。わかる?」と時間も無いのに連れて行ってくれ、息子の右手は私の袖を優しく、離れがたいようにさわっていました。自衛隊教育は親子の絆さえ深めていたのです。
                            to be continued

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「南京大虐殺」という大嘘

皆さんは「南京大虐殺」という言葉を知っているでしょうか?南京大虐殺とは日中戦争初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際に、中国兵から一般市民までを含め30万人を虐殺したとされる事件です。詳しくはコチラをどうぞ。

この問題は、「南京大虐殺」という事実がそもそもあったのか、あったとしての規模(30万人)の問題などで長く論争が続けられている事件です。この事件が大きく「南京大虐殺」というネーミングで広く世間に広まったのは、日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞に掲載された本田勝一記者の「中国の旅」という連載記事によってからです。本田氏は、日本軍のありもしない行為をこれでもかといった残虐性を帯びた表現で記載し、日本人の名誉をこっぴどく貶めたジャーナリストでもあります。それについては「韓国は何故反日か」サイトに詳しく書いてあります。3部構成でかなり長いのでその部分だけを抜き出しました。(詳しくご覧になりたい方はコチラをどうぞ)

★そしてその民主党と中国共産党を日本国内で援護する情報工作を担当をしているのが『朝日新聞』である。

この朝日新聞とは、中国共産党と創価学会の影響を強く受け続け、社員に在日枠が用意されているため在日朝鮮人が記事に影響を及ぼし、中国共産党の機関紙(国営紙)である人民日報とは正式な提携関係にあり、日中韓3国だけの意見を引用して反日をあたかも国際的意見のように騙りつつ、裏では『朝鮮人の資金源である“武富士”』とつるむ露骨な売国新聞である。

そして『朝鮮総連(※後述)』にはジャーナリストらしい突っ込みを入れずに、拉致被害者「曽我ひとみ」の当時北朝鮮にいる家族の住所をそのまま報道し、本社の脱税額は11億8600万円など、明らかにモラルに欠けるメディアである。

実はこの朝日新聞も戦前は愛国心(※当時の価値観で)溢れる新聞社だったのだが、中国と朝鮮の影響で徐々に内容がおかしくなっていった。

1970年。
朝日新聞の広岡知男社長は中国の『文化大革命』を礼賛する記事を掲載した。※文化大革命とは、中国政府にとって都合の悪い“自国民”を なんと「2000万人以上」政府が虐殺するという世界に類を見ない政策。(ちなみに原爆2発分の被害者ですら“数十万人”である。規模が桁2つ違う) 世界中から非難されている中国の愚行を“肯定”する記事を載せたのである。

そしてその年の10月21日、朝日新聞は『中国政府の意向に沿った記事を書くこと』を公言した。

1971年。
『南京大虐殺』という嘘を浸透させるキャンペーン開始。朝日新聞の記者である本多勝一により『中国への旅』が連載された。新聞で「百人斬り」「慰安婦」「大虐殺」など中国の注文通りの無茶な作り話を検証を一切せずに報道し、日本国民に『罪悪感』を植え付けることに成功。ちなみに日本刀は構造上1本の刀で斬れるのは2~3人が限界でそれ以上は刃を鍛えなおさなければ不可能であることは刀を知る者の常識である。後に中国の嘘や捏造が次々と証明されるのだが、朝日新聞は報道しなかった。

そして後に、記事を書いた「本多勝一」の本名が「崔 泰英」であると発覚した。つまり日本人ではない。★
                                         to be continued

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尖閣諸島上陸-その後

昨日は深夜に尖閣諸島上陸のニュースを聞いた為、上陸した後まだ帰っていないと書いてしまいましたが、ブログを読んでくださっている皆様、大変申し訳ありませんでした。上陸した二人は10日に泳いで上陸、40分の上陸の後、島からは離れたとの事です。とにかく無事に帰ってきて本当によかったです。詳しくはコチラをどうぞ。

映像は次の映像をどうぞ。

またもや、中国はこの上陸に反対する声明を出してきました。「尖閣(中国名釣魚島)はわれわれの固有の領土であると」このように力強く話す根拠はまったくないにも関わらずです。そのような侵略による領土拡張に対し、何故国際社会は何も言えなくなっているのでしょうか?経済的にあてにしなければならないからだとか、アメリカ債をたくさん持っているからだとかいろいろなことが言われています。がどうも私にはよくわかりません。国連ですら中国、ロシアの為に紛争を解決できずにいます。北朝鮮は中国が北朝鮮擁護にまわっている為、国際社会からの非難を中国がすべて抹消しています。本当に危険な国際情勢です。

ノーベル賞受賞式でさえ、中国の威圧において参加を取りやめた民主国家がたくさんあります。以下が欠席した国です。

ロシア、パキスタン、アフガニスタン、イラク、イラン、サウジアラビア、エジプト、スーダン、キューバ、ベネズエラ、ベトナム、アルゼンチン、カザフスタン、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、コロンビアと中国です。

これだけの国が動くのです。まさに民主主義すら危ない状況になってきました。このまま中国を野放しにしたら、ヒットラーのような強烈な独裁国家が誕生してしまうかもしれません。いやもう誕生しているのかもしれません。

東アジア圏はもはや新たな「戦前」といえる緊迫感を迎えています。

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石垣市議2名緊急尖閣諸島現在上陸中

12月10日(金)石垣市議2名ーナカマ市議、ミネソコ市議が尖閣諸島に緊急上陸したそうです。現在11日AM0時8分ですがまだ帰ってきていないとの事です。

沖縄県石垣市議会としては10月20日の市議会で市長と市会議員全員の賛成により、尖閣諸島上陸の決定をし、政府に正式な申し入れをしていたそうですが、現在まで連絡がない為、ごうを煮やした市議が独断で10日に上陸してしまったのだそうです。海上保安庁からはまだ何の連絡もないそうです。そして上陸と共に日本国旗を立てたとのことです。これは現在ニコニコ動画、チャンネル桜のユーストリームで流れています。彼ら2名の勇気と決断力は素晴らしいと思います。

なにせその島は中国と台湾が分捕りにかかっている島なのですから。しかし沖縄の市議達のなんと勇敢なことよ!おもいおこせば65年前の第二次世界大戦では唯一地上戦が行われ、島民すべてが戦いの中で暮らした人達の末裔ですよ。怖くて手が出せないといっても誰も攻められない悲惨な歴史を持ちながら、まだ市議会では国を守ろうという決議が市長はじめ全市会議員で賛成が成立するのですよ。素晴らしいではないですか!

沖縄と言えば、米軍基地反対などにみられるように「もう戦争はこりごりだ」といった意見が大半だと思っていました。それがどうでしょうか!沖縄の人は戦争に負けてなどいなかったのです。あれだけの悲しみを背負ってさえも。それにひきかえ、政府は「もともと尖閣諸島に領土問題など存在しない」などと言いながら、だから守るでもなく空き地にしておくのは馬鹿なのでしょうか?ほっといたあげくのはてに中国に基地など作られ、人など住まわれ、それでもでていけともいえず、お題目のように実行支配された尖閣諸島を「尖閣は自国の領土だ」と唱えるつもりなのでしょうか?そうなる前に環境調査施設を建てるだとか、自衛隊基地を作るだとかしたほうがよいではないですか?

はっきり言えば今の政府だったら私達はもう必要ないと、誰もが心の奥で思ってしまったのかもしれません。どんなお伺いを立てようが、言うだけ無駄だと思ってしまったのです。尖閣諸島での中国漁船衝突事件のビデオ映像が流出したのだってどうせ政府にいったところでどうなるものでもないしという政府に対する見限りからきているのかもしれません。そしてとにかく、この2名の市議が無事に帰って来る事を皆で祈りましょう!

そして私達はこの無能な政府をもう終わりにしてやりましょう!

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憲法改正

前回ブログで三島由紀夫氏については大変な反響がありました。その反響は賛成と思う人達なのか、反対と思う人達なのかはわかりません。しかし三島氏が述べていた憲法改正による自衛隊の国軍化は、現時点ではその話をよけて政治を進めている場合ではないと思うのです。さらに続ければ核の保有です。この2つをなす事で戦後体制からの本当の脱却ができ、世界-つまりアメリカ、ユーロ圏、ロシア、中国、韓国、北朝鮮などと,まともな会話が出来る下地が出来るのではないかと思うのです。

先の中国漁船の日本巡視船への激突や中国によるかってな領海線による自由な日本領内への侵入、それと根っこの同じ東シナ海でのガス田開発、竹島の韓国の実行支配、北方領土のロシアの実行支配などドンドン日本が侵略されています。そして当の日本は経済だけにうつつをぬかし、日米同盟だけが頼りであるにも関わらず、「稀代のうつけ」であった元総理の鳩山氏にぐちゃぐちゃにされてしまいました。

その間、アメリカも経済危機から発生した国内の弱体化から世界の警察の肩書きもあやしくなってきました。そんな正義が、がたがたの時代に遅れてやってきた事大主義に元づいた強大なヤクザ国家のような中国が世界の覇権を握ろうとしています。
ところで皆さんは「ハニートラップ」という言葉はご存知でしょうか?ご存じない方はコチラでどうぞ。

自民党の谷垣氏も中国のハニートラップにあっていたという噂があります。中国が友好外交をしていた頃、たくさんの自民党議員がハニートラップにあい中国の意のままになってしまいました。現在の民主党はどうなのでしょうか?

とにかくこの日本は間近な周辺を北朝鮮、ロシア、中国、韓国、といった反日教育にまみれた悪意の国々に囲まれているのです。そこに武器もなく、話し合いで解決できると思う国民は本当にいるのでしょうか?何か気に食わなければ戦うぞという姿勢のある国々と日本はまたもや竹やりで戦おうとするのでしょうか?それが65年前に無駄とわかった日本がですよ。先ほども書いたとおり、もうアメリカに頼る事はできません。現実問題としてアメリカにそれほどの力は無いと考えて間違いないでしょう。

占領下でアメリカからもらった憲法は占領基本法なのです。子供手当てとか高速道路無料化とか、ちまちました問題のまえに総力を挙げて憲法を改正し自衛隊の国軍化、核の保有、武器輸出3原則の撤廃を行い、万全な安全対策をとるべきだと思います。日米同盟はそのままにして。

そして憲法が改正されたらいよいよ私達が「自分の国は自分で守る」という覚悟をきめなければならないと思います。

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仮面の告白

私のようなものが三島由紀夫氏を語るのはとても乱暴で不見識かもしれません。もし気にさわるようなら即刻、このブログを読むのを止めて下さい。

私はクーデターとともに割腹自殺した三島氏が本当に国を憂いていたのか、本当に真の国粋主義者であったのか、どうもそうではないような気がします。前回ブログに書いた「憂国忌」などに値する心は持っていないのではないかと感じています。これが結論ですので腹が立つ方は,読むのを止めて下さい。

私が三島氏の何がわかるのかと言われればそれまでなのですが、私の知識は三島氏の書いた小説やマスコミ報道、テレビの三島氏の特集、またインターネットによる三島氏関連の情報から総合して感じるものです。三島氏は小説の中でよく貴族階級の子爵や公爵などを登場させます。がその人格のたいがいがエロく下品です。姿、形、その立場が優雅であるのに下賎なのです。

三島氏が同性愛者であったことは皆さんご存知でしょうね?華麗にデビューした「仮面の告白」は主人公が同性愛者です。内容は同性愛者の主人公が小さい頃からの自分の嗜好、興奮するものなどを丹念に追求しながらなぜ、自分が男が好きなのかが、語られていきます。三島氏はまさに自分を追及し、それも深く、深く追求していくのです。そして自分は男が好きなのだと言うことにしっかりとした自覚を持ち始めます。(この作品が世に出たのは1949年、そう戦争が終わってまだ4年という時期でした。この頃はまだ、同性愛を語ることなどできる時代背景など無いはずです)自覚はしっかりともったが主人公は自分が人並みでありたいという考えから女性との交流を試みてみます。そうすると我慢もほどほどでなんとなくつきあえてしまうのです。しかしある日のデートの最中にたくましい上半身裸の男の姿を見てしまいます。そうするとそれだけで主人公は興奮を覚え、それまで一生懸命取り繕っていた感情がガラガラと崩れ去り理性は嗜好に負けてしまいその女性とは別れてしまうという話だったと思います。この話は三島氏の自伝的小説といわれています。

その後も「禁色」で同性愛をえがいています。その中で登場する男が男と遊べるバーが当時美輪明宏氏が働いていた銀座の「ブラウスウイック」という店だったようです。そういう店に通いながら三島氏は本当に男と熱烈に愛し合っていたようです。そこに来る常連客は当時としては理解しがたい考え方をし、遊んでいたようなのでそのような生活は三島氏の小説の中で、背徳の場面として、よろめきの場面として、褌好きな場面としてありとあらゆるところに表現されています。

とにかく三島氏は自分自身の深層心理に深く関わるのが好きで他者とのかかわり合いがとてもへただったようです。そんな三島氏がどのようにして国の行く末を案じる人間に変貌していったのかはいまだにはっきりしていません。三島氏は独自に民兵組織を作っていましたが、実際に第二次世界大戦の時には、徴兵検査もうけて、ひ弱な体力ではあったそうですが最低成績で合格していましたので、愛国主義者であるならばそこでその気持ちを発揮すればいいわけでした。わざわざ昭和45年にそんな事をする必要はないように思われるのです。

そんな三島氏はある時点から、その時点とは「鏡子の家」を頂点として創作者としての力量は落ちていくばかりの時点です。その時点から三島氏は国粋主義者に変わっていくのですが、真に日本の伝統、文化を愛するのではなく西欧(特にアメリカ)に対する絆を求める方向に傾いていきました。しかしその西欧は遠く、そう感じれば感じるほど三島氏の感情は分裂し、賛美と恨み、感傷的な国粋主義に行きつくのです。そして本当に日本を憂いるならば、生きてその主張を伝えていくべきであるし、なにも市ヶ谷の自衛隊駐屯地にいって総監をたてにとり、誰も知らない割腹自殺などする必要はないような気がするのです。

それまで三島氏は死ぬ用意を滞りなくしています。バルコニーにたって演説したってだれもわからない事もよくわかっていたと思います。これこそが仮面の告白なのではないかと思います。初めから「芝居」なのです。死ぬ為の。介錯した森田必勝氏なんかなおさらです。なぜ森田氏まで死ななければならなかったのでしょうか?私は情死だと思います。文学的にもう先が見えなくなった三島氏がすべてのカードを切って自分の文学をまた盛り上げようとした、最大の興行だったのではないかと思うのです。  

ここまで読んできて怒るのは止めてくださいね。始めにお断りをしていたのですから。けれども私は三島氏を嫌いなわけではありません。長く生きて、いろいろな話を聞いてみたかったと思います。あなたが本当の保守ならば日本はあなたの力を今こそ欲しいと思っているのですから。

三島先生かってな意見、誠に申し訳ありませんでした。どうぞ安らかにお眠り下さい。

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憂国忌~ 果たし得ていない約束

皆さんは40年前に起きた作家の三島由紀夫氏が自決した事件を知っているでしょうか?50代以上の方は何かしら知っているでしょうが、それより若い皆さんは知らないかも知れません。三島氏についてはコチラをどうぞ。

昭和45年11月25日に、有名作家三島由紀夫氏は東京都の市ヶ谷自衛隊駐屯地に三島氏自身が作った民兵組織「楯の会」の隊員4名を引き連れて(自身は隊長)東部方面総監を訪れ、総監を監禁しその部屋の前のバルコニーに立ち演説をし自衛隊隊員達に憲法改正のクーデターを訴えたが、その演説は自衛隊員に聞き入れられることはありませんでした。その時の様子は次の映像でご覧下さい。

この演説の後三島氏は総監室で割腹自殺、それを介錯したのが森田必勝で三島氏が亡くなった後、森田氏も割腹自殺をしています。その時の様子を詳細に書かれたサイトはコチラです。

三島氏は、同年の7月7日付けサンケイ新聞(当時)の夕刊のテーマ隋想に「果たし得ていない約束」というエッセーを寄稿しています。このエッセーは戦後の民主主義を偽善と批判し、自衛隊という公務員を憲法改正により日本の国軍にするというのが三島氏の考えのようでした。その三島氏の考えはかえって現在の日本の置かれた状況からみるとぴったりとあてはまるのです。尖閣諸島や竹島、北方領土、東シナ海のガス田開発にみられる領土問題、いや国防問題を考えると結局は憲法改正による自衛隊の国軍化がないままでは日本自体が危なくなっているのです。「果たし得ていない約束」はまだ果たし得ていないのです。

三島氏の死後その死を悼む人の手により11月25日を「憂国忌」として弔う事となりました。今年行われた憂国忌の様子は次の映像をご覧下さい。

こうして三島由紀夫氏はこんにちまで人々の記憶に残る真正保守の人となったのです。 to be continued

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