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2011年4月の15件の記事

地上の星-災害派遣における自衛隊の活躍

自衛隊の息子は4月26日に1週間ぶりに駐屯地に帰って来ましたが、1日だけ休んでまた今日は被災地に向いました。
自衛隊に昨年入隊した息子とは1年に片手で数えられるほどしか会えません。

今またこの大震災において被災者の為に全身全霊で頑張っています。
だから時々メールで連絡する事しか出来ない状況です。

しかし、息子は「人を救う」という仕事がしたくて自衛隊に入りました。
だから本望なのです。だから父である私も何も言えません。
息子が退官するまで長生きして息子を待とうと思っています。

息子の現場にはたくさんの悲しみや苦しみに耐えて生きている被災者の人がいるのです。
助けてやってくれ!「頑張れ!息子!」



「大変だろうな、つらいものをたくさん見ただろうな-、お前は大丈夫か、会いたいな、息子よ!」

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天皇陛下、皇后陛下ガレキの町に黙礼-初の東北被災地入り

天皇陛下、皇后陛下は27日東日本大震災の被災者を見舞う為、日帰りで宮城県を訪問されました。津波で甚大な被害を受けた南三陸町を訪れ、眼下に広がる津波の爪あとを目の当たりにし、町長からかつての町並みがすべてなくなったと説明を受けると静かに頷かれた後、「こんな橋まで落ちたんですか」と衝撃を受けられていた両陛下。犠牲者を悼みガレキの町に黙礼をされました。映像は次のものをご覧下さい。

視察後、自衛隊のヘリを使って南三陸町の避難所、歌津中学校を訪問されました。天皇陛下はご高齢でご病気でもあるにも拘わらず不自由な非難生活を続けている一人一人の前で膝まづき、一人一人を励まし見舞っておられました。

さらに、その避難所でボランティアをしている人達にも、一人一人にお声をかけられ、「ご苦労様、お体のほうは大丈夫ですか?」などのいたわりを伝え、ボランティアの医師には「(被災者の皆さんを)よろしくお願いします」と伝えられています。

また、医師や警察や自衛隊員が集まった場では自衛隊幹部に「この度はご苦労様です。ずいぶんいろいろなご苦労があったと伺っています。‥アスベストとかいろいろ危険な事もあると思うので十分に気をつけて作業を進められるように願っています」とねぎらいの言葉をかけていらっしゃいました。

それまで菅首相を初め枝野官房長官等、たくさんの大臣が被災地を訪れても、被災者の人にさえたいしたお見舞いもなく、さらに被災者ではなく、その人達を支えるたくさんの方々に、ねぎらいの言葉をかけるひとが一人でもいたのでしょうか?特に憲法上、存在自体問題視する国民や国会議員がいる自衛隊員に対して天皇陛下はなんら問題視するご様子もみせず、天皇陛下としてというより、人として人を救うことの尊さに感銘と賞賛をさりげなく与えた事は映像を見ている私の方がびっくりしてしまいました。天皇陛下はさりげなく現憲法を越して、本当の日本国憲法を見せたのではないかと!

これから先も日本にはどんな運命が待っているかわかりません。
しかし私達は、天皇陛下と皇后陛下が見せた慈愛と世界が絶賛する日本人の美徳と
自衛隊が見せ続けている国を守る責任感がある限り、日本は必ず復活すると信じています!

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キャンディーズのスーちゃん最期の肉声~死して被災者の為に

元アイドルグループ、キャンディーズ(活動期間1972年~1978年)で、その後女優に転進した田中好子さんが4月21日の夜、乳がんの為にお亡くなりになりましたが、昨日4月25日の葬儀で生前の好子さんの肉声が公開されました。映像は次のものをご覧下さい。

その肉声は3月29日に録音されたものだそうです。その中で病気療養中であるにも拘わらず、東日本大震災の事を知り、その被害の甚大さと被災者の皆さんの姿に、胸を痛めていた事が語られています。

田中好子さんの肉声テープより。

「被災された皆様の事を思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は、必ず天国で、被災された方々のお役に立ちたいと思います。それが私のつとめと思っています」

まだ55才、これから花開く女優人生だったと思います。しかし3月29日にはもう死を覚悟され、東日本大震災の被災者の悲劇の運命に心を痛め、もし亡くなったら被災者の“役に立ちたい”、そして“それが私のつとめと思っています”と言っています。

あなたは自らが病気であるにも拘わらず、自分の事より被災者の事を考えて涙していたのですね。

私達はこの大震災で大勢の同胞を失い、日本中が悲嘆にくれました。そしてまたあなたを失ってさらなる悲嘆にくれる事になりました。しかし、私達の目から消えたあなたは、きっと被災者の方々の所へ行ったのでしょうね。どうか被災した方々をあなたの明るさで救ってあげて下さい。あなたがいればきっと被災され亡くなった方々も幸せだと思います。

いままで、ありがとうスーちゃん。ご冥福をお祈り致します。

ランさん、ミキさんの弔辞はこちらの映像です。

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アメリカの支援-トモダチ作戦2(ソウルトレイン作戦)

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市野蒜(のびる)のJR仙石線野蒜駅で21日、在日アメリカ陸軍と自衛隊によるがれきの撤去作業が始まった。あおば通駅(仙台市)と石巻駅を結ぶ仙石線は、JR東日本ががれきの撤去や線路の復旧に取り組んでいるが、沿岸部の被害が甚大で、宮城県などの要請を受け、米軍が撤去作業に協力することになった。
場所は下図のとおりです。

アメリカ軍は、キャンプ座間(神奈川県座間市、相模原市)の陸軍約­40人で、自衛隊員16人と共に復旧作業にあたった。アメリカ兵40人は駅舎に流れ込んだがれきや割れたガラスなどを手で除去したり、津波で駅舎に流れ込んだ冷蔵庫や自動販売機を運び出しトラックに積み込んでいた。映像はコチラをどうぞ。

自衛隊の16人は、重機操作により、ホームや線路をふさいだ巨木を切­断したり、ホームのがれきを取り除いた。アメリカ軍はこの作戦を「ソウルトレイン」と命名。この名は1970年代に全米を一世風靡した音楽番組”ソウルトレイン”のテーマソングとして作られ、後に日本でも放送され人気を得た番組です。米国と日本をある時期繋いだ曲です。(ソウルは魂、トレインは列車の事)。指揮を執る在日米軍のアラン・ネイランド大佐は「駅は地域社会の人々にとって大切なインフラ。­復旧のために魂を込めて作業したい」と話した。これもまたアメリカの優しさを表した支援だと思います。「ソウルトレイン」のTV映像は次のものをどうぞ。


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秋田県4月29日(金)秋田県特別攻撃隊招魂祭せまる

秋田県特別攻撃隊招魂祭が、4月29日(金)正午から秋田県秋田市川尻総社神社で開かれます。要領はこちらのチラシからご覧下さい。

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この招魂祭は第2次世界大戦時に特攻隊として秋田県下から国の為に殉じて亡くなった方々の慰霊として行われているものです。平成4年4月29日から始まり今回で20回目になりました。

この時、同じく特攻隊として国に殉じながら、生き残ることができたM氏が仲間の霊を悼み、祭る為に、秋田県下から特攻隊として散っていった方々の住所と年齢、名前を何年もかけて調べ、自分のすべてをかけてこの慰霊祭を始めたのだそうです。M氏は社業の利益はすべて散っていった人の為に使うというのが「社是」だそうです。そして調べた人達の写真を大切にし、パンフレットにも載っている慰霊の塔を立て、その隣に彼らの写真を入れた看板をたてたのです。M氏の心の中には、いまもって彼らが生きているのかもしれません。そして哀悼の心を持っているのだと思います。

私はこのようなりっぱな志を持つ会社を他に知りません。利益追求が目的という会社組織において。
そしてそのM氏の「思い」は息子さんにしっかりと伝わり、今日りっぱにその志を引き継いでいらっしゃいます。

私達は今、大震災にあいました。いまだに行方不明になっている方もたくさんいます。

しかし昭和の大戦において、日本の為、同胞の為、愛する人を守る為に死んでいった彼らの事は、今の震災とは関係なく、私達は慰霊しなければならないと思うのです。日本を愛し、同胞の未来が安かれと散っていった彼らを、私達はどうして忘れられるのでしょうか。決して忘れてはいけないと思うのです。
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お時間のある方はどうぞおいで下さい。招魂祭の後には「ふみき会館」を会場としてチャンネル桜キャスター、三輪和夫氏、西村幸祐氏、小山和伸氏、富岡幸一郎氏、葛城奈海氏のシンポジウムもあります。要領はパンフレットをどうぞ。


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首相に怒号・避難所で・・「早く帰らせてくれ」-「もう帰るんですか?」映像追加

菅首相は4月21日(木)、福島県の佐藤雄平知事と会談後、福島第一原発周辺の住民らが避難する同県田村市の市総合体育館を訪れた。

菅首相が姿を現すと、約50人の避難者からは「早く原発を抑えてくれ」「早く、うちへ帰らせてくれ」と怒号が上がった。

 避難住民の一人、同県葛尾村の東海林みゆきさん(51)は、菅首相の去り際に「早く家に帰らせて」と窮状を訴えた。首相は「全力を尽くします」と応じたという。東海林さんは「どんな思いで生活しているか、わかってほしかった」と声を詰まらせた。

初めの男性の言葉

「もう私らの怒りはいっぱいなんですけど、我慢しているんです。原発の収束の方よろしくお願いします」

女性の言葉

「内閣でああだこうだの言ってるならその人達みんな連れて来てここで生活してみて下さい。どんな思いして生活
しているか」

「もう帰るんですか?」呼び止められる菅総理の映像はこちらをどうぞ。

住民の気持ちが痛いほど伝わってきます。

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朝鮮人の正体~やっぱりちゃんと義援金を出さなかった韓国

近年の韓流ブームやアイドルグループの日本進出により、日韓のわだかまりはすっかり解消されたかのようだ。さらに今回の大災害にあたりたくさんの国とその人々が心を痛め、支援の手を伸べてくれた。そしておなじように韓国も支援の手を伸ばすかに見えた。しかし、それはまったくのまちがいであった。やはり反日国家は、反日国家だったのである。

東日本大震災の発生後、世界の主要国と同様に、韓国もいち早く日本支援に動いてくれた。震災翌日の12日には救助隊を派遣し、韓国の赤十字社には1日1億円以上の寄付が集まった。韓国ではARSという電話での募金システムが普及しており、1回の電話で2000ウォン(約150円)の募金をしようと多くの人々が日本のために受話器をとったという。

 ソウル・衿川区の職員たちも当初は、被災した日本人を思いやってくれる善意の人たちだった。衿川区は人口60万人で、日本人も63人が在住している。約1000人の区職員たちはお金を出し合い、1200万ウォン(約920万円)もの浄財が集まった。

 本来ならばそのまま何事もなく日本に全額送金されたことだろう。しかし、3月末、日韓双方が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題が、日本の中学教科書の検定結果が明らかになったことで再び注目を集める事態になってしまった。

 衿川区の広報課長、シン・ジョンイル氏が語る。

「独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような敵対的な態度を見せる日本に義援金を送る必要などないという意見が多数出てきたため、3月31日と4月1日の2日間、職員を対象に『日本の地震被害支援募金の使用方法について』のアンケートを実施しました。330人から回答が集まり、『主旨通りに使う』が20%、『独島の守護活動を支援する』が70%、その他が10%という結果になりました」

衿川区長チャ・ソンス氏は4月5日、アンケート結果を尊重して、募金のうち20%を日本へ送り、70%を独島守護活動団体に、10%をなぜか戦争性被害者(元従軍慰安婦)の団体に寄付することを発表した。

※週刊ポスト2011年4月29日号より。

しかし、韓国の支援のすっぽかしはこれが始めてではないのです。

韓国は、2004年12月26日の『スマトラ沖地震義援金』を10分の1に値切っている。スマトラ沖地震とはコチラをどうぞ。

韓国政府は一度は500万ドル(経済規模に見合わない小額)の義援金を約束したが、日本が世界最大規模の5億ドルの支援を決定すると、突然日本への対抗意識と見栄で義援金を5000万ドルに値上げすることを約束した。
これにはスマトラで苦しんでる人たちも大いに喜んだことだろう。

……だが、韓国は結局その金額を支払わなかった。

半年後、日本は約束を守り、日本にとっても大金である5億ドルをきっちり全額支払った。日本に対抗して義援金を吊り上げた韓国は5000万ドルだった支払い「予定額」を610万ドルに減額してそのうち支払済みは310万ドルで残額は未納である。

大きなことを言ったもののもったいなくなったのである。

韓国は世界でも指折りの豊かな国だが、「魂」は先進国とはまったく違う。

金額ではなく、「自分で約束したこと」は守るべきである。「それで、何万人の命が救える」とは考えないのだろうか。そして残念ながらそうは考えないのが韓国人なのである。

このような思想を持った者は事件を起こす。それも頻繁に。韓国でも日本人を狙った殺人・傷害・レイプ事件は後を絶たない。被害者が日本人だとわかると韓国の警察もまともに捜査しないからである。

日本人の女性が韓国人の集団にレイプされ、泣きながら韓国の警察に逃げ込んだ時、警察官が、「日帝時代に韓国人の先祖が受けた屈辱よりも小さな事だ。」 などと言って笑ったという話も耳にする。

また、強姦以外にも頻発しているのが暴行・傷害である。

数年前も、平成15年1月29日午前10時に韓国ソウルで起きたソウルの日本人学校で同校幼稚部の日本人・滝島大夢君(6才)が見ず知らずの韓国人の男に「斧(おの)」で襲われて重傷を負うという理不尽で痛ましい事件もあった。その時の犯人はこのように述べた。

「でも日本人でしょ」詳しくはコチラへ。

韓国人の日本人に対する『蔑視観』とはこのようなものである。「冬ソナ」やKARAや少女時代から韓国を類推してはいけない。そんな民族ではけっしてないのだから!

韓国は行かないのが一番だと思うが、もし行く事があれば韓国人の日本人蔑視の事はゆめゆめ忘れてはならない。


 

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福島第1原発から20㌔圏内-南相馬市での行方不明者捜索

放射能汚染により避難指示が出た為、大震災後手付かずの状態になっていた福島県南相馬市で、4月7日(木)から1週間の予定で、警視庁の機動隊員による行方不明者の捜査が行われました。映像は次のものをご覧下さい。

福島第1原発から20km圏内の住民に避難指示が出たのは、地震発生翌日の3月12日午後6時25分。街から人々の姿が消えて27日目がたった、4月7日、その避難指示区域-福島県南相馬市に初めて、福島県警32人と警視庁の機動隊248人、あわせて280人態勢で行方不明者の本格的な捜索がはじまった。

この避難指示区域に入るには、警察も報道陣も白い防護服にマスクを着用しなければならない。靴もすっぽり覆い、すそはテープで巻く。第1原発から半径20km圏内に入った南相馬市では、津波の被害がそのままの状況となっていた。畑や田んぼが広がっていたという場所も、現在はもともと何だったのかわからない状態のように平地となっている。

そして、道路もはがれ、原形が残っておらず、電信柱は投げ飛ばされてコンクリートの部分がはげている。今回、捜索が行われるのは、避難指示区域内の半径10kmから20kmの圏内。20km圏内に入ってから30分ほどが経過したが、記者の持つ線量計は、まだ数値は上がっていなかった。そして1時間半の取材を終えたあと、線量計は1マイクロシーベルトを指していた。

今後も、全国の警察官が応援に入り、避難指示区域での捜索活動を続けるという。

この捜査により、十数体の遺体を発見したという。そしてこの捜査に参加した機動隊員が思う事は「放射能の恐怖」ではなく「もっと遺体を見つけてあげることが出来たのではないか」という葛藤だそうです。

なんと美しい感情であるのか!

私達は、今まで警察官の事、自衛隊員の事、消防隊員の事、ちっともわかっていなかったのです。
彼らは何か尋常でない事があれば、「自分の命を差し出す覚悟がある事を」。
そんな覚悟は一朝一夕にはできません。こんな悲しい大災害がなければ、
その魂を見る事ができなかったのです。皮肉な事です。

でも今、私達は日本の為に、同胞の為に、命を投げ出す人達をはっきりと見る事ができます。

この姿を見れる事は、そしてまだまだ見れる事は、この悲しく、いたたまれない災害の中で、
私は明るい、明るい希望であると思うのです。

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宮城県気仙沼市階上(はしかみ)中学校卒業式-答辞梶原裕太君

3月24日(金)避難所となっている宮城県気仙沼市階上中学校の体育館で階上中学校の卒業式が行われました。卒業生の内一人は死亡、二人は行方不明になっている中での卒業式でした。本来、希望を持って未来に進むべき子供達が、このような悲惨な目にあいその中での卒業式、悲しい上にもさらに悲しいものでした。
映像は次のものをご覧くだい。

答辞は梶原裕太君が行いました。梶原裕太君の答辞全文
【本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。

前日の十一日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。

時計の針は、十四時四十六分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。
わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。
先生方、親身の御指導、ありがとうございました。先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。
地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。必ず、よき社会人になります。

わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表  梶原 裕太】

見ていて、何度も嗚咽をこらえ切れなくなり、涙が流れ落ち、頑張ってという言葉さえかけられないような、息を飲む映像でした。天災は多くの命を奪い、生活を奪い、家族をさらっていきました。泣いても泣いても泣ききらない悲しみを青森、岩手、宮城、福島の人は受けました。

けれども私は思うのです。階上中学校には梶原裕太君がいるのです。そして同じ悲しみを背負ったたくさんの仲間がいるのです。こんなに立派な若者がいるなら、東北にはきっと希望があるはずです。日本に素晴らしい未­来があると思うのです。亡くなられた仲間のためにも、本当に精一杯がんばって­ほしい。

そして同じ10代には今年の賞金をすべて災害義援金にすると宣言した石川遼君がいます。遼君はあなた方のために普段より多く祈り、頑張ってくれると思います。あなた達の未来は決して暗いものではないはずです。素晴らしい世代ではないですか。

そして、このブログを読んで下さる皆様、どうか彼らの為に今を生き抜きましょう。そして必ず復興を果たし、輝く未来を彼らに渡してあげましょう!

そして震災を免れた皆様、どうか東北の分まで、支える気持ちで仕事に励み日本を守って下さい。今、生かされていること­に感謝しながら。そして皆の力できっときっと日本を再生させましょう!

若いこの、命が助かった彼らは、深い悲しみや絶望の中にあってなお「天を恨まず、運命に耐え、助けあって生きて行く」と込み上げる涙をこらえて訴えているのです。

私達は、彼らに輝く未来をきっと見せてあげましょう!


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石原軍団の炊き出しに上戸彩が登場

女優の上戸彩(25)が15日、東日本大震災で被災した宮城県石巻市を電撃訪問し、同市滞在中の石原プロモーションの炊き出し2日目に参加した。日帰りのスケジュールでくつ下や肌着など救援物資を持参、同プロの渡哲也社長(69)、舘ひろし(61)と焼きそば作りに励んだ。映像は次の物をご覧ください。

石原プロの炊き出しにサプライズで登場した上戸は、2009年のテレビ朝日系ドラマ「結婚」で父娘を演じた渡と、放送後も交流を深めてきた。同ドラマのPRで石原プロの炊き出しに参加経験があり、また、同プロが16年前の阪神・淡路大震災でも炊き出しをしたことを知っている上戸は「被災地で炊き出しをやる時は私にも手伝わせてください」と3月11日の地震発生後から、渡に協力を志願していたとの事です。

 この日までに地道に集めた肌着、軍手など1万1500点の救援物資を大型車に積み、午前4時に都内を出発。同11時半に会場の石巻中央公民館横の駐車場に到着した。

 炊き出し中は「彩ちゃ~ん」と叫ぶ老若男女の大歓声に笑顔で手を振り、「応援しています。負けないで下さい」と被災者の手を握りしめた。

その最後の列に、姉を失った珠莉ちゃんが待っていた。母、佐藤美香さん(36)に手を引かれ、炊き出しの最後尾に並んだ珠莉ちゃん(3)は、大震災で姉の愛梨ちゃん(6)を亡くした。幼稚園の下校途中、バスが横転し、火災で命を落とした姉を今も慕う幼子の事情を母から聞いた上戸は「元気出してね」とハグ。尊い命をギュッと抱きしめると、思わず涙があふれた。

上戸に抱かれ、笑顔を見せた娘に母の美香さんは「元気をもらいました」と涙を流した。

 1500食の炊き出しを終え上戸は「石原プロにきっかけをいただけて光栄です。少しでも元気を与えられたらと思うし、これからもこの思いを持ち続けていきたい」と語り、健気な“娘”の姿に渡は「きょうはみなさんの笑顔が多かった。これは彩ちゃんのおかげ」と感激した。約4時間の滞在だったが、炊き出しの天使に被災者の心が癒されたようだった。

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自衛隊家族説明会-大震災の任務

4月9日(土)大震災に対する自衛隊の活動に対して、自衛隊員を家族にもつ人達の「家族説明会」が某駐屯地で午前10時からあり、私も息子が自衛隊員であるので出席してきました。説明会場は営内の一室で行われ、Photo
前方にスクリーンがあり、向かって左手が壁になっていて、その壁には被災地での自衛隊員の救助活動の様子を写した写真と、駐屯地に届いた感謝のメッセージがたくさん貼ってありました。

そして厚生班長〇〇准尉の挨拶の後、開会の辞が述べられ、その後スクリーンに活動の様子などが写され説明会が始まりました。
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自衛隊員は被災地において「一人でも多くの人を助けたい」「一人でも無事でいて欲しい」という信念で行動している。それでも助けられなかった命に何度も直面し、心が折れそうになるがその度に、しっかりと大地に足をついて前を向いて被災者の為に何ができるかを考えようとしている。そして明日の任務を皆で相談する。朝起きた時から決して休まず、任務は夜おそくまで続く事もある。しかし彼らは「人として役に立ちたい」「我々を待っている人がいる」という気持ちを皆が持っている。

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隊員達はテントに4人1組になり迷彩服のまま寝袋に入って眠り、食事はご飯の缶詰、おかずの缶詰(災害から1ヶ月たって、ようやく自衛隊員も暖かいご飯と味噌汁が用意できるようになってきた)を食べ行動している。被災地の人の為に、温かい炊き出しをだしたにしても、自衛隊員はそれには手をつけない。また暖かいお風呂も用意するがそれに自衛隊員が入ることもない。すべては被災地の人の為に。

『被災者は立ち上がろうとしている。我々はほんの少しその人達の後押しをするだけ』

何故今回のように過酷な災害現場派遣に関し、自衛隊員が活動できるか?それは「使命感」である。自衛隊に入隊した時に覚悟した「服務の宣誓」と「国民の負託に応える為」である。

「皆さんのだんな様、ご子息はりっぱな活動をしている。そんな隊員を皆さん家族が誇りを持って支えて欲しい」という活動状況について閉めのお願いがありました。

次は心のケア(メンタルヘルス)に関する事項でした。災害派遣に従事した自衛隊員が生じやすい心身の反応があるとの事でした。おもに次の3点が多いそうです。Photo_3

   1、感情が高ぶり、眠れなくなる。寝ても悪夢を見る  
   2、感情が溢れ、涙が止まらなくなる。
   3、思い出したくもない感情から、仕事から逃げたくなり、休みたくなる。

   身体面では、疲労感、体調がすぐれない(下痢や便秘)
   精神面では、人を避けたい、一人になりたい、イライラする、不安定な気持ちになる。

これらは、「俺の気持ちをわかってほしい」という叫びである。しかしこういった感情は現場で活動した隊員の普通の感情であり、時間の経過と共に反減するものである。だから家族の方はこういった点を知った上で理解し、だんな様、ご子息の気持ちに寄り添い暖かい気持ちで触れ合ってほしいとの事でした。そしてもしそれが続くようなら営内にケアセンターが設置されているので相談して下さいとの事でした。彼らも一人の人間として戦っているのです。

現政権からは厄介者扱いされているにも拘わらず、自衛隊員は今日も必死に被災地の復興にむけ、もくもくと働いています。

そして私は国内から反日的思想が消え、この尊い職業の自衛隊が
日本国民から暖かい目を持って見られる日が1日でも早く来る事を夢にみているのです。

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辻本清美ボランティア担当首相補佐官-支援物資横流し疑惑

皆さんは、4月1日の新聞(東スポ)の辻本清美ボランティア担当首相補佐官が全国から集まった支援物資を横流し、しているのでは?という横流し疑惑の記事をご存知でしょうか?Photo

これは、いわき市文化センターにいく救援物資がその手前のいわき市平競輪場の建物にいったん集められ(そこには全国からの大量の救援物資が届き、そこに下ろされるや、辻本ボランティア担当首相補佐官のお仲間集団のピースボートが仕分けをし、物資のうち金になる物は横流し、賞味期限が切れた食べ物は廃棄、余った物資を被災地へドヤ顔でピースボートが避難所に救援物資を配り、お手柄は災害ボランティア担当の首相補佐官の辻本清美氏ということになっている問題です。



詳しくはコチラをどうぞ。

真偽のほどはわかりませんが、辻本清美氏とはいったいどんな人物なのでしょうか?「韓国は何故反日か」から抜粋します。

『週刊新潮』2002年4月18日号によれば、五島昌子(長年土井たか子の秘書をしていた-在日朝鮮人)は母親が社会党婦人局長を務めていたこともあって、学生時代から社会主義青年同盟(社青同=極左)の活動家であり、辻元清美を衆院議員候補に担ぎ出して、当選後に教育役を買って出たのもこの五島昌子だという。

この五島が育てた辻元清美は土井たか子にさらに輪をかけて危険である。これもやはり土井と同じく帰化朝鮮人という説もあり、しかも夫婦揃って赤軍派であることが知られている。
(※『赤軍』というのは極端に簡単にいえば「武力で革命できる」と考えている組織。例えば「あさま山荘」を占拠して警察と銃撃戦をしたのも赤軍のゲリラ。“赤”というのは“共産主義”の意。広義には“ソ連”や“中国”を意味する)

辻元は、政策秘書の給与流用を「週刊新潮」にスッパ抜かれて議員辞職し、後に詐欺容疑で逮捕されて懲役2年執行猶予5年の判決を喰らったことで有名だが、少し前も親日のパラオを『反日の国』と印象付ける地味な工作をしたりもしていた。

しかもこの辻元は土井と同様に一貫して北朝鮮の拉致を捏造だと決め付けていたのだが、訪朝した小泉が北朝鮮自身に拉致を認めさせたことで恥をかかされた女でもある。

だが、それだけではない。
なんと辻元は悪名高い「ピースボート(NPO)」の設立者であり、元代表でもあるのだ。この「ピースボート」というのは日本赤軍(共産主義者同盟の分派)が国際的に 作った支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織で、つい最近も「日本の常任理事国入りを邪魔する反日デモ」「中国での反日デモは日本人が過去を反省しないのが原因だから日本が悪いデモ」などをやらかしている。自分たちは言論の自由を悪用して無茶苦茶してるくせに「扶桑社歴史教科書の検定合格を撤回しろデモ」もやってたりする矛盾だらけの左翼集団である。

ピースボートは国家とは別の「地球市民」としての草の根の繋がりを作ることを標榜して1983設立されたのだが、実際は中国と韓国が「国家としては表向きは言えないこと」を民間の名を借りて堂々と日本に向けて言うための『中国と韓国のための代弁機関』である。

辻元はピースボートを計画する傍ら、市民運動を装い、金儲けと左翼運動を行う営利団体『株式会社ピース・イン・ツアー』を設立し、取締役に就任した。(ちなみにピースボートは役員や会計の報告義務を回避するためNPO登録していない)。その活動の特徴は「著名人」を巻き込んだ“地球一周クルーズ”。魅力的な「著名人との船旅」を巧妙に名目にして、夢溢れる好奇心の強く利用しやすい若者を惹き付けて、世界各地の港に寄っては反日宣伝活動を行うという巧妙な手口である。

「みんなが主役で船を出す」という美しいキャッチフレーズで表向きクリーンに「反戦」などを掲げているくせに中国の虐殺行為(チベット、ウイグル族、ベトナム他多数)にはなぜか一切触れないという不自然な団体である。つまり攻撃対象は中韓の敵のみであり、反戦=“日本(だけ)は”武器を持つな・戦争をするな、ということなのである。

この程度の思想で行われる営利団体など活動のレベルは知れている。参加者の証言によれば「ピースボート」船上では、当局の目が届かないのをいい事に公然とマリファナを吸引して船内のいたるところで男女が乱交するというとても「ピース(平和)」という言葉とは程遠い状態だったという。

モラルのない悪質商法で各方面から大顰蹙を買っているピースボートだが、その本質は先に述べたように日本赤軍の国際的支援組織の表側の組織であり、その部分において辻元の内縁の夫である北川明と関係がある。

この北川というのは75年スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵であり、テロリストとして公安調査庁にマーク されている危険人物である。その北川明は日本赤軍として移動する際、ピースボートに紛れ込んでいた。

それゆえピースボートは日本赤軍を乗せて北朝鮮にもしばしば寄港しているし、逆に辻元がピースボートで北朝鮮に行くことができたのは日本赤軍関係者がいたからなのである。

つまり、辻元は“夫婦で”朝鮮や中国に「日本を売り渡そうとする奴」なのである。


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被災者の心に「どうか届きますように」

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ジャニーズ募金『Marching J』-4月1日

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台湾から愛をこめて-東北関東大震災

震災義援金100億円突破=支援桁外れ、親日ぶり示す―台湾

【台北時事】台湾当局のまとめによると、東日本大震災の被災者への義援金が1日までに、官民合わせて計100億円を突破した。米国が赤十字を通じて集めた寄付が3月30日現在で約99億円。人口が約14分の1の台湾が同規模の義援金を集めたことは「桁外れの支援ぶり」(日台関係者)で、台湾人の親日ぶりを端的に示している。
 台湾では大震災発生直後から被災者支援の輪が広がり、外交部(外務省)が震災発生当日に1億台湾ドル(約2億8500万円)の義援金を送ると表明。同月17、18の両日にはテレビ局などがチャリティーイベントを開催して寄付を呼び掛け、これまでに約9億台湾ドル(約25億6600万円)を集めた。同部が把握していない寄付も相当程度あるとみられ、実際の金額はさらに多いとみられる。  4月1日yahooの記事

   

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