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2011年5月の18件の記事

「ありがとう」自衛隊-第10師団宮城から撤収

5月23日(月)宮城県南部の4市9町で災害支援活動を行なって来た陸上自衛隊第10師団(名古屋市)が一部を除いて帰隊することになり、主な活動の舞台になった名取市、岩沼市、亘沼町、山元町で、お別れのセレモニーが開かれました。山元町でのセレモニー映像は次のものをどうぞ。(画像は消されてしまいましたので削除します)

第10師団は震災直後から被災地入し、最大3800人が移動日を含め75日間派遣され、延べ動員約22万人、給食は約34万2千食、給水は約3900トン浴場利用者は9万9千人に達しました。

山元町では午後3時40分から山元町役場前でセレモニーが開かれ、感謝の横断幕を手にした町民ら約千人が詰めかけ、約40台の自衛隊車両を「ありがとう」の言葉と共に盛んに手をふって見送った。

この大震災にあたり懸命の救援活動にあたってくれた自衛隊の方々に心から感謝をするとともに、別れのほろ苦がさを感じるものであった。

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日本の裏社会~新宿歌舞伎町

歌舞伎町は裏社会(裏社会とは暴力団=ヤクザの事。詳しくはコチラへどうぞ)のかかわりが凝縮している。この大ネオン街には約8000店のクラブやキャバレー、バー、スナック等の飲食店が営業している。

さらに韓国クラブ、中国クラブ、タイクラブなどの海外系、非合法の店やぼったくりバー、その他多様な風俗店がひしめき、なんでもありの天国状態となっている。

そしてその歌舞伎町には約150にのぼる暴力団組事務所がある。都内最大の住吉会を筆頭に山口組、稲川会、極東会、松葉会など主要組織が群雄割拠し、しのぎを削っているのである。近頃まで歌舞伎町といえば、関東の雄、住吉会がぎゅうじっていたが近年、山口組が進出してきてその勢力地図を塗り替えようとしている。

山口組でも有力組織の山建組(井上邦雄組長、神戸市中央区に本拠を置く暴力団で、指定暴力団山口組の2次団体。山口組の最大派閥であり、構成員は約7000人)や、関西の司忍(=篠田建市)組長の弘道会(名古屋市中村区宿跡町に本拠を置く暴力団で、指定暴力団山口組の2次団体。構成員は約4000人)がのし上がってきている。歌舞伎町はヤクザの檜舞台のような存在になっている。しかし住吉会は歌舞伎町に山口組の事務所をおかせまいとしているのである。弘道会の司忍組長は銃刀法違反で服役していたが2011年4月9日出所しました。映像は次のものをどうぞ。


では何故ヤクザは歌舞伎町に進出したがるのか?

ずばり言うと「ミカジメ料」が欲しいからである。では、「ミカジメ料」とは何か?それは歌舞伎町におけるクラブやキャバレー、バー、スナック等飲食店(違法営業店含む)が、広域指定暴力団住吉会系列団体に払う、俗にいう用心棒代のことである。「ミカジメ料」の相場は月平均5万円で、集金する店は約3000軒ほどあるので、月1億5000万円が住吉会に入ることになる。それをねらって山口組は歌舞伎町に進出したいのである。

2004年暮れに石原東京都知事の招聘で就任した警察庁出身の副知事・竹花豊の主導により「歌舞伎町浄化作戦」と称される大規模な店舗の摘発が行われた。この際に非合法な性風俗産業を行う風俗店・アダルトショップなどで閉店を余儀なくされた店が多く、2005年に竹花が出向解除により警察庁へ復帰して以降も、警察の威信をかけた重点摘発が続けられている。

また、2004年後半には大規模再開発と暴力団追放等を目的とした「歌舞伎町ルネッサンス」計画の第一回会議が公開の場で開かれる。歌舞伎町ルネッサンス協議会は、行政機関(新宿区他・関係各省庁)と各事業者・また歌舞伎町商店街振興組合を含む地元商店街に、有識者をメンバーに加えて発足している。2005年4月には都条例の改正(通称・客引き禁止条例)が施行された。

しかし、この警察当局による取締り強化にあっても、歌舞伎町からヤクザの姿が消えた事はない。さらに闇社会は渋谷、六本木、池袋と拡散しながら、さらなる発展をみせている。

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菅総理による日本解体-福島原発事故

福島第1原発事故について、事故対策統合本部事務局長の細野豪志首相補佐官は5月16日に1号機で炉心の完全溶融=全炉心溶融(メルトダウン)が起きたと述べました。そしてそれは2号機でも3号機でも「あり得ると考えている」との認識を示しました。

しかし、全炉心溶融(メルトダウン)については3月12日午後の原子力安全・保安員の会見で中村氏がすでに福島第1原発1号機で「全炉心溶融(メルトダウン)が始まっている可能性が極めて高い」と発表しています。その為か原子力安全・保安員の会見は別の人に変わってしまいました。3番目の西山氏が現在は会見しています。この最初の時点でメルトダウンが認識されているのです。

5月16日の会見でも原子力安全・保安員の班目春樹(まだらめ はるき)氏の会見で3月下旬の時点で、1号機だけでなく、2号機と3号機も炉心溶融の状態にあるとの認識を明らかにしていました。映像は次のものをどうぞ。

そして東電の3月11日のホワイトボードに記入された内容は、もうその時点で最終局面である事を伝えています。しかし、その間、菅総理や枝野官房長官、原子力安全・保安員の西山氏はそれほどの危険にはまだ至っていないと会見していました。何故、心配の少ないほうにわざわざ言い換えたのでしょうか?一方、日本を心配したアメリカはこの時点で原子炉冷却に関する技術的な支援を申し入れたのにも拘わらず、政府は断っています。(それについてはコチラへ)何故その支援を黙って受けなかったのでしょうか?そしてこの頃、海外からは盛んに日本は情報を発信しないと言われていました。

しかし、政府の流れはいまだに最終局面には至っていないという方針で、自衛隊機から福島第1原発、第1号機にピンポイントで水をかけるだの、騒乱の時の為の警察放水車で水を撒くだの、自衛隊放水車だの、東京消防庁のハイパーレスキュ-隊を呼び放水作業にあたらせるだの、中国からもらったコンクリート注入車だのをもってきて放水をしだしました。それもわざわざ効果的でなく危険な方法からやり初め、それを担当した人達を敢えて危険な状態にさらす事になりました。そして時間をのばしました。3月11日の時点で最終局面であることを知っているのですから、初めから無駄なのです。その方向ではないのです。絶対にメルトダウンしていた事は知っていたと思います。

そうこうするうち、放射能はしだいしだいに拡散し事態はさらに深刻化していきました。

   『菅総理にはこの事態を出来るだけ早く収束させる気があるのでしょうか?』

菅総理は元々社民連などを渡ってきた社会主義系の市民運動家で、反原発の人です。

だからもし、この機に乗じてこの福島原発事故を長引かせ、世界に向かって原発の悲劇を見せているのだとしたら。原発で事故があればこんな酷い事になるんだよという様子を世界に見せようという悪意が少しでも顔をのぞかせていたら。

もし、そういう意図なら浜岡原発の突然の中止も納得がいきます。菅総理は原発反対の市民運動家なのですから。その地域は特に危険な地域とか理由をつけていますが、別のところでも突発的災害が起これば同じではないですか?ようは今浜岡原発を止めれば首都圏にさらなるダメージを与える事ができるからだと思います。

菅総理はバリバリの市民活動家であった事を忘れてはなりません。彼は日本国旗にさえ嫌悪を抱く人だったのです。もしまだそんな人物なら自分の手で日本を破壊する絶好のチャンスが彼の目の前に現れたのです。果たして
そんな政治家が政権をとったからといって、国民の幸せを一番に考え、国の為に働く政治家に、簡単に生まれ変われたのでしょうか?もし、生まれ変われたのなら、この震災にあたり何を一番にすべきか、おのずとわかるはずです。そしてこの2ヶ月は無駄な努力にはならなかったはずです。

この菅総理の「思惑」の為に日本人はたくさんの人達が犠牲となりました。自衛隊しかり、警察官しかり、消防隊員しかり、そしてやっと地震から逃れ、津波の惨事から生き延びた飯館村や川俣町の人々しかりです。彼らを避難と称して地域から出しているのです。避難の為に出て行く飯館村や川俣町の人々の目には涙が流れていました。どこまで国民を泣かせれば気がすむのでしょうか?

そして一刻も早く収束せねばならない原発事故にも拘らず、はやばやと6月22日に国会を閉じる事を明言してしまいました。第二次補正予算は8月以降だそうです。それでいいのでしょうか?メルトダウンを起こしている原発を抱えて国会が開いていないのであれば、その間の避難民の気持ちはどうなるのでしょうか?また、原発の突発的事故の対応にも遅れる事となるわけです。

そしてはじめから「日本解体がねらいなら」まさに大成功なわけです。

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永すぎた春

自衛隊の息子はこのたびの震災支援の為に、5日被災地での捜索活動を行い、5日目の夜に帰ってきて、翌日が休み、そしてまた次の日から被災地に行って仕事をするという日々を送ってきました。

このブログを初めの方から読んで下さっている皆さんはわかると思うのですが、息子は去年平成22年12月14日に幹部候補生学校を卒業したばかりで(詳しくはコチラへ)やっと赴任地に着き少しその土地柄や人間関係になれたかなというまだ自衛官と呼べるようなものではありませんでした。

息子は幹部候補生学校においては最年少であり、また足も遅く、仕事ものろく、よく叱られ、出来ないと校庭を走らされていたそうです。朝おきても服装を整えるのが遅いと言われては走らされ、靴が磨けていないといわれては走らされていたのです。隊は5人編成で息子は大学卒で入学しましたが、ほかの隊員は皆、防衛大学卒業でそのあたりは慣れたものだったのです。

そして校庭を走り終えた息子は、シャワーを浴び着替えてやっと食堂に行くともう片付けられていて、何度食事を食べないで、授業に行ったかわからないという状態でした。それでも回りの隊員達からは「やつはノロマなんだから」と言われ、構われもせず、助けられもせず、とうとうメンタルへルスの教官に泣きながらその惨状を訴え、なんとか、授業が始まってから講師が「○○君、食事がまだなら食べてきていいよ」といってもらえるようになったそうです。

幹部候補生学校時代は本当に忙しそうで電話1本かけられず、メールでどうにか最低ラインのコミュニケーションが取れていたというかんじです。息子は中学生時代から自衛隊にはいりたがり、防衛大学によく受かる高校という事で志望校も決めていました。そしてその為に進学クラスであるにもかかわらず、柔道部に入り勉強との両立をめざしました。(剣道は小学校からならっていましたが)

しかし、柔道部の練習はきつく、成績の方が少しずつ下がってしまいました。その結果、防衛大学は不合格、公立大学は合格したので、在籍のまま翌年も防衛大学を受験、それも不合格、そしてその翌年も大学に入りながら防衛大学を受験するもまた不合格、大学3年に猛勉強をしてようやく一般大学から合格する事ができたのでした。その為に、ほとんど勉強づけの日々を送る事になりました。しかしその為に運動不足を起こしていたのです。

当時、幹部候補生学校のその苦労を聞いて知っていた私はただ胸を痛め、眠れぬ心配な夜を過ごすだけでした。私自身、息子の運動神経の悪さはよくわかっていましたから。ただそれを克服しなければ自衛官として任務を全うする事はできないとも、遠い頭のずっと先のほうでは思っていました。しかしそう思いながらも私はただの親馬鹿で息子の事を心配するばかりでした。

しかし、息子は幹部候補生学校では4回の筆記成績があるのですが1回目と4回目は成績順位は発表されなかったのでわかりませんが、2回目は全隊員356名中、10位、3回目は4教科試験の内2教科で1位という快挙をなしとげました。でも特殊部隊やレインジャー部隊のある自衛隊ではそれほどの評価は得られなかったそうですが、私はいつも「よく頑張った。えらい!えらい!」と思ってしまいます。もしこのブログを読んでる幹部候補生学校にはいったご子息、また現在幹部候補生学校にいってらっしゃるご子息をお持ちの親御さんはどのように感じるかわかりませんが、もし気にさわるようならすみません。

そして赴任をして3ヶ月目位の3月11日に東北関東大地震が起こりました。そして、その為その日の内に派遣の準備をし、次の日から息子は被災地に向っていきました。

息子は赴任してからは駐屯地内で寝起きをしていましたが、幹部として3月19日には営内から出て暮らす予定になっていました。それが震災の為に営内からはでられず(もちろんそれを批判しているわけではないのです)連絡さえ取れなくなりました。人としては被災者の悲劇に涙しながら任務をまっとうしてもらいたいと思い、父としては息子ひとりを心配していました。

その息子からきのう連絡があり、被災地への支援は1週間行き、次の1週間は休みというふうにシフトが変わったという事と、今月末から営外の官舎に住めるという嬉しい知らせがありました。震災対応もようやく少し余裕が出てきたようです。

我が家にもようやく春がきたような、安堵感と幸せをやっと感じる事ができました。
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大震災, 自衛隊 |

福島第一原発内部映像-青山繁晴氏撮影

独立総合研究所の青山繁晴氏が4月22日に福島第一原発の内部にはいりました。その事について民主党の細野豪志氏、内閣府副大臣・末松義規氏が青山氏に圧力をかけてきたそうです。その情報は関西テレビの「アンカー」で話なされました。1番から3番までが関西テレビ「アンカー」映像です。直ぐ消されますのでまだ見ていない皆さんはお早くご覧下さい。(アンカーは削除されましたのでこのブログからも消します。失礼します)


4番からは青山繁晴氏撮影映像です。福島第一原発内部を是非ご覧下さい。中で働く作業員の様子やその方々の決してあきらめていない様子、冷静感、使命感は歴史に刻まれる出来事だと思います。 

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在日ミャンマー人が被災地でボランティア

5月5日首都圏などで暮らすミャンマー(ビルマ)難民ら95人が、宮城県多賀城市、石巻両市で、清掃に、炊き出しに汗を流しました。「国籍や肌の色は関係ない」 「たくさんの人の幸せが流されてしまったんですね」と、つぶやくミャンマーの男性。自身は難民認定の申請が認められず、先の見えない日々に苦しみ、耐えがたい孤独も抱えるが、「自分の悩みが小さく思える。もっともっと頑張らないと」と語ります。

呼び掛け人の一人、チョウチョウソーさん(47)は来日20年。弾圧を逃れ、来日。難民認定を受け、今も母国の民主化運動の先頭に立ちます。将来への切実な不安を抱える被災者の姿が来日直後の自分と重なり、日本での生活を一から切り開く中で何度も励まされたことへの恩返しを込めて、支援を呼び掛けています。「難民となって故郷を失い、今も母国に帰ることはできない。家族とも生き別れた。そんな境遇に身を置く自分たちだからこそ『被災者のためにできることがきっとある』と思う」、と語っています。

ボランティアに参加した男性ポン・ラインさんは「日本人の方が何か困っていたら、私達の方が何かやるべきである。日本は一人じゃないからね」と言い「私達もいるからね」と涙ぐんで話していました。その涙の奥には祖国から迫害され、日本で暮らさねばならない悲しみと、その中でも日本人に励まされ生きてこれた日本に対する感謝と、その心優しい日本人が苦しんでいる事への慈しみの涙であると思いました。

中国、韓国を除くアジアの人々は日本人の為に泣いてくれるのです。そんなアジアの人々を私達は決してわすれてはいけない。1日でも早く復興し、一回りも二回りも大きくなった日本は、今日本を思い一緒に泣いてくれる、世界の人の為にまた頑張りましょう!

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中国相次ぐ食品事件-放射能汚染はどうなの?

日本製品に放射能が付着しているという理由で、食品のみならず家電製品までボイコットをする中国で、毒餃子以上の食品事件が現在頻発しているそうです。

中国で悪質な食品安全事件が後を絶たない。もうけ主義に走る業者が違法な食品添加物を乱用しているためで、健康被害も広がり、深刻な社会問題となっている。事態を重く見た政府は取り締まりと規制の強化に改めて乗り出した。

 湖南省長沙市では4月23日、結婚式に出席した300人近くが吐き気を訴え、病院に運ばれた。地元テレビによると、筋肉増強剤のクレンブテロールが入った肉を食べたことが原因だった。1999年に使用が禁止されたが、肉の赤身を増やすために飼料に混ぜる養豚業者が少なくない。

 国内最大規模の食肉加工会社もクレンブテロール入りの豚肉を販売していたことが発覚。業界全体に広がっている実態が浮き彫りになった。

 不正は肉だけにとどまらない。上海市警察当局は4月中旬、使用禁止の着色料を使った饅頭(マントウ=蒸しパン)を販売した同市内の食品会社の責任者5人を拘束。遼寧省瀋陽市の警察当局は、違法添加物を使って漂白したモヤシを売っていた業者約30人を拘束した。

 相次ぐ事件を受けて、食品安全担当の李克強(リー・コーチアン)副首相は、違法添加物を使った業者について「営業の停止や資格取り消しのほか罰金など厳罰処分にする」との方針を4月下旬に関係部門に指示。今月8日には、食品工場の従業員に対し、40時間の科学的知識や倫理観を養う訓練を義務づける要綱も発表した。

 中国政府は、2008年の冷凍ギョーザ中毒事件などのたびに対策を強めてきた。しかし、昨年の食品安全事件は依然13万件に上り、違法業者は10万を超える。復旦大学社会学部の于海教授は「道徳意識が欠けていることが根本的な原因で、社会秩序が崩壊しかねない危険な状況だ」と警告している。(朝日 2011/5/11)

少し前に日本でも「ミートホープ」などの食品偽装がありましたので、声だかには言えないかもしれません。でも言います。日本のものは食べても死にません。しかし、中国産は死ぬかもしれません。いまだに毒粉ミルクで亡くなる子供たちがいるそうです。こんなものがまかりとおる中国で、日本の家電には放射能があり危険だと騒ぎ立てるのは、論理に整合性がありません。家電をなめる人はいません。

第一に「人命」を大事と思う国でもありません。細かいところで日本たたきは止めてもらいたい!

あなた方はあなた方の国の食品を疑うべきです。うっかり食べると死ぬかもしれません。

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自衛隊の支援-これまでの総括

3月11日に起きた東北関東大震災における自衛隊の支援はそろそろ少しづつ人数を減らし、本来の国防にシフトする時期に入ってきました。それでもいきなり撤退するような心のない撤退を自衛隊はしません。被災者の心が癒えるまで待ちながら、少しづつ動員を減少していくことでしょう。

それでは現在までの10万人支援体制とはどのようなものであったのか、書き残したいと思います。(第9師団報道発表資料より)

陸上自衛隊の東北方面隊は、北東北(青森・岩手・秋田)3県を受け持つ第9師団、南東北(宮城・山形、福島)3県を受け持つ第6師団がありますが、それに全国各地から下記のように応援部隊が駆けつけました。

首都を守る第1師団、関西圏の第3師団、新燃岳の災害派遣に当たる第8師団は本来の任務地に張付ですから、交代はしないで支援しました。そのほかは、全国から被災地支援に大勢の陸・海・空自衛隊員が派遣されています。交代制になっている為同じ隊員ではありません。

支援体制は下記のようになっています。

岩手県北部 陸上自衛隊第2師団(北海道旭川市)

岩手県南部 陸上自衛隊第9師団(青森・岩手・秋田の部隊 青森県青森市)

宮城県仙北 陸上自衛隊第6師団(宮城・山形、福島の部隊 山形県東根市)

宮城県北部沿岸部 陸上自衛隊第4師団(福岡県春日市)
         第14旅団(香川県善通寺市)
         第5旅団(北海道帯広市)

宮城県仙南地方 第10師団(愛知県名古屋市)

福島県北部  第12旅団(群馬県榛東村)
         第13旅団(広島県安芸郡海田町)

次の映像は、自衛隊・護衛艦たかなみ 救出園児からの「ありがとう」 です。

当たり前のように小中学校に迷彩服の自衛隊が入り、支援活動を行い、行政や、教員、自治会や避難民も一緒になって給食の準備や搬入搬出、後片付けを肩を並べて行っています。避難所となっている学校の校庭にはヘリコプターから見えるよう、「ありがとう」と石灰で書かれていたという話も聞きます。日教組の組合教師はどうか分かりませんが、自衛隊は被災地での生命線であり、被災民の誰もがそのことを実感しています。

4月13日 大船渡市盛小学校の教員約10名及び生徒約80名に対し、学校側からの要望に基づいて自衛隊が装備している野外入浴セットの紹介を行いました。また、盛小学校で入浴支援を担当している自衛官に対して、生徒約140名が参加しての「ありがとうセレモニー」が催されました。

また、4月15日 大槌町吉里吉里小学校及び安渡小学校において児童及び避難者の皆さんに対し、第9音楽隊が激励演奏会及び交流会を実施しました。

また、空港や港湾のインフラ復旧の現場でも、自衛隊と行政、民間が同じテーブルで作業に当たっています。
こうした大人も子供も、軍・官・民が一体となった光景を繰り返し見聞きしながら、不思議な感覚にとらわれます。それはかつての大東亜戦争中、サイパンや沖縄では、また空襲下の日本の都市では、このようにして私たちの先輩たちは、軍隊が日常の一部として、また不可欠な組織として存在し、共に困難に立ち向かっていたのではないかということです。

かつて早稲田大学教授の松原正氏(松原正氏についてはコチラへ)が「我々の自衛隊」ということを言いましたが、今回の震災における自衛隊の存在は、そのことを多くの国民に印象付けたことだと思います。

被災民同士の略奪暴行が発生しない、支援物資を我先にと奪い合わないということは、諸外国と異なる日本国民の民度の高さを証明するとともに、復興のあり方が被災地の人々の郷土愛や尊厳を最大限尊重しながら進めることで可能となることを示しているように思われます。もちろん略奪暴行が1件もないわけではない事は私も知っています。しかしその度合いはわが国の民度を貶めるとは思っていません。

今回の震災では繰り返し「自助・共助・公助」というフレーズが語られましたが、その均衡の度合いにより、復興の成否が問われると感じました。

そしてその度合いから私達は必ず立ち直り、まっすぐに輝く未来に向うと思います。先人達と同じように!

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菅首相の告発状提出-外国人献金問題で神奈川県の住民ら

菅直人首相の資金管理団体「草志会」(東京都武蔵野市)が、在日韓国人系金融機関の元男性理事から献金を受けていた問題で、神奈川県に住む住民らが2日、政治資金規正法違反罪で、菅首相に対する告発状を東京地検に提出したことが分かった。

告発状では「同罪の成立について、首相自身に外国人との認識があったかどうかによる」とした上で、献金問題について説明した参院決算委員会の菅首相の答弁は「明らかにはぐらかした」と指摘した。映像は3月11日の次のものをご覧下さい。

政治資金収支報告書によると、草志会は旧横浜商銀信用組合(横浜市、現中央商銀信用組合)の元非常勤理事の男性から、首相が民主党代表代行だった2006年9月に100万円、2011年3月に2万円、同8月に1万円を受領。副総理兼国家戦略担当相だった同11月の1万円を合わせ、計104万円の献金を受けています。告発状では献金のうち、2006年9月の100万円については公訴時効(3年)を過ぎているため対象から外しています。

商銀信用組合(しょうぎんしんようくみあい、商銀)とは、在日韓国人信用組合協会(韓信協)加盟の信用組合の総称。中央商銀信用組合とは2007年12月25日に、横浜商銀信用組合と北陸商銀信用組合の2信組と合併して発足した。そしてこの銀行は2010年8月26日暴力団に関係する企業に融資をしていたなどとして関東財務局に銀行法に基づく業務改善命令を出されています。

そしてこの男性は、献金者名の欄には「通名」である日本名(河本善鎬氏)を記載し、職業は「会社役員」と記載されています。この男性は07年6月まで旧横浜商銀信組の非常勤理事を長年務めた。商業登記簿などによると、東京都内のパチンコ店などを経営する会社の代表取締役を務めています。河本善鎬氏の現在の役職は次のものです。

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菅総理大臣は、参議院決算委員会でただされたのに対し「指摘されている献金は私が仲人をした知り合いから、数年前、中学・高校の同級生で不動産関係の仕事をしている人として紹介された方だ。その知り合いと3人で釣りにでかけたり、数回、会食をしたこともある。献金は頂いているが、日時や金額は、現在、詳細に調査している」と述べ、指摘された人から献金があったことは認めた。

そのうえで、菅総理大臣は「日本名の方で、私は日本国籍の方だと思っており、外国籍の方とは全く承知していなかった。外国籍の方であることが確認されたら、全額を返金したい」と述べ、献金の実態を調査したうえで、外国籍であることが確認されしだい、全額返納する考えを示しました。その後、震災のどさくさにまぎれ献金を返却していた。との報道がありました。

しかし、菅総理が会社役員である事を知っているならどこの会社か知らないわけがありません。、政治収支記載書に載せなければならないわけですし。さらに、会社が商銀信用組合なら、そこの役員が日本人だと思い込む訳がありません。ましてその役員はパチンコ屋です。

また、その商銀信用組合は暴力団に関係する企業に融資をしていた為、関東財務局に銀行法に基づく業務改善命令を出されています。この男性は07年6月まで旧横浜商銀信組の非常勤理事を長年務めています。ここに注目して下さい。知らなかったとしたら、何故知らない人から気楽に104万円ものお金をもらえるのでしょうか?

完全に知っていてもらっていたのです。民主党は党員サポーターには外国人でもなれますから。韓国か北朝鮮の在日などたくさんいるのでしょう。だからパーティーなど開けば日本人より朝鮮人と親しくなってしまう可能性大です。そして仲良くなれば釣りに行ったり、会食したりなど当たり前の事なのでしょう。

菅首相は国民に平然と嘘をつき、それを通そうとし逃れようとしているのです。


皆さんここで前原元外相と同じような構図になっている事に気がつきませんか?それはヤクザとパチンコが出てくる点です。この2点で朝鮮と考えてまちがいないでしょう。そういった朝鮮との密接な癒着から民主党は「外国人に地方参政権」を与えるなどといっているのでしょう。この追求は前原元外相が辞任した直後に出てきた問題でしたが、震災の関係で置き去りにされていました。その間、菅総理は104万円をこっそり返金していましたが、震災から2ヶ月目でようやく追求の口火が切られたという事だと思います。

外国人からの献金をめぐっては、3月に前原誠司元外相が京都市内の在日韓国人女性からの献金を認め、外相を辞任。その後、滋賀県の政治団体代表らが京都地検に政治資金規正法違反罪で告発状を提出し、受理されています。

菅総理もそれなりの処罰を受け無ければならないと思います。

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天皇陛下、皇后陛下福島県お見舞い福島市→相馬市へ

本日、天皇陛下、皇后陛下が福島をご訪問されました。両陛下は午後1時頃に福島市のあづま総合体育館に入り、そこから移動され午後3時頃相馬市の小学校にはいられました。

映像では相馬市への移動映像からはじまり、中に、これまでの両陛下のお見舞いの様子を挟んで午後1時頃のあづま総合体育館のご様子、それから最後の相馬市の津波の被害のひどかった沿岸部の映像となり時系列には並んでいませんので理解した上でご覧下さい。最後に訪れた相馬市の津波の被害がひどかった沿岸部で両陛下は被害にあわれた方のご冥福を祈り深い黙礼をなさいました。映像は次のものをどうぞ。


相馬市で訪問した小学校は、福島第1原子力発電所から45kmほどの場所にあり、原発事故で自宅に住めなくなった人など、多くの人が避難している。天皇陛下は「ここの生活はどうですか」などと声をかけられた。皇后さまは、子どもの帽子を手に取られる場面もあった。天皇陛下は避難所の関係者に「くれぐれも力をあわせて」とお願いをされていました。

また最初に訪れた避難所となっている福島市のあづま総合体育館を訪問されたさいには、両陛下は、1人でも多くの人を見舞うため、体育館に入ると、すぐに二手に分かれて丁寧に声をかけられた。

皇后様は体育館の床に両ひざをつき、「ご家族は?」「お友達と?」「皆さん、お元気でいらっしゃいました?」、「お大事にしてください」などと被災者を励まされた。赤ちゃんを抱いた父親に、皇后さまは「元気で健やかに大きくなりますようにね」と話された。

天皇陛下もひざをつき、被災者に声をかけられた。

両陛下と話をした女性は、「皇后さまは、野馬追をご存じで、『野馬追、またやれるといいですね』って。そして、『元の暮らしに戻れるといいですね』と、優しいお声をかけてい­ただきました」と語った。

また、赤ちゃんを抱いた父親は皇后様に「体のことを気遣っていただいて、あとは『赤ちゃんの具合はどうですか』と。本当に優しい声をかけていただきまして、ありがとうございますという感じです­」と話した。

両陛下を案内した福島市の瀬戸孝則市長は、「第1原発の事故についても、ニュースなどでご理解されていて、非常に嘆き悲しんでおられた様子がうかがえました」と話した。

その後、両陛下は、相馬市では、津波で大きな被害を出した沿岸部を視察された。そしてその犠牲者を悼み黙礼をなさいました。

天皇陛下、皇后陛下のお見舞いにたくさんの方が元気づけられ、癒された事だと思います。両陛下の国民を思う慈愛は映像で見ている私達にも本当に良く伝わり、その思いに涙が出てきます。

いつまでもお元気でいらしゃる事を願っています。

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山形県酒田港で震災のガレキ処理提案、農家受け入れ提案

東日本大震災復興支援山形県会議(議長・吉村美栄子知事)の初会合が9日、県庁で開かれ、県が提案した建設、農業、観光の分野に関する復旧支援プランについて県内の業界団体や学識経験者が意見を交わした。喫緊の課題となっている被災地のがれき処理について、県は酒田港に集積し、再利用できる資材と処分するものに分別、再資源化できるものは復興資材として活用する案を示した。

復興作業の妨げとなっている膨大ながれき処理について、県はリサイクルポートに指定されている酒田港を拠点とするプランを提示。倒壊した建物の残骸などを船舶やトラックで酒田港に搬送、骨材などとして再利用できるものと、利用価値がなく最終処分場に回すものとに分別する。再資源化できるものは被災地に運んで利活用する内容となっている。

農業分野では、津波で農地が冠水したり農業施設が倒壊して営農できなくなった生産者の受け入れ案を示した。農作業は地域住民の連携が重要となるため、集落単位で受け入れを図るのがポイント。耕作地は遊休農地を貸すなどし、農機具や種苗を手に入れる際の費用を助成する制度を設けて負担軽減を図る。

意見交換では、がれき処理について「がれきがそのままの状態になっていては復興する気持ちがうせてしまう。早期に撤去することが必要」「再資源化できないがれきをどう処分するのか、事前に決めておかないと今後、もめることになる」との意見が出た。農家の受け入れに関し今田正夫JA山形中央会会長は「本県で農業を続けたいという人にはあらゆる支援をしていきたい」と表明した。

会議は被災地の早期復興に向け、本県が果たす役割について官民一体となって考える目的で設置した。メンバーは県幹部のほか、県建設業協会、JA山形中央会、県銀行協会、県観光物産協会など業界団体の代表と学識経験者ら25人。月1回のペースで会合を開き、国や被災地に対して施策提言していく。
山形新聞 2011年05月10日

この震災においてもあまりぱっとした支援ができないのが我が山形県ですが、このアイディアは是非実効してもらいたいと思います。まあお国柄なのですが、はっきりいえば県自体が貧乏なのです。

世界各国で大絶賛を浴びたテレビ番組「おしん」(覚えてますか?)のようなところが残っている県なのです。この未曾有の震災にも気持ちしか支援できない事は、貧乏がそうさせるものとお許し下さい。

それでも出来る限りの事はやろうと、気持ちはあるのです。それが上記のような支援案です。

  「頑張れ!岩手!宮城!福島!」です。 

 


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「いいえ・枝野です・・」が永田町で大流行

ACジャパンコマーシャルの金子みすずの「こだまでしょうか」のパロデイの替え詩がネットを中心に流れ、永田町

でも話題になっているそうです。内容は以下のものです。

「大丈夫?」っていうと、「大丈夫」っていう。

「漏れてない?」っていうと「漏れてない」っていう。

「安全?」っていうと「安全」っていう。

そうしてあとでこわくなって「でも本当はちょっと漏れてる?」っというと「ちょっと漏れてる」っていう。

こだまでしょうか。

いいえ、枝野です。

他にも「詐欺師でしょうか?いいえ枝野です」というパターンもあるそうです。

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被災者にエール-頑張れ東北

東北関東大震災に対したくさんの方面からエールが送られています。其の映像を集めてみました。被災者の方々が早く元気になりますように、願いをこめて。

皇太子様、雅子妃様、埼玉県三郷市水沼市民センター避難所訪問

フィギュアスケートチャリティーショー

大相撲技量審査会被災者へ黙祷

長渕剛 自衛隊激励ライブ

1日でも早く被災者の皆さんが「元気を取り戻しますように」!

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天皇陛下、皇后陛下岩手の被災地をお見舞い

天皇陛下、皇后陛下が5月7日に被災地の岩手にお見舞いにはいりました。避難所は釜石中学校でした。思わず泣き出した女性には優しく「大丈夫ですか?」とお声をかけられました。

そのお見舞いのさなか震度3の余震があり皇后様の近くにいた松田節子さんは思わず皇后様の手を握ってしまったそうです。皇后様は手を握られたまま周囲に「落ち着いて下さい」と声をかけられたそうです。

5月8日は「母の日」です。被災地の皆さんはこの日、国の母にしっかりと守られたのでした。本当に一日でも早く被災者の方々に元気になってもらいたいものです。天皇陛下、皇后陛下、お体を大事にしていつまでも国民を守って下さい。
映像はこちらをどうぞ。

天皇陛下、皇后陛下のお声入り映像。

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自衛隊の捜索現場襲う惨事ストレス-「もう限界。家に帰して…」

泥にまみれて行方不明者の捜索を続ける自衛隊員。凄惨な現場での活動で惨事ストレスを受けている恐れもあるという。東日本大震災で被災地に派遣され、遺体の捜索・収容作業に当たっている自衛隊員や海上保安官、警察官の「心のケア」が課題となり始めている。これまでに1万人近い遺体を収容するなど奮闘してきたが、一方で凄惨(せいさん)な現場で受けた精神的ショック(惨事ストレス)から心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状を訴えたり、奇行に走るケースも出ており、各省庁では惨事ストレス・ケアに乗り出した。

 「もう限界です。家に帰していただけませんか」

西日本の部隊に所属する陸上自衛隊の30代の男性自衛官は、部下の切実な訴えに接するたび、心に重圧がのしかかる。震災直後に被災地入りし、数十人の部下と続けたテント暮らしはまもなく2カ月を迎える。主な任務は沿岸部での遺体の捜索活動。これまでに数十人の遺体を収容、自治体などに引き渡した。

住宅のがれきの下では、全身に傷を負った親子とみられる若い女性と5~6歳ぐらいの女の子の遺体を発見していた。「もしこれが自分の妻と子供だったら…」。思わずつぶやいた同僚は、夜になるとテントの中でうなされていた。

春を迎えて日中の気温が上昇し、日を追うごとに発見される遺体の損傷は進んでいる。交代もままならず、「精神的にまいってしまい、前線を離れる隊員が多くなった」。「幼い亡骸(なきがら)を目にすると、わが子とダブってたまらない…」(SANKEI EXPRESS)

私の息子も自衛隊員としてこの震災に災害派遣を行っていますが、その問題は少し気に掛けていました。息子は3月11日に震災がおきてからすぐ災害派遣の準備を始め、次の日から被災地に向いました。そしてそのまま5日間作業をし5日目の夕方駐屯地に帰って来て、その日は駐屯地から外出禁止、そしてその次の日は1日休み、またその次の日の朝から派遣現場に向うというシフトでした。もちろんそのローテーションなので日曜や休日は関係なくシフトはきちんと守られていました。

そしてみなさんご存知かどうか、宿営地にテントを張り、4人ひと組で迷彩服を着たまま寝袋に入って寝ています。食事は冷たい缶詰のご飯と缶詰のおかずだったそうです。暖かい食事を作ってもそれは被災者の為であり、暖かいお風呂を沸かしても被災者のためであり、息子達は5日間風呂には入らないシステムだそうです。災害から1ヶ月を過ぎやっと暖かいご飯やおかずになってきたそうです。そういう事に文句をいうつもりはありません。自衛隊とは「国民の負託に応える」存在であるからです。

しかし自衛隊精神に押し込まれた個人的感傷や、苦悩はどうなってしまうのでしょうか?以前(4月11日のブログをどうぞ)自衛隊駐屯地であった家族説明会でもいわれたのですが、災害派遣が長引いてくるとメンタルの部分で問題が生じてくるとは言われていました。今現在3月11日発生した大震災からもう2ヶ月弱になろうとしています。

そしてテレビでは比較的きれいな災害映像が出ていましたが、実際の被災地の海、といっていいのか水の引かない所には真っ黒になった亡骸がその海を遥か彼方まで埋め尽くし浮かんでいたようです。さながら「黒い海」のようだったそうです。そして亡骸が松の木に折れ曲がって引っかかっていたり、これ以上は書きませんが、映像の何百倍もの悲惨な光景を見る事になった自衛隊や警察官や海上保安官達は、今ちょうどこのストレスが充満した時点なのだと思います。

自衛隊家族説明会では、ストレスは当然の事で、時間の経過とともに半減していくものだと説明を受けました。しかし、このいつまで続くかわからない現状で、時間の経過とはいつからの事なのでしょうか?泣き言を言わないのが自衛隊です。そしてこの悲惨な現状はなんとしても助けなければいけない!それは事実です。

しかし自衛隊員を息子に持つ父は、この長い災害派遣において「息子」の事が心配になってきたのです。そしてこの災害派遣にかかわる父や母、夫、兄弟をもつ家族は皆同じ気持ちではないかと思うのです。

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秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」part2

もう一名、特攻で亡くなられた秋田県の方を紹介します。

海軍少尉 高橋正(20歳)様 秋田県秋田市外旭川朝鮮
昭和20年4月12日 神風特別攻撃隊第28幡護皇隊艦攻隊員(30名)として沖縄周辺海上敵艦船群に体当たり攻撃を敢行す。搭乗機は「彗星」

      「遺筆 両親への手紙」(出来るだけ変えずに現代語訳にしました)

      命があったら又書こうと思います

拝啓 永い事ご無沙汰致し本当に申し訳ありません。夏も終わりに近づき朝夕涼しい風が吹き始めました。其の後父上様、母上様、多栄子には益々ご健勝にて毎日をお過ごしの事と存じます。私も元気いっぱいにて頑張っております。長かった訓練時代も終わりに近づき、今や出撃命令を待つばかりになりました。1年数ヶ月と云えば短いようで永い月日でした。戦場は南になるか北になるかわかりませんが、一たん出撃の暁は大いに敵さんをやっつける覚悟です。

海山より深く高き御両親の御恩生まれて20年の今、しみじみと有難く感じております。今迄の御恩どう御礼申し上げてよいやら御礼の言葉がありません。この御恩は決してわすれません。物も無い金も無い吾々搭乗員には、敵機撃破、敵艦轟沈の腕が唯一の財産です。こんどこそ万分の一の御恩返しが出来ると思っています。これが私の最初のそして最後の御恩返しかもしれません。

生を受けなつかしの故郷を遠く幾百里、知った人も肉親もおらぬ日本の涯に来てしみじみと肉親の有難さが身にしみます。しかも欲も希望もゆるされません。吾々搭乗員はすべての私情をすてて大義の道に生きねばなりません。お父上様もお母上様もきっとゆるして下さると信じています。私は愛機に身をたくし、毎日毎日黎明より薄暮まで遠い数百里の彼方迄、太平洋上を飛んでおります。男と生まれた生き甲斐を痛切に感じます。身は太平洋の藻くづとなるも何の悔ゆるところなしです。私は私の最大の働きをする覚悟です。戦地勤務になりますればもう便りも出されんでしょうが極力消息はお知らせするつもりです。私はいつも元気で働いていると思って下さい。

お父様の御病気の様子は私にはわかりかねますが早くご快復下さいます様十分の御養生をお進め致します。
出陣前に一度ゆっくりとお話し致したいと思いましたがあきらめました。
お父上様、お母上様、多栄子さんの面影を頭に刻んで勇躍基地に向います。前線出撃は死の第一歩です、命があったら又書こうと思います。乱筆乱文おゆるし下さい                      敬具     忠

父上、母上様

私は涙なしにこの文章を写す事ができませんでした。そしてこれだけの資料を調べられたM氏の情熱は並大抵ではないと思いました。特攻隊の彼らは皆、靖国神社に奉られています。しかし秋田県人が秋田県の先人に対し、これだけの畏敬の念と哀悼を持つ事は本当に素晴らしい事だと思います。

そしてさらに重要な事は特攻隊として出撃していった彼らの事です。チャンネル桜のキャスターの三輪和雄氏は次のように仰っていました。「どこの国にだって自分の国の為に死ぬという人はいる。(中国はわからないが)しかし他の国の人は、死ぬとはいうもののどこかで生き残れるという思いがある。しかし、特攻隊だけは必ず死ぬ。公の為に死ねるのは日本の特攻だけである。今現在、日本は世界になめられている。しかしこれ以上なめられないのは、ある一線を越えると日本人は最後は戦ってくると思っているからだ。現在の外交にもまだ特攻隊の見えない遺産があるのだ。そしてそういった精神は今日の大震災のさなかの日本人の行動の中にも見る事ができた」と。

私達の先人-特に特攻隊員の若い若い方々の日本を思うその心に、今の私達は対面する事が出来ないと思います。政治は今、戦後最低の首相である菅総理がやっています。マスコミは朝鮮放送だか、中国放送だかわからない状態です。思えば三島由紀夫氏は昭和45年時にもうこの事態がわかっていたのでしょう。

今、私達を支えているのは、天皇陛下、皇后陛下と自衛隊、そして左傾化していない日本人の精神だけだと思います。私達は戻らなければいけないと思います。いまこそ復興するのではなく「真正日本」に復活するまさにその時期ではないか!と私は思います。

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秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」

4月29日(金)に秋田県総社神社で行われた「秋田県特別攻撃隊招魂祭」に行ってきました。これは4月23日に予告を入れた行事です。当日の秋田は晴々とした明るい日差しのある日でしたが風が強く、少し肌寒い1日でした。
1式典はM氏の立てた慰霊碑の前で行われました。正午から式典が始まる予定になっていました。式典にはこの特攻に関わられた親族の方、また生きて戻られた方、またそういう歴史に造詣の深い方、チャンネル桜のキャスターの方々(三輪和雄氏、西村幸祐氏、小山和伸氏、富岡幸一郎氏、葛城奈海氏)が参列されました。この式典に合わせて昭和天皇御誕生記念祭も同時に行われました。2
式次第は昭和天皇武蔵野御陵遥拝に始まり、国家斉唱、神事、大西中将遺書朗読、玉串拝礼、昇神で神事を終わり、皆で聖寿万歳を叫び、「海ゆかば」を合唱して終わりました。

式典の中にある大西中将とは大西瀧治郎海軍中将の事であり、戦争末期第一航空隊司令長官として、神風特攻隊を指揮。終戦直後、その責任をとり次長官舎で割腹自殺した方の事です。そしてその責任とは敗戦の責任ではなく、多くの花も実もある将来のある若者を自分の命令により死においやってしまった事に対する懺悔と哀悼と思われます。大西中将遺書とは次のものです。
[特攻隊の英霊に曰す 善く戦いたり 深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり 然れ
共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青壮年に告ぐ、我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副ひ奉り自重忍苦するを賊ともならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ。諸子は國の寶なり、平時よ慶し、猶ほ克く特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の和平為最善を盡せよ。特攻隊の立派な霊たちに告げる]

現代語訳
今までよく戦ってくれた…ありがとう… 心から君たちに感謝する。君たちは日本の最期の勝利を信じて、肉の玉として散って行った… しかし…君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった… 私は自らの死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。
   
次にこれからを生きる戦後の日本青少年たちに告げる。私の死は軽々しい行動を取り、利敵行為となってしまうから。私の死は陛下の尊い決断に従ったものだ。だから、これが自らへの戒めだと思ってくれれば嬉しい。戦後を生きる日本人たちよ、これから苦しい時代を生きるだろう… だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。日本の子供たち!君たちは「日本という国」の宝だ。どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という特攻精神を持ち続け、日本全民族の福祉と、世界の平和の為に…最善を尽くしなさい。

3この後、場所を「ふみき会館」に移しチャンネル桜のキャスターの方を中心に今日の招魂祭についての感想とこれからの日本についてのシンポジウム「日本を守るという事!」闘論!倒論!討論!in秋田が行われました。会場にはすでにこのシンポジウム参加者が待っていてかなりの盛況でした.

そしてチャンネル桜のキャスターの方は皆一様に、先の大戦において亡くなった方を祭る式典はたくさんあるが、この秋田のように特攻隊員のみを慰霊しているのは、たいへん珍しい事だし、素晴らしいことだ。そしてそれが20年という長さで行はれているのは秋田県人の祖先を敬う素晴らしい特性だと盛んに褒めていました。4
私はこのすべてがM氏の思いから始まっている事に感動してしまいました。そしてM氏の息子さんに「秋田県の特攻隊員」という1冊の本を頂きました。その本により今日ある式典はM氏が昭和48年に会社の取締役会で秋田県の戦没者の顕彰を社業として実施する事を決議した事にはじまっている事を知りました。その思いをM氏が皆に提案した事も、それを決議した事も、それをやり遂げた事もすべてM氏の深い特攻隊員達に対する哀悼であると改めて思いました。

そしてその本の中から特攻として亡くなられた秋田県の方々を少しだけ紹介致します。

海軍中尉 植村正次郎(26歳)様 秋田県本庄市鍛治町
昭和20年3月21日 第一神風桜花特別攻撃隊神雷攻撃隊員(160名)として本土南方海面の正規航空母艦六を基幹とする敵機動部隊に対して必死必殺の体当たり攻撃を敢行する。

      「遺筆 妻への手紙」(私が現代語訳にしました。本文は旧仮名づかい等になっています)

      俺の気持ちはお前がよく知っている
      
今までいろいろ苦労をかけた。俺ばかりわがままをして、お前に楽をさせる事もなく、何処へも連れて行かず、いつもいつも貧乏ばかり、よくやってくれた、感謝する。今度は生還できないと思うが芳之を頼む。ぼんぼう(方言で子供の事)だけど、それだけ頼りにもなる。義姉さんと仲良く相談して、うまくやってくれ。俺の気持ちはお前が良く知っている事と思う。(この文章の事)見たら焼け。口で言えば涙がでる。さようなら。   夫。
妻へ。

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東京電力福島第1原発の復旧志願-昭和の技術者達

2011年4月29日のスポーツ報知に次のような記事が載りました。

定年技術者ら40人「原発で働かせて」…復旧ボランティア志願

東京電力福島第1原発の危機を回避するべく、還暦を過ぎた元技術者たちが、ボランティアでの復旧作業を志願している。プロジェクトには28日までに、女性を含む約40人が参加を表明。高濃度に汚染された原発内部で、被ばく量限度を超えての作業も辞さない意気込みだ。

発起人の山田恭暉(やすてる)さん(72)は「若いやつらに行かせるわけにはいかない。俺たちは死んだってたいしたことはない」と死を恐れず、原発に立ち向かう。顔には深いシワが刻まれているが、眼光は鋭い。山田さんは命を賭する覚悟を口にした。「なーに、死んだってたいしたことないよ。子どもも成人した世代だし。東電や政府の悪口を言っても、何も解決しない。切り込んでいかなきゃ」

原発の事故現場で作業する60歳以上の高齢者(主に元技術者)を募る「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」が誕生したのは、震災から約10日後。60年安保闘争で、運命を共にした元技術者らが集う会合の場だった。
原発の専門知識を持つ数人で意見を出し合い、「高濃度に汚染された場所で、技術者が3~4時間続けて作業して、10年間は作動する冷却装置を設置するしかない」との結論に至った。ならば、誰がやるか? 「俺たちがやるしかない―」。異を唱える者はいなかった。

4月上旬から友人、知人、関係者にメール500通、郵便2000通を出して募集。すでに「行動隊」には約40人の志願者が集まっている。活動を支援する「応援隊」(年齢制限なし)は200人を超えた。志願者の中には数人の女性もいる。佐々木和子さん(72)は「話を聞いた瞬間に『我が意を得たり』と。すぐ決意しました」と語る。90年代、チェコで原発の廃炉計画を進める際、通訳として働いた経験を生かすつもりだ。「もう十分に人生は楽しんだから。家族は反対しないかって? 夫も行くつもりだから大丈夫」

ほかにも最高齢の78歳男性を筆頭に、火力発電所での勤務経験者、大学教授、配管工と多彩なメンバーが名を連ねる。ある70代男性は「神風特攻隊とは違う。論理的、合理的に手助けをする」と静かに決意を語っている。
東大工学部在学中に安保闘争に参加し、逮捕された経験もある山田さんは卒業後、住友金属に技術者として勤務。「40代の頃は、(自社事業に取り入れるため)東海村で原子炉構造を勉強しました」。知識と経験を、人生の集大成として総動員する。

ただ、計画を実行に移すには東電と政府の了解が必要になる。山田さんはすでに約20人の国会議員に嘆願。政府筋にも働きかけている。プロジェクトの骨子を英仏独などの外国語に翻訳し、ツイッターなども駆使して海外に訴える作業も開始した。
 
「これは第2の戦後です。世論を動かして、絶対に戦いたい」

この記事をご覧になったたくさんの方もいられると思います。そしてどのように感じたのでしょうか?
彼らは死を意識したうえで、日本を救おうとしているのです。もちろん元技術者だったので、安全第一で作業は進められるのでしょうが、もしも死にいたっても構わないという考えがわかります。佐々木和子さん(72)は、「もう十分に人生は楽しんだから」と語っています。「崇高な精神」としかいいようがありません。

この震災において私達は、数々の市井の方の美徳をみる事になりました。津波警報を最後まで放送して、自分は津波にのまれて亡くなった女性(宮城県南三陸町で、防災無線で住民に避難を呼びかけ続けた町危機管理課の遠藤未希さん(24)の事。遠藤さんは震災発生時、防災対策庁舎2階の放送室から、「高台に避難してください」と繰り返し防災無線で呼びかけていた。津波が迫ったため放送室を出た後、庁舎が津波にのまれ、行方が分からなくなった)、また町民へ高台の非難を呼びかけ周り、殉職された十数名の警察官の方々。会社に研修に来ていた中国人を非難させ自分は津波にのまれてなくなった方。日本人には「無私」の心がいまだにあったのです。戦後64年を経ても日本人はやはり日本人だったのです。

そして私はこれだけ民度の高い国民性を持つ日本人が、何故いつも「ぴんぼけ」のような政治家を生み出すのか?それが不思議でしょうがありません。もう市井の人は充分に頑張っている、その中には福島第1原発で今もって努力している作業員の方々も含まれています。そしてこの無私の善意は菅総理の心に、いや民主党に、いや国会議員に届くのでしょうか?

はからずも菅総理が福島第一原発周辺の住民らが避難する福島県田村市の市総合体育館に視察にいったさい、葛尾村からの非難住民に怒りに震えた口調で言われた「1日でも早くこの原発を抑えて下さい」はまだ覚えているのでしょうか?

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