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秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」part2

もう一名、特攻で亡くなられた秋田県の方を紹介します。

海軍少尉 高橋正(20歳)様 秋田県秋田市外旭川朝鮮
昭和20年4月12日 神風特別攻撃隊第28幡護皇隊艦攻隊員(30名)として沖縄周辺海上敵艦船群に体当たり攻撃を敢行す。搭乗機は「彗星」

      「遺筆 両親への手紙」(出来るだけ変えずに現代語訳にしました)

      命があったら又書こうと思います

拝啓 永い事ご無沙汰致し本当に申し訳ありません。夏も終わりに近づき朝夕涼しい風が吹き始めました。其の後父上様、母上様、多栄子には益々ご健勝にて毎日をお過ごしの事と存じます。私も元気いっぱいにて頑張っております。長かった訓練時代も終わりに近づき、今や出撃命令を待つばかりになりました。1年数ヶ月と云えば短いようで永い月日でした。戦場は南になるか北になるかわかりませんが、一たん出撃の暁は大いに敵さんをやっつける覚悟です。

海山より深く高き御両親の御恩生まれて20年の今、しみじみと有難く感じております。今迄の御恩どう御礼申し上げてよいやら御礼の言葉がありません。この御恩は決してわすれません。物も無い金も無い吾々搭乗員には、敵機撃破、敵艦轟沈の腕が唯一の財産です。こんどこそ万分の一の御恩返しが出来ると思っています。これが私の最初のそして最後の御恩返しかもしれません。

生を受けなつかしの故郷を遠く幾百里、知った人も肉親もおらぬ日本の涯に来てしみじみと肉親の有難さが身にしみます。しかも欲も希望もゆるされません。吾々搭乗員はすべての私情をすてて大義の道に生きねばなりません。お父上様もお母上様もきっとゆるして下さると信じています。私は愛機に身をたくし、毎日毎日黎明より薄暮まで遠い数百里の彼方迄、太平洋上を飛んでおります。男と生まれた生き甲斐を痛切に感じます。身は太平洋の藻くづとなるも何の悔ゆるところなしです。私は私の最大の働きをする覚悟です。戦地勤務になりますればもう便りも出されんでしょうが極力消息はお知らせするつもりです。私はいつも元気で働いていると思って下さい。

お父様の御病気の様子は私にはわかりかねますが早くご快復下さいます様十分の御養生をお進め致します。
出陣前に一度ゆっくりとお話し致したいと思いましたがあきらめました。
お父上様、お母上様、多栄子さんの面影を頭に刻んで勇躍基地に向います。前線出撃は死の第一歩です、命があったら又書こうと思います。乱筆乱文おゆるし下さい                      敬具     忠

父上、母上様

私は涙なしにこの文章を写す事ができませんでした。そしてこれだけの資料を調べられたM氏の情熱は並大抵ではないと思いました。特攻隊の彼らは皆、靖国神社に奉られています。しかし秋田県人が秋田県の先人に対し、これだけの畏敬の念と哀悼を持つ事は本当に素晴らしい事だと思います。

そしてさらに重要な事は特攻隊として出撃していった彼らの事です。チャンネル桜のキャスターの三輪和雄氏は次のように仰っていました。「どこの国にだって自分の国の為に死ぬという人はいる。(中国はわからないが)しかし他の国の人は、死ぬとはいうもののどこかで生き残れるという思いがある。しかし、特攻隊だけは必ず死ぬ。公の為に死ねるのは日本の特攻だけである。今現在、日本は世界になめられている。しかしこれ以上なめられないのは、ある一線を越えると日本人は最後は戦ってくると思っているからだ。現在の外交にもまだ特攻隊の見えない遺産があるのだ。そしてそういった精神は今日の大震災のさなかの日本人の行動の中にも見る事ができた」と。

私達の先人-特に特攻隊員の若い若い方々の日本を思うその心に、今の私達は対面する事が出来ないと思います。政治は今、戦後最低の首相である菅総理がやっています。マスコミは朝鮮放送だか、中国放送だかわからない状態です。思えば三島由紀夫氏は昭和45年時にもうこの事態がわかっていたのでしょう。

今、私達を支えているのは、天皇陛下、皇后陛下と自衛隊、そして左傾化していない日本人の精神だけだと思います。私達は戻らなければいけないと思います。いまこそ復興するのではなく「真正日本」に復活するまさにその時期ではないか!と私は思います。

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