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秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」

4月29日(金)に秋田県総社神社で行われた「秋田県特別攻撃隊招魂祭」に行ってきました。これは4月23日に予告を入れた行事です。当日の秋田は晴々とした明るい日差しのある日でしたが風が強く、少し肌寒い1日でした。
1式典はM氏の立てた慰霊碑の前で行われました。正午から式典が始まる予定になっていました。式典にはこの特攻に関わられた親族の方、また生きて戻られた方、またそういう歴史に造詣の深い方、チャンネル桜のキャスターの方々(三輪和雄氏、西村幸祐氏、小山和伸氏、富岡幸一郎氏、葛城奈海氏)が参列されました。この式典に合わせて昭和天皇御誕生記念祭も同時に行われました。2
式次第は昭和天皇武蔵野御陵遥拝に始まり、国家斉唱、神事、大西中将遺書朗読、玉串拝礼、昇神で神事を終わり、皆で聖寿万歳を叫び、「海ゆかば」を合唱して終わりました。

式典の中にある大西中将とは大西瀧治郎海軍中将の事であり、戦争末期第一航空隊司令長官として、神風特攻隊を指揮。終戦直後、その責任をとり次長官舎で割腹自殺した方の事です。そしてその責任とは敗戦の責任ではなく、多くの花も実もある将来のある若者を自分の命令により死においやってしまった事に対する懺悔と哀悼と思われます。大西中将遺書とは次のものです。
[特攻隊の英霊に曰す 善く戦いたり 深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり 然れ
共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青壮年に告ぐ、我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副ひ奉り自重忍苦するを賊ともならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ。諸子は國の寶なり、平時よ慶し、猶ほ克く特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の和平為最善を盡せよ。特攻隊の立派な霊たちに告げる]

現代語訳
今までよく戦ってくれた…ありがとう… 心から君たちに感謝する。君たちは日本の最期の勝利を信じて、肉の玉として散って行った… しかし…君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった… 私は自らの死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。
   
次にこれからを生きる戦後の日本青少年たちに告げる。私の死は軽々しい行動を取り、利敵行為となってしまうから。私の死は陛下の尊い決断に従ったものだ。だから、これが自らへの戒めだと思ってくれれば嬉しい。戦後を生きる日本人たちよ、これから苦しい時代を生きるだろう… だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。日本の子供たち!君たちは「日本という国」の宝だ。どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という特攻精神を持ち続け、日本全民族の福祉と、世界の平和の為に…最善を尽くしなさい。

3この後、場所を「ふみき会館」に移しチャンネル桜のキャスターの方を中心に今日の招魂祭についての感想とこれからの日本についてのシンポジウム「日本を守るという事!」闘論!倒論!討論!in秋田が行われました。会場にはすでにこのシンポジウム参加者が待っていてかなりの盛況でした.

そしてチャンネル桜のキャスターの方は皆一様に、先の大戦において亡くなった方を祭る式典はたくさんあるが、この秋田のように特攻隊員のみを慰霊しているのは、たいへん珍しい事だし、素晴らしいことだ。そしてそれが20年という長さで行はれているのは秋田県人の祖先を敬う素晴らしい特性だと盛んに褒めていました。4
私はこのすべてがM氏の思いから始まっている事に感動してしまいました。そしてM氏の息子さんに「秋田県の特攻隊員」という1冊の本を頂きました。その本により今日ある式典はM氏が昭和48年に会社の取締役会で秋田県の戦没者の顕彰を社業として実施する事を決議した事にはじまっている事を知りました。その思いをM氏が皆に提案した事も、それを決議した事も、それをやり遂げた事もすべてM氏の深い特攻隊員達に対する哀悼であると改めて思いました。

そしてその本の中から特攻として亡くなられた秋田県の方々を少しだけ紹介致します。

海軍中尉 植村正次郎(26歳)様 秋田県本庄市鍛治町
昭和20年3月21日 第一神風桜花特別攻撃隊神雷攻撃隊員(160名)として本土南方海面の正規航空母艦六を基幹とする敵機動部隊に対して必死必殺の体当たり攻撃を敢行する。

      「遺筆 妻への手紙」(私が現代語訳にしました。本文は旧仮名づかい等になっています)

      俺の気持ちはお前がよく知っている
      
今までいろいろ苦労をかけた。俺ばかりわがままをして、お前に楽をさせる事もなく、何処へも連れて行かず、いつもいつも貧乏ばかり、よくやってくれた、感謝する。今度は生還できないと思うが芳之を頼む。ぼんぼう(方言で子供の事)だけど、それだけ頼りにもなる。義姉さんと仲良く相談して、うまくやってくれ。俺の気持ちはお前が良く知っている事と思う。(この文章の事)見たら焼け。口で言えば涙がでる。さようなら。   夫。
妻へ。

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