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伝説の名馬-「ブロードアピール」

皆さんは伝説の競走馬「ブロードアピール」をご存じだろうか?まずはこの馬を一躍有名にした2000年5月14日のダート戦栗東ステークス(ダート1200メートル)をご覧ください。

ダートコースとは競馬やモータースポーツなどで利用される土や砂が細かく敷かれた走路のことである。そしてこの「ブロードアピール」はダートの短距離(1600m位)に強かった。

「ブロードアピール」は1994年4月13日生まれの牝馬(ひんば)メス馬だ。普通メス馬は2歳頃から試合に出場し6歳位で引退する。しかしこの馬は調教の遅れにより4歳=1998年で初出場している。そして2000年の栗東ステークスで有名となる。「ブロードアピール」6歳となる。

そして「ブロードアピール」の名を永遠にとどめる事となったのが第14回2000年11月12日の根岸ステークスである。騎手は武幸四郎。そのレースは最後方からのスタートとなり、先頭が残り400メートルの標識を通過する直前まで最後方に位置していたが、そこから後に鬼脚と呼ばれる14頭抜き去る末脚を見せつけ勝った。その映像は次のものをどうぞ。

小さなストライド(歩幅)からのピッチ走法で、ダートでの強烈な追い込みをかけるのが有名だ。しかも栗東ステークス、根岸ステークス共に牡馬(オス)を含めてのレースだし、人間でいえば40代の馬だ。それが並み居るオスの若手を猛追して追い抜くのだ。スカッとする。

「ブロードアピール」はその後2002年のドバイゴールデンシャヒーンにも参戦し、5着という戦績を残して引退した。

生涯成績 中央競馬32戦12勝  地方競馬3戦1勝  日本国外1戦0勝。引退後はノーザンファームで繁殖牝馬として繋養されている。昨年息子のブロードソードが11月17日の第5回京都競馬場の5日に初勝利を上げている。

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日本の裏社会~政治とヤクザ 田中慶秋氏

田中慶秋法務相・拉致問題担当相の辞任が確実になった。これは「週刊新潮」10月18日号の記事が発端となっている。

タイトルは「前代未聞のスキャンダル田中慶秋と暴力団の癒着」だ。もう読んだ読者には申し訳ないが以下抜粋をさせてもらう。

日が傾くと、町は猥雑な相貌を見せ始める。居酒屋、バー、キャバレー、トルコ風呂などが軒を連ねる横浜・福富町。その一角にある高級クラブの店先に、黒いスーツをまとった十数人のいかめしい男たちが整列していた。丁寧に磨き上げられた黒塗りの高級車が一台、また一台と停車し、後部座席から「幹部」らしき人物が降りてくる度、男たちは緊張した面持ちで腰を折る。残照の中、いつしか高級クラブの前の通りには黒塗りの車が行列を成していた。

日が完全に暮れ、街に沿って流れる大岡川にネオンが映える頃合い、高級クラブを借り切って催される宴はすでに始まっていた。主催者はさる大物暴力団組長。参加者は組の幹部、組員だけではなく、普段から組と付き合いのある港湾、建設、不動産関係者の姿もあった。そんな宴の最中「ただいまご紹介にあずかりました……」と、挨拶したのは、田中慶秋議員その人だった。

神奈川県議を長くやった慶秋が国会議員になったばかりの頃だったと思うから、今から30年ほど前の事だな。当時、その暴力団組長は福富町のクラブで新年会とか忘年会をやっていて慶秋はそこに呼ばれて挨拶をしたわけだ。私もその場にいて彼の姿を見たが、挨拶だけじゃなくて、会の最後のほうまでいたはずだ」

振り返るのは田中氏のことを知る暴力団関係者。「暴排条例どころか、暴対法(=暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、平成3年法律第77号)もまだなくて、ヤクザと業者と政治家が一体になっていろいろできた時代だった。別に慶秋をかばうわけじゃないが、暴力団の宴席に出たといっても30年も前の話。もう時効だろ?」いや、時効どころか、その後も田中氏と暴力団の癒着は脈々と続いた。


上記で書かれている「さる大物暴力団組長」とは構成員5000人を誇る指定暴力団稲川会系の組長だ。田中氏は別の稲川会のたくさんの幹部とも親しかったそうだが、中でも「極めて親密だった」のが三田忠充氏だ。彼はヤクザというだけではなく、神奈川県で一、二を争う右翼団体=菊水國防連合の会長でもあった。

ここでヤクザと右翼団体は矛盾すると思われる方もいると思うので少し説明すると、暴対法が施行され始めた時にヤクザはそのままでいることができずに政治団体である右翼団体に逃げたためである。また一方の右翼団体(=街宣右翼)は日本の事を思う人達の集団ではなく、日本を誇りとする右翼とはこんなに馬鹿げた迷惑なものだよと宣伝する機関だからだ。新宿などに街宣車でのりつけスピーカーでがなる人達は周りの迷惑も考えず完全に日本を貶めている。

話を戻す。そしてこの三田氏とはいったいどんな関係であったかというと三田氏が結婚する際に仲人をしたのが田中議員だった。そしてこの蜜月はかなり続いていて、田中氏が十数年前「女性問題」に関する情報が地元で出回ったことがあった。それを嗅ぎ付けたある右翼団体が田中氏に抗議文を送った。すると三田氏が出てきて「田中議員は俺の媒酌人を務めた人だから、俺の顔に免じてゆるしてくれ」と頼んだそうだ。その右翼団体は三田氏の顔をたて、それ以上動くことはなくなったそうだ。

要するに田中氏やその周辺で何かトラブルが起きると三田氏が登場して処理にあたっていた。が、暴排条例がきびしくなるにつれ、一昨年に田中氏のほうから一方的に、二人の関係を切ろうとし、三田氏が怒り仲違いが起こった。三田氏はその頃すでに持病が悪化していて昨年7月に亡くなってしまった。「最後に裏切った田中氏を恨んでいたのでははないでしょうか」(先の稲川会関係者)

上記のように政治とヤクザは実は深い関係があるのだ。というより政界、財界、裏社会はすべて癒着している。そしてそこには、政財界と裏社会を結ぶ『闇のフィクサー』と呼ばれるどちらにも顔の利く人物がいるのだ。バブル崩壊までは「許永中」(日本名、野村永中-のむら えいちゅう、あるいは藤田永中、在日韓国人。現在服役中)がそうだ。許永中と特に関係が深い議員は自民党の久間章生氏、国民新党の亀井静香氏、新党大地の鈴木宗男氏などが知られる。しかしこういった関係は政治家に限らない。経済界とも、官僚の世界とも繋がっている。

また、政治家とヤクザとの親密な関係でいえば、小泉純一郎元首相と稲川会との親密交際が知られている。小泉氏の選挙対策本部長である竹内清(前神奈川県議会議長)は稲川会横須賀一家の系列組員であり、石井隆匡と非常に親しく、上下関係の厳しいヤクザの世界にあって葬儀で最初に焼香するなど、肩書きこそ堅気という事になってはいたが非常に密接な関係であった。小泉父子の選挙区であり、横須賀一家の本拠地でもある神奈川県横須賀市では、両者の結びつきはきわめて強い。

また、現在野田第3次改造内閣で財務大臣になった城島光力氏も、2009年の衆院選挙の際に、稲川会系暴力団のフロント企業から応援を受けていたことが、「週刊文春」の取材で判明している。城島氏が09年の選挙戦を戦った神奈川10区(川崎区など)には、指定暴力団・稲川会の中枢を占める二次団体・山川一家の本部がある。今回城島氏の応援をしていた稲川会系暴力団のフロント企業には、10月9日に逮捕された山川一家三代目総長・内堀和雄容疑者の親族も役員に名を連ねている。この大臣については問題しされていないが、これでいいはずがない。

暴排条例が施行された現在、政治家の権力を利用し便宜をはかり、見返りに金をもらうという手法も、闇のフィクサーに群がるという手法も政治家にとっては危険極まりない。

しかし今もって裏社会は政治家を必要とし、政治家も実は裏社会を完全に排除することはできないのである。

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何故!今も中国にODAを続けるのか!

尖閣諸島周辺の日本領海に3日、中国国家海洋局所属の海洋監視船「海藍」3隻が侵入した。中国公船の領海侵入は2日連続で尖閣国有化後は5回目だ。3日午前には、日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国農業省漁業局所属の漁業監視船「魚政」の乗組員が、操業中の中国漁船2隻に一時乗り移り、この海域に中国の主権が及ぶ事を主張するパフォーマンス-立ち入り検査をした。

第11管区海上保安本部(沖縄市)によると、「海藍」3隻は3日午後0時35分から55分頃にかけ日本の領海に侵入。海上保安庁の警告に対して、「貴船は中国の領海に入っている。航行を妨害せず、領海から出なさい」と逆に警告してきた。

日本の海上保安庁は中国公船の「立ち入り検査」とみられる行動に「漁業に関する管轄権を行使しているのであれば認められない」と警告すると「魚政」は「ここは中国の管轄海域。正常な公務を行っている」と応答してきたという。

中国は反日デモの中でデモだけではなく、日本人への暴行、イオンにみられる日本の建物の破壊、そして物品の略奪を行った。もはやこれはデモではなく泥棒、強盗だ。それを何故日本政府はつかないのか!壊されて、盗まれてそれでいいのか!

中国が日本を抜いてGDPで第2位になったのは誰のおかげなのか!中国の発展を支えてきたのは日本ではないか!ODA(政府開発援助)は、日中国交正常化後の1979年から今日まで33年間途切れる事なく続いてきた。そのODAなる資金はすべてわれわれ日本人の税金が原資となっているものだ。そしてその額は膨大で2008年までで、3兆6000億円がつぎ込まれた。

おかげで中国のGDP(国内総生産)は大幅に伸び2008年に一部が終了するなど見直されたが、それは円借款(有償資金協力)が終わっただけで「無償資金協力」と「技術協力」はその後も続いたままだ。

ODAとは外務省が主導して日本単独で行う二国間援助のことで、もう一度いうが2008年までで3兆6000億円が中国につぎ込まれた。もちろん中国が日本に援助することなどない。そし有償資金協力がなくなり、返さなくてもよい「無償資金協力」と「技術協力」は今も続いているのだ。かつてあの貧乏な中国を日本は深い慈愛だか、陰謀だかわからないがとにかくよく面倒をみた。

だが「親の心、子知らず」のように中国は日本を脅すりっぱな(?)ヤクザに成長した。

「無償資金協力」は文字通り返済義務がない。「技術協力」は研修員の受け入れや中国への技術専門家の派遣などのことをいう。

外務省によると、10年度「無償資金協力」は14.7億円、「技術協力」は34.7億円だそうだ。さらに11年度「無償資金協力」は7.2億円、「技術協力」は30.6億円だそうだ。1979年からの累計にすると、「無償資金協力」は1565億円、「技術協力」は1769億円にものぼっている。

ODAのほか、国際機関を通じた「多国援助」というのもあり、日本が最大出資国の「アジア開発銀行」を介した対中融資は昨年末現在で約2兆202億円が行われている。そのうちの出資比率から計算すると日本からは3198億円が渡っている。そのほか環境省や文部科学省などの各省庁も中国と共同事業を行っていて、これらすべてを合計すると6兆円を超える規模になる。

極貧の中国を誰が今の近代的中国にしたのか!日本は感謝されるべき存在であるはずだ!恩をあだ返す中国は、「南京大虐殺」だの東シナ海のガス田開発だのといった無礼千万だ!そして今また尖閣だ。

私達はこのヤクザ国家にまっとうな人として抗議しなければいけない!

この泥棒に物をくれるような対中ODAと技術協力は止めてもらいたい!

皆さん、是非このODAと技術協力を止めるよう外務省に電話をしましょう!

外務省の電話番号は03-3580-3311です。是非抗議の電話を!
              

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「第62回全日本新体操選手権大会」の青森大学の演技-世界で大絶賛

現在、世界中がロンドンオリンピックで沸いている。しかしオリンピック種目にはないが男子新体操の一本の映像が世界中の人を感動させている。それは2009年11月02日に行われた「第62回全日本新体操選手権大会」の優勝大学、青森大学の演技だ。まずはその演技をご覧下さい。

この日の青森大学の偉業も2001年4月の創部があってこそである、そんな青森大学新体操部の創部時の部員である大坪政幸さんが2009年7月23日に脳腫瘍で亡くなった。

偉大な先輩の早すぎる死に心を痛めた青森大学、その時すでに全日本で使用する団体の曲は亡くなった大坪さんが現役時代にスティックで使用していた曲-DFOのBlueにする事が決まっていた。そしてこの代々木第一体育館は大坪さんにとって最後の大会会場となった場所、「この場所で最高の演技を大坪さんに届けたかった」と団体メンバーである高岩は語る。

その言葉通り、青森大学の部員は演技中に一切の声援を行わなかった。静かなピアノのメロディーと選手の息遣い、時より観客から湧く拍手とどよめきの中演技は行われた。現在、同大学の外崎選手しか正式大会で披露していないダブルスワン(後方伸身二回宙返り)は着地において一歩も動かなかった。

一挙一動に部員の思いがこもった丁寧な演技はそれが試合ではなく大坪政幸さんにささげる鎮魂の演技だったからだと思う。そして大坪さんを思う心が選手の演技に込められているからこそ外国の人にも感動を与える映像になっているのだ。

オリンピックにすべての情熱をかける人達がいる。そしてオリンピック出場が叶わぬ種目に魂を込める人達がいる。

私達はその「魂」の輝きに出会ったときに深い感動を受ける事になるのだ。

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交通事故にあって知る-隠された保険の欠陥

7月21日の夜の8時前、私の身の上に交通事故が起こった。経緯を少し話しておく。

私は秋田市に向かって秋田県の国道7号線を走っていた。道路は片道一車線の道路だった反対車線を車が絶え間なく走っていた。前方10mの対向車線を白い車が走ってきたのが見えた。それだけの光景だった。その時、異変が起こった。突然、その後ろにもう一台、車が走って来て前の車を追い越そうとしてきた。その車は猛スピードで前の車を追い突然、私が走っている対向車線に飛びだしてきた。追い越すスペースが無いにもかかわらず、私の車線に入ってきたのだ。

「え!」と思うその瞬間に、その車は私の目の前5m現れた。私は「死ぬ」とだけ思った。一瞬背景が蝋燭の光のように揺らいだ。足はまだ生きようとするかのように急ブレーキを踏んでいた。スピードは落ちなかった。相手の車もやっと気づいたように慌てて右にハンドルをきった。そしてそのきった右側には陸橋の欄干があった。声には出なかったが私の心の中では大声で「馬鹿やろう!馬鹿やろう!」と叫んでいた。その一秒後に前からきた車が私の車の助手席側に体当たりした。

「ドーン」というものすごい衝撃が起こり相手の車が私の助手席を破壊しながら進んでいった。大きな火花が上がりその後、鉄にサンダーをかけたように小さい火花が闇の中に散って行った。そしてそのまま私の車の左車輪がはずれ道路に斜めになり、ガクンと車体が落ちた。そして止まった。私はきつくハンドルを握りしめていた為に体全体に衝撃が伝わりしびれていた。が、私は生きていた。私はいつの間にか車のドアを開け車から出た。そして陸橋の欄干の下にうずくまった。激しい涙が、後から後から出てきた。悔し涙だった。相手がどうなったかもなにもわからなかった。

私の車はトヨタのハイブリッド車「アクア」だった。先行予約から6ヶ月待ってやっと3月28日に来た新車だった。そして息子に会いに行く途中だった。自分の体はどうでもよかった。新車が破壊されてしまった事と、息子に会えなくなったという思いが私を泣かせた。私は一瞬にして2つの希望を失った。泣きながら欄干の周りをぐるぐると歩いていた。誰かしらない後続の車の親父が車を止め降りてきて「大丈夫か?大丈夫か?」と私に聞いていた。私の車が道路を塞いだ為に道路は大渋滞になっていた。そしてぶつかってきた相手も生きていた。

だが、その後のことは書かない。言いたい事はそれではないのだから。

その事故の為に、私は自分の保険会社の緊急事故対応センターに連絡し、レッカー車を呼んだ。私が持っていた事故緊急カードには「無料ロードサービス」と書いてあったし、保険契約の際にそれに関しては詳しい情報も貰っていなかったし、自分からの質問どころもわからなかった。しかし、この事故により緊急事故対応センターのオペレーターから初めてこのロードサービスは30kmまでが無料でそれを超えた距離を移動した場合は1km当たり620円で計算したサービス料とレッカー車に乗せる為に使ったナントカいう補助器具が5000円になるがよいか?という狐につままれたような電話を受けた。

このような知識は皆さんお持ちなのだろうか?そして自動車保険の契約の際にちゃんと保険屋さんの説明を受けているものなのだろうか?それは意図的に隠されて全部無料と思わされて保険契約にはいっているのではないのだろうか?この点にまず保険業界のだましが入っているのではないか。ちなみにこのロードサービスについてレッカー車の兄ちゃんにきいたところ、このロードサービスにはぬかるみにはまって動けなくなった場合には適用できないのだそうだ。

この部分もカバーしたいとなればJAFだけが対応してくれるそうなので、今自分の車にロードサービスがついているから大丈夫と思っている方はもう一度確認したほうが良いと思う。レッカー車の兄ちゃんのいうところではどの保険会社でもこの点は変わりないそうだ。東京海上日動火災保険だけはこのロードサービスに関して距離や機具の使用を含めて10万円までは保証するそうでこれが一番手厚い保険だそうだ。ただし特約となっている。

そして1km@620円で距離だけで計算するとざっと約161kmで、もし遠距離で事故った場合は東京海上日動火災を持ってしても相当な自己負担を背負わねばならない。

また、もう一つ気づかされた事は私のこの事故は過失割合が10対0なのだそうだ。10対0でそれはそれで良いわけだが、そうするとコチラの入いっている保険屋は全く出ないのだそうだ。出るとこちら側にも非があるとみられ10対0ではなくなるらしい。という事で自分のかけている保険会社は相手側の保険会社に対して何もしないことになる。実際保険会社は出てくれない。この過失割合については保険会社の話し合いがあるのかと思っていたがそうではなく、駆け引きになっているのだ。

ということで、それまでの交通事故の判例や処理例に照らし合わせ10対0と思われる場合、保険屋は出てこない。そして、結果どうなるかというと、この事案は保険屋は全く関係ないので自分でやって下さいとなる。となると相手側への連絡や、首を痛めた事などすべて自分でやる事になってしまうのだ。
                                                          to be continud 


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大人社会のイジメー自衛隊

あの激烈な東日本大震災時の救援活動の素晴らしさで、一躍日本のみならず、世界から賛辞と賞賛を受けた自衛隊だが、巨大組織には必ず闇の部分が内包されている。実はこの話題のブログ化には躊躇もある。しかし以前書いた富士学校での暴行事件を含めイジメが無いとは言えない。また、私自身が接する自衛隊員は皆、心優しく暖かい人ばかりなのだが、組織全体として、曇りなく本当に国民から感謝される組織になってほしいという願いを込めて、あえて闇の部分-大人社会のイジメに該当する部分の一部を記載する。現在、自衛隊としては下記旭川市の事件を受け、あらゆる自浄活動が行われているという。

【尻にアイロン、股間に洗濯挟み…自衛隊 陸曹候補生11人に暴行】2012年5月15日

北海道旭川市の陸上自衛隊第2師団は5月15日、陸曹になる前に実施する教育課程で昨年9月、22~30歳の陸士長11人に余熱のあるアイロンを尻に当てるなどの暴行を加えたとして、2等陸曹(33)を停職60日、1等陸尉(40)を停職16日の懲戒処分とするなど、5人を処分した。

第2師団によると、2等陸曹は集合時間に遅れた陸士長の左太ももをけり、3週間のけがを負わせたほか、6人に人間ピラミッドを組ませた上で余熱のあるアイロンを尻に当てたりした。1等陸尉は陸士長2人に対し、下着の上から洗濯挟みで股間を挟んで引っ張るなどした。

また、教育課程の時間外に激辛のペッパーソースを付けたポテトチップスを女性陸士長ら2人に食べさせた3等陸曹(29)や、暴行を黙認した3等陸曹2人も1~7日の停職処分とした。

第2師団は「今回のような事件を起こしたことを遺憾に思う。再発防止に努めたい」としている。

                                                          
【陸上自衛隊北熊本駐屯地(熊本市)で新入隊員暴行】2008年10月17日             
            
陸上自衛隊北熊本駐屯地で16日、戦闘服にアイロンがけをしなかった新入隊員を殴ったなどとして、第8特科連隊の陸士長(23)と3等陸曹(26)の2人を同日付で減給1カ月の懲戒処分にしたと発表した。隊員にけがはなかったという。同駐屯地によると、2人は今年入隊した隊員の教育係をしていたが、7月23日夜、戦闘服のアイロンがけをしていなかった隊員3人の顔を陸士長が平手で1、2回殴打。翌日朝に報告を受けた3等陸曹も、3人を含む隊員5人をほうきの上に正座させた。ほかにも清掃中の雑談などを理由に殴ったケースもあった。2人は「何度も注意したが従わず、態度を改めさせるためだった」などと話しているという。

                                                         
【海上自衛隊かわいがり事件発覚】2008年10月14日

海上自衛隊の「特別警備隊」内で隊員の死亡事故が発生した。現場は隊員を養成する江田島市の第1術科学校だった。そこは旧海軍兵学校。海上自衛隊に名称は変わったが海軍魂が脈々と受け継がれている。特別警備隊は1999年、能登半島沖で北朝鮮の不審船を取り逃がしたことに端を発し2001年3月に江田島基地に正式に組織された。

特別警備隊の隊員を養成する学校は、海上でのテロ組織との戦いを想定しているので、命の危険性が伴う為に非常に厳しい。強靭な肉体と精神を養わなければいけない。その為、特別警備隊に入隊するには自らの志願を必要としている。

そういった過酷な訓練の為、自ら志願しながらもについて行けない者も出る。そういう根性のない者を「異動のはなむけ=かわいがり」と称する、集団で訓練という名のリンチを加えることが、常態化していた。1人で15人と格闘技を行わなければならないものだった。1人50秒ほどだが、何度も何度も倒され、立つのがやっとの状態にさせられる。

死亡した隊員は、14人目であごにパンチが当たり意識を失い、2週間後に急性硬膜下血腫で搬送先の病院で亡くなった。


【暴力が横行する陰惨な自衛隊の実態 空自小松基地暴行失明事件】2007年8月

航空自衛隊小松基地(石川県)で2007年8月、酔った上官が「指導」と称して部下に激しく暴行を加え、顔を骨折、左目失明の重傷を負わせる事件が起きた。被害者は発見当時、顔や鼻から血を流し、首を絞められて気絶状態だったが、病院に搬送されたのは約2時間後。さらに警務隊が重い腰を上げたのは発生から3週間後だった。「幹部らは事件が表ざたになることを恐れていた。もし私が死んでいたら『喧嘩』で処理されたかもしれません」と、被害を受けた隊員は憤る。暴力事件で懲戒処分になった自衛官は、2007年度一年間で60人を超えている。        、

                                                          
【たちかぜ自衛官いじめ自殺事件】2004年10月27日

たちかぜの一等海士(当時21歳)が立会川駅で飛び込み自殺をした。遺書には、家族への感謝の言葉と共に、上職の二等海曹・佐藤治を名指しし「お前だけは絶対に許さねえからな。必ず呪い殺してヤル。悪徳商法みてーなことやって楽しいのか?そんな汚れた金なんてただの紙クズだ。そんなのを手にして笑ってるお前は紙クズ以下だ。」と、いじめを示唆する内容が書かれていた。

このことからたちかぜ艦内の問題が発覚した。横浜地方裁判所横須賀支部刑事部は、「いじめは艦内では日常茶飯事、常習的で、本件は氷山の一角」「暴行を苦にしたとみられる隊員が自殺したのをどう償うのか」と、海自と佐藤の「行為」を認定した。

                                                       
自衛隊組織のイジメは上記のものにとどまらない。皆さんの心の中にはあの東日本大震災での自分の命さえ顧みず被災者を救おうとする心優しき自衛隊員が目に浮かぶかもしれない。それはそれでよい。多くの自衛隊員は実際にそうなのだから。この話は自衛隊でもイジメはあるという事だ。

つまりは大人社会こそが「イジメ社会」であるからなのだ。

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大人社会がイジメ社会ー子供のイジメは大人社会を映したもの

子供のイジメについてたくさんのメディアが報道をしている。しかしこのイジメ、話が主客転倒するが、根本原因は子供ではない。その根本原因は「大人社会がイジメ社会である」という事だ。この事をはっきりと認識しなければならない。子供はそれを鏡のように映しているだけなのだ。

世の中は何でも便利を追求して、夜中でも電車が走るようになった。しかし遅くなっても帰れる便利な社会はお父さん達にさらなる残業を要求しだした。そして上司にはお前の成績がどうのこうのとか、まだほかの人が働いているのにお前はいいのか、などと言われたりする。

そんなお父さんが家に帰ってきても、機嫌がいいわけがない。一生懸命奥さんが話をしようと思っても「俺は疲れているんだ」とか「今日はどれだけたいへんだったのかお前にわかるのか」などと言って話しにならない。そんな対応をされたお母さんはもやもやしだし、今度は子供にあたるようになる。その子供はその鬱憤を学校に持ち込みイジメに発展したりする。

たとえば一つの会社にいるとする。上司、同僚、後輩などたくさんの人達がいるが性格のいい人ばかりはいない。目の前に上司と座ってみればわかる。常に上司にチクチクやられ、その上、生理的に嫌いだとなったりすれば、そのエゴの理由でイジメてやろうとか、自分より仕事ができるから憎たらしいからやっちまおうとか激烈にイジメられる。大人社会とはこれが常だ。そしてそれはすべての社会が同様だ。中でもスポーツ社会とか芸能界はイジメの連鎖集団だ。

会社のOL同士のイジメなどはものすごいものがある。OLをやっていれば解ると思うが、もしわからなければOLの会話を、女の人はトイレで隠れて、聞いてみればすぐにわかるだろう。そしてそれが原因で生きていくのがいやになるOLがたくさんいる。日本人の女性が昭和60年から26年間維持してきた長寿世界一の座から23年度は2位に転落しているが、その原因の最たるものは東日本大震災だが、もう一つの原因として20代の女性の自殺がある。22年度は787人だったが23年度は1008人に増えている。

このイジメというものは江戸時代からあったものだが、それを最小限にとどめていたのは「恥」を教えていたからだ。イジメをする人間というものは、人間の中でも最下等の下劣で、いやしく、みっともなくて恥しらずなんだよと言う事を教えていた。

今は「恥知らず」という事を教えない。だから恥知らずばかりになってしまった。

そして、子供社会でイジメという言葉で呼ばれているものの実態は、脅迫、恐喝、脅し、窃盗、殺人である。「じゃれあう」などという言葉は詭弁にすぎない。イジメという軽い言葉でまとめてはいけない。イジメは犯罪だ。

ここから先はイジメについて大人と子供の区別をつけないで話すが、この何十年だか、何百年だったかわからないがいつまでも無くならないイジメを解消する特効薬は相当にきつい方法が必要だと思われる。

で、イジメ撲滅の為に一つ提案をしておく。提案は下記のとおり。

1イジメはすべて法律事案とする
その際に告発システムを作る(報奨金があっても良い)

2警察捜査による不起訴は無くする

3執行猶予も無くする

4すべてのイジメについて裁判によりイジメがあったか無かったかを審議する

5イジメが認定されればすべて死刑

この方法は大人社会でも子供社会でも同じとする。

きつい方法に感じるかもしれない。しかし、イジメる人間とは誰も一緒にいる事は出来ない。だからこのシステムを確立しなければ大人社会のイジメ、それを映す子供社会のイジメを無くす事は到底出来ない。

それが出来なければ、イジメられた側-被害者の死体が累々とたまる事になるだけだ。つまりはどちら側の人間が死ぬべきかということだ。

「私達は被害者が死ぬ方を決して選んではならない!」

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妻の「離縁状」-小沢一郎とは何者か?(改訂版)

このスクープを書いたジャーナリスト松田賢弥氏はかなり前から小沢一郎を追っていた。松田氏は2005年講談社出版の『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』の中で小沢一郎の生い立ちを次のように書いている。

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小沢一郎の生い立ち

小沢一郎の父佐重喜(さえき)は1898年(明治31年)水沢の貧しい農家に生まれている。東京に出て人力車を引いたりしながら苦学し、弁護士試験に合格。これ以降佐重喜はずっと東京暮らしをしていた。1924年(大正13年)みちと結婚。みちは千葉県東葛飾郡出身で、東京の九段精華女学校を卒業していた。

佐重喜は東京市会議員などを経て、戦後には衆議院議員に転進し運輸、建設大臣などを歴任した。しかし佐重喜は湯島の料亭で毎晩のように遊びまわる放蕩三昧の日々を過ごしていた。小沢一郎が誕生したのは1942年(昭和17年)だ。

小沢一郎の上には姉が二人いた。長女はスミ子(昭和7年生)、次女は則子(昭和15年生)だ。しかし姉達の母はそれぞれちがっていた。母のみちはこの二人をすぐに養女として入籍している。

水沢に縁のない家族だったが1945年(昭和20年)の初めみちが空襲を逃れて3人の子供を連れて水沢に疎開してきた。佐重喜は東京に残ったままだったのでみちと子供3人の水沢での生活が始まった。

その後、小沢一郎は中学2年生まで水沢に住んだが、中学3年生の時には、みちと3人の子供達はまた東京に戻る事となる。その短すぎる水沢での生活の為、一郎には水沢への郷土愛は生まれなかったと思われる。

また、小沢一郎は生まれてから12歳までを母しか知らず、父の存在を意識する事がなかった事と、愛する姉が父の放蕩三昧の末に生まれた事実が一郎の人格形成に深い影響を与える事となった。

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次に小沢一郎の隠し子をもうけた女性だが、キム・スクヒョン(金淑賢)だ。キム・スクヒョン(金淑賢当時.35)とは2000年、自由党党首であった小沢衆議院議員の国際担当秘書に抜擢され、その後、7年の間、傍を守っている。当時から愛人説も盛んに出ていた。

議員会館に勤めているキムは、国際関係の専攻を生かして韓半島を含んだ国際情勢などに関し補佐する業務を主にしていた。週1回、東アジア情勢の報告をしているし、中国、アメリカを含んださまざまなプロジェクトを企画しながら進行も行っていた。

また、儀典業務は基本で小沢代表を訪ねてくる日本の政治家はもちろん、韓国など外国の名士の接客との通訳も受け持っていた。選挙期間には他の日本人秘書らと同じように全国の現場を歩き回りながら選挙支援にも積極的に出ている。まさに『全天候秘書』だった。この女性との子供が隠し子となっている。

小沢和子氏の「離縁状」の調査中、次の事がわかった。

小沢一郎が関与した西松事件関係者が次々と謎の死

09/01/21 西松建設社長を逮捕
09/01/21 元西松建設専務 死亡
09/02/24 長野知事の元秘書(西松建設事件での参考人) 死亡 。(電柱にロープを巻きつけ首吊り自殺)
09/03/01 「小沢一郎氏と秘書と、ダム工事のただならぬ関係」を追及してきた記者(吉岡元議員) 旅先で死亡
09/03/03 検察、民主党岩手支部家宅捜索
09/03/04 民主党事務所のある相模原卸売市場全焼

まだまだの調査に終わるが次の点ははっきりした。

1岩手県水沢市にはなんの思もいいれもない。

2妻も政略結婚であり、感情の交流はない。

3小沢氏の地元・奥州で30年間選挙支援してきた「水和会」解散。

この男は日本の政治活動において破壊活動しかしてこない。岩手県水沢市の後援者の方々は本当に気の毒でしかたがない。この大震災の中で支援者のいる地域に何も感謝せず、何の手もさしのべない。それどころか、自分可愛さにただ放射能から逃げ回っていた。

皆さん!小沢一郎がどこから出馬しようと日本人なら落としてやろう!この日本に建設的な事は何もせず、ただ害を与える男を!

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妻の「離縁状」-小沢一郎は岩手、国の害

ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。3月11日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなく仕方がありませんでした。

そんな中、3月16日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました」と胸をはって言うのです。あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えて下さい」と言うのです。

福島ですら原発周辺のみの非難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。

川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げ出すとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。

小沢は「じゃあしょうがない。食料の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。女性秘書達と川辺の家族は一ヶ月余り戻ってきませんでした。2日遅れで届いた岩手日日には3月15日国会議員6人が県庁に行き、知事と会談したとありました。彼らと一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。

3月21日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水でやろうとしていました。東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるようにと指示したのはその2日後です。すぐにそれは解除になりました。

3月25日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げ出しました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った?こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが3,4台置かれ、20人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から3月28日に岩手県庁に行ったのです。ご存知のように被災地には行ってません。

4月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜若手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議が出され政治が停滞したことはご存知と思います。

この大震災の中にあってなんら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう。

こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたのかと思うと申し訳なく恥ずかしく思っています。更に5月には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流され仮設住宅すら充分でなく不自由な非難生活を送られている時に、なんら痛痒を感じず、自分の為の非難場所の設計をしています。

◎◎◎という建設会社の話ではオフィス0という会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称して釣りに出かけました。千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。

かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受けとったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。

ご一家には、本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと心から感謝しております。ありがとうございました。7月には別の所に住所を移しました。ご一家のご多幸を心より祈り上げております。            小澤和子

(注・受取人が特定される記述は一部省略。伏字は原文では実名である)              to be continud 

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妻の「離縁状」-小沢一郎へ

「週刊文春」の6月21号で小沢一郎の元妻の小澤和子さんが書いた妻からの「離縁状」という記事により、多くの方がもう読んで知っているかもしれませんが、もっともっと多くの人に知ってもらいたいと思い記載します。ポイントは以下の点です。

①小沢一郎は妻の小澤和子氏による離縁状により平成23年11月にすでに離婚している。

②この離縁状は小沢一郎に出されたものではなく、岩手県水沢で小沢を長年応援してくれていた後援者に元妻だった一人の人間としての詫び状としてだされたものである。画像は岩手県水沢の小沢事務所です。1

③小沢一郎の自分を応援してくれる選挙地区民を大事に思わない姿が語られている。(岩手県水沢地区)

④慰謝料はまだもらっていないが、もらったらその金は、ここまで支えてくれた岩手県に震災に対する義援金としてせめて送らせてほしいと思っている。

小澤和子からの「離縁状」

まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。この度の大震災ではさぞご苦労があったと思います。ご家族・ご親類はご無事でいらっしゃたでしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。

このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ちあがらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げ出した小沢を見て岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるのは大変申し訳なくショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていましたのでこの手紙を差し上げます。お聞き苦しいと思いますが今迄のことを申し上げます。

8年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。○○○○○といい、もう20才を過ぎました。3年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれたそうです。それで私との結婚前からつきあっていた○○○○という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢がいうにはこの○○○○と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろ」といい、謝るどころか「お前に選挙を手伝ってもらった覚えはない。何もしないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「あいつ(○○○○)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまでいわれました。

その言葉で、30年間皆様に支えられて頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子達に支えられなんとか現在までやってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。お世話になった方々に申し訳なく、又、説明もできず、もしお会してやさしい言葉をかけていただいたら、自分が抑えられず涙が止まらなくなるのがわかり岩手に帰れなくなりました。

選挙の時には、皆さんがご苦労されているのに、どうしても「小沢をお願いします」とは言えず、申し訳なさに歯をくいしばって耐えていました。隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。S.Pさんや秘書の手前、料理や洗濯は変わらずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。

それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかというおもいがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。

                                                          to be continud 

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