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仮面の告白

私のようなものが三島由紀夫氏を語るのはとても乱暴で不見識かもしれません。もし気にさわるようなら即刻、このブログを読むのを止めて下さい。

私はクーデターとともに割腹自殺した三島氏が本当に国を憂いていたのか、本当に真の国粋主義者であったのか、どうもそうではないような気がします。前回ブログに書いた「憂国忌」などに値する心は持っていないのではないかと感じています。これが結論ですので腹が立つ方は,読むのを止めて下さい。

私が三島氏の何がわかるのかと言われればそれまでなのですが、私の知識は三島氏の書いた小説やマスコミ報道、テレビの三島氏の特集、またインターネットによる三島氏関連の情報から総合して感じるものです。三島氏は小説の中でよく貴族階級の子爵や公爵などを登場させます。がその人格のたいがいがエロく下品です。姿、形、その立場が優雅であるのに下賎なのです。

三島氏が同性愛者であったことは皆さんご存知でしょうね?華麗にデビューした「仮面の告白」は主人公が同性愛者です。内容は同性愛者の主人公が小さい頃からの自分の嗜好、興奮するものなどを丹念に追求しながらなぜ、自分が男が好きなのかが、語られていきます。三島氏はまさに自分を追及し、それも深く、深く追求していくのです。そして自分は男が好きなのだと言うことにしっかりとした自覚を持ち始めます。(この作品が世に出たのは1949年、そう戦争が終わってまだ4年という時期でした。この頃はまだ、同性愛を語ることなどできる時代背景など無いはずです)自覚はしっかりともったが主人公は自分が人並みでありたいという考えから女性との交流を試みてみます。そうすると我慢もほどほどでなんとなくつきあえてしまうのです。しかしある日のデートの最中にたくましい上半身裸の男の姿を見てしまいます。そうするとそれだけで主人公は興奮を覚え、それまで一生懸命取り繕っていた感情がガラガラと崩れ去り理性は嗜好に負けてしまいその女性とは別れてしまうという話だったと思います。この話は三島氏の自伝的小説といわれています。

その後も「禁色」で同性愛をえがいています。その中で登場する男が男と遊べるバーが当時美輪明宏氏が働いていた銀座の「ブラウスウイック」という店だったようです。そういう店に通いながら三島氏は本当に男と熱烈に愛し合っていたようです。そこに来る常連客は当時としては理解しがたい考え方をし、遊んでいたようなのでそのような生活は三島氏の小説の中で、背徳の場面として、よろめきの場面として、褌好きな場面としてありとあらゆるところに表現されています。

とにかく三島氏は自分自身の深層心理に深く関わるのが好きで他者とのかかわり合いがとてもへただったようです。そんな三島氏がどのようにして国の行く末を案じる人間に変貌していったのかはいまだにはっきりしていません。三島氏は独自に民兵組織を作っていましたが、実際に第二次世界大戦の時には、徴兵検査もうけて、ひ弱な体力ではあったそうですが最低成績で合格していましたので、愛国主義者であるならばそこでその気持ちを発揮すればいいわけでした。わざわざ昭和45年にそんな事をする必要はないように思われるのです。

そんな三島氏はある時点から、その時点とは「鏡子の家」を頂点として創作者としての力量は落ちていくばかりの時点です。その時点から三島氏は国粋主義者に変わっていくのですが、真に日本の伝統、文化を愛するのではなく西欧(特にアメリカ)に対する絆を求める方向に傾いていきました。しかしその西欧は遠く、そう感じれば感じるほど三島氏の感情は分裂し、賛美と恨み、感傷的な国粋主義に行きつくのです。そして本当に日本を憂いるならば、生きてその主張を伝えていくべきであるし、なにも市ヶ谷の自衛隊駐屯地にいって総監をたてにとり、誰も知らない割腹自殺などする必要はないような気がするのです。

それまで三島氏は死ぬ用意を滞りなくしています。バルコニーにたって演説したってだれもわからない事もよくわかっていたと思います。これこそが仮面の告白なのではないかと思います。初めから「芝居」なのです。死ぬ為の。介錯した森田必勝氏なんかなおさらです。なぜ森田氏まで死ななければならなかったのでしょうか?私は情死だと思います。文学的にもう先が見えなくなった三島氏がすべてのカードを切って自分の文学をまた盛り上げようとした、最大の興行だったのではないかと思うのです。  

ここまで読んできて怒るのは止めてくださいね。始めにお断りをしていたのですから。けれども私は三島氏を嫌いなわけではありません。長く生きて、いろいろな話を聞いてみたかったと思います。あなたが本当の保守ならば日本はあなたの力を今こそ欲しいと思っているのですから。

三島先生かってな意見、誠に申し訳ありませんでした。どうぞ安らかにお眠り下さい。

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憂国忌~ 果たし得ていない約束

皆さんは40年前に起きた作家の三島由紀夫氏が自決した事件を知っているでしょうか?50代以上の方は何かしら知っているでしょうが、それより若い皆さんは知らないかも知れません。三島氏についてはコチラをどうぞ。

昭和45年11月25日に、有名作家三島由紀夫氏は東京都の市ヶ谷自衛隊駐屯地に三島氏自身が作った民兵組織「楯の会」の隊員4名を引き連れて(自身は隊長)東部方面総監を訪れ、総監を監禁しその部屋の前のバルコニーに立ち演説をし自衛隊隊員達に憲法改正のクーデターを訴えたが、その演説は自衛隊員に聞き入れられることはありませんでした。その時の様子は次の映像でご覧下さい。

この演説の後三島氏は総監室で割腹自殺、それを介錯したのが森田必勝で三島氏が亡くなった後、森田氏も割腹自殺をしています。その時の様子を詳細に書かれたサイトはコチラです。

三島氏は、同年の7月7日付けサンケイ新聞(当時)の夕刊のテーマ隋想に「果たし得ていない約束」というエッセーを寄稿しています。このエッセーは戦後の民主主義を偽善と批判し、自衛隊という公務員を憲法改正により日本の国軍にするというのが三島氏の考えのようでした。その三島氏の考えはかえって現在の日本の置かれた状況からみるとぴったりとあてはまるのです。尖閣諸島や竹島、北方領土、東シナ海のガス田開発にみられる領土問題、いや国防問題を考えると結局は憲法改正による自衛隊の国軍化がないままでは日本自体が危なくなっているのです。「果たし得ていない約束」はまだ果たし得ていないのです。

三島氏の死後その死を悼む人の手により11月25日を「憂国忌」として弔う事となりました。今年行われた憂国忌の様子は次の映像をご覧下さい。

こうして三島由紀夫氏はこんにちまで人々の記憶に残る真正保守の人となったのです。 to be continued

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