カテゴリー「「頑張れ日本!」秋田支部」の記事

秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」part2

もう一名、特攻で亡くなられた秋田県の方を紹介します。

海軍少尉 高橋正(20歳)様 秋田県秋田市外旭川朝鮮
昭和20年4月12日 神風特別攻撃隊第28幡護皇隊艦攻隊員(30名)として沖縄周辺海上敵艦船群に体当たり攻撃を敢行す。搭乗機は「彗星」

      「遺筆 両親への手紙」(出来るだけ変えずに現代語訳にしました)

      命があったら又書こうと思います

拝啓 永い事ご無沙汰致し本当に申し訳ありません。夏も終わりに近づき朝夕涼しい風が吹き始めました。其の後父上様、母上様、多栄子には益々ご健勝にて毎日をお過ごしの事と存じます。私も元気いっぱいにて頑張っております。長かった訓練時代も終わりに近づき、今や出撃命令を待つばかりになりました。1年数ヶ月と云えば短いようで永い月日でした。戦場は南になるか北になるかわかりませんが、一たん出撃の暁は大いに敵さんをやっつける覚悟です。

海山より深く高き御両親の御恩生まれて20年の今、しみじみと有難く感じております。今迄の御恩どう御礼申し上げてよいやら御礼の言葉がありません。この御恩は決してわすれません。物も無い金も無い吾々搭乗員には、敵機撃破、敵艦轟沈の腕が唯一の財産です。こんどこそ万分の一の御恩返しが出来ると思っています。これが私の最初のそして最後の御恩返しかもしれません。

生を受けなつかしの故郷を遠く幾百里、知った人も肉親もおらぬ日本の涯に来てしみじみと肉親の有難さが身にしみます。しかも欲も希望もゆるされません。吾々搭乗員はすべての私情をすてて大義の道に生きねばなりません。お父上様もお母上様もきっとゆるして下さると信じています。私は愛機に身をたくし、毎日毎日黎明より薄暮まで遠い数百里の彼方迄、太平洋上を飛んでおります。男と生まれた生き甲斐を痛切に感じます。身は太平洋の藻くづとなるも何の悔ゆるところなしです。私は私の最大の働きをする覚悟です。戦地勤務になりますればもう便りも出されんでしょうが極力消息はお知らせするつもりです。私はいつも元気で働いていると思って下さい。

お父様の御病気の様子は私にはわかりかねますが早くご快復下さいます様十分の御養生をお進め致します。
出陣前に一度ゆっくりとお話し致したいと思いましたがあきらめました。
お父上様、お母上様、多栄子さんの面影を頭に刻んで勇躍基地に向います。前線出撃は死の第一歩です、命があったら又書こうと思います。乱筆乱文おゆるし下さい                      敬具     忠

父上、母上様

私は涙なしにこの文章を写す事ができませんでした。そしてこれだけの資料を調べられたM氏の情熱は並大抵ではないと思いました。特攻隊の彼らは皆、靖国神社に奉られています。しかし秋田県人が秋田県の先人に対し、これだけの畏敬の念と哀悼を持つ事は本当に素晴らしい事だと思います。

そしてさらに重要な事は特攻隊として出撃していった彼らの事です。チャンネル桜のキャスターの三輪和雄氏は次のように仰っていました。「どこの国にだって自分の国の為に死ぬという人はいる。(中国はわからないが)しかし他の国の人は、死ぬとはいうもののどこかで生き残れるという思いがある。しかし、特攻隊だけは必ず死ぬ。公の為に死ねるのは日本の特攻だけである。今現在、日本は世界になめられている。しかしこれ以上なめられないのは、ある一線を越えると日本人は最後は戦ってくると思っているからだ。現在の外交にもまだ特攻隊の見えない遺産があるのだ。そしてそういった精神は今日の大震災のさなかの日本人の行動の中にも見る事ができた」と。

私達の先人-特に特攻隊員の若い若い方々の日本を思うその心に、今の私達は対面する事が出来ないと思います。政治は今、戦後最低の首相である菅総理がやっています。マスコミは朝鮮放送だか、中国放送だかわからない状態です。思えば三島由紀夫氏は昭和45年時にもうこの事態がわかっていたのでしょう。

今、私達を支えているのは、天皇陛下、皇后陛下と自衛隊、そして左傾化していない日本人の精神だけだと思います。私達は戻らなければいけないと思います。いまこそ復興するのではなく「真正日本」に復活するまさにその時期ではないか!と私は思います。

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秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」

4月29日(金)に秋田県総社神社で行われた「秋田県特別攻撃隊招魂祭」に行ってきました。これは4月23日に予告を入れた行事です。当日の秋田は晴々とした明るい日差しのある日でしたが風が強く、少し肌寒い1日でした。
1式典はM氏の立てた慰霊碑の前で行われました。正午から式典が始まる予定になっていました。式典にはこの特攻に関わられた親族の方、また生きて戻られた方、またそういう歴史に造詣の深い方、チャンネル桜のキャスターの方々(三輪和雄氏、西村幸祐氏、小山和伸氏、富岡幸一郎氏、葛城奈海氏)が参列されました。この式典に合わせて昭和天皇御誕生記念祭も同時に行われました。2
式次第は昭和天皇武蔵野御陵遥拝に始まり、国家斉唱、神事、大西中将遺書朗読、玉串拝礼、昇神で神事を終わり、皆で聖寿万歳を叫び、「海ゆかば」を合唱して終わりました。

式典の中にある大西中将とは大西瀧治郎海軍中将の事であり、戦争末期第一航空隊司令長官として、神風特攻隊を指揮。終戦直後、その責任をとり次長官舎で割腹自殺した方の事です。そしてその責任とは敗戦の責任ではなく、多くの花も実もある将来のある若者を自分の命令により死においやってしまった事に対する懺悔と哀悼と思われます。大西中将遺書とは次のものです。
[特攻隊の英霊に曰す 善く戦いたり 深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり 然れ
共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青壮年に告ぐ、我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副ひ奉り自重忍苦するを賊ともならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ。諸子は國の寶なり、平時よ慶し、猶ほ克く特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の和平為最善を盡せよ。特攻隊の立派な霊たちに告げる]

現代語訳
今までよく戦ってくれた…ありがとう… 心から君たちに感謝する。君たちは日本の最期の勝利を信じて、肉の玉として散って行った… しかし…君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった… 私は自らの死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。
   
次にこれからを生きる戦後の日本青少年たちに告げる。私の死は軽々しい行動を取り、利敵行為となってしまうから。私の死は陛下の尊い決断に従ったものだ。だから、これが自らへの戒めだと思ってくれれば嬉しい。戦後を生きる日本人たちよ、これから苦しい時代を生きるだろう… だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。日本の子供たち!君たちは「日本という国」の宝だ。どんな時も、「絶対くじけないんだ!」という特攻精神を持ち続け、日本全民族の福祉と、世界の平和の為に…最善を尽くしなさい。

3この後、場所を「ふみき会館」に移しチャンネル桜のキャスターの方を中心に今日の招魂祭についての感想とこれからの日本についてのシンポジウム「日本を守るという事!」闘論!倒論!討論!in秋田が行われました。会場にはすでにこのシンポジウム参加者が待っていてかなりの盛況でした.

そしてチャンネル桜のキャスターの方は皆一様に、先の大戦において亡くなった方を祭る式典はたくさんあるが、この秋田のように特攻隊員のみを慰霊しているのは、たいへん珍しい事だし、素晴らしいことだ。そしてそれが20年という長さで行はれているのは秋田県人の祖先を敬う素晴らしい特性だと盛んに褒めていました。4
私はこのすべてがM氏の思いから始まっている事に感動してしまいました。そしてM氏の息子さんに「秋田県の特攻隊員」という1冊の本を頂きました。その本により今日ある式典はM氏が昭和48年に会社の取締役会で秋田県の戦没者の顕彰を社業として実施する事を決議した事にはじまっている事を知りました。その思いをM氏が皆に提案した事も、それを決議した事も、それをやり遂げた事もすべてM氏の深い特攻隊員達に対する哀悼であると改めて思いました。

そしてその本の中から特攻として亡くなられた秋田県の方々を少しだけ紹介致します。

海軍中尉 植村正次郎(26歳)様 秋田県本庄市鍛治町
昭和20年3月21日 第一神風桜花特別攻撃隊神雷攻撃隊員(160名)として本土南方海面の正規航空母艦六を基幹とする敵機動部隊に対して必死必殺の体当たり攻撃を敢行する。

      「遺筆 妻への手紙」(私が現代語訳にしました。本文は旧仮名づかい等になっています)

      俺の気持ちはお前がよく知っている
      
今までいろいろ苦労をかけた。俺ばかりわがままをして、お前に楽をさせる事もなく、何処へも連れて行かず、いつもいつも貧乏ばかり、よくやってくれた、感謝する。今度は生還できないと思うが芳之を頼む。ぼんぼう(方言で子供の事)だけど、それだけ頼りにもなる。義姉さんと仲良く相談して、うまくやってくれ。俺の気持ちはお前が良く知っている事と思う。(この文章の事)見たら焼け。口で言えば涙がでる。さようなら。   夫。
妻へ。

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秋田県4月29日(金)秋田県特別攻撃隊招魂祭せまる

秋田県特別攻撃隊招魂祭が、4月29日(金)正午から秋田県秋田市川尻総社神社で開かれます。要領はこちらのチラシからご覧下さい。

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この招魂祭は第2次世界大戦時に特攻隊として秋田県下から国の為に殉じて亡くなった方々の慰霊として行われているものです。平成4年4月29日から始まり今回で20回目になりました。

この時、同じく特攻隊として国に殉じながら、生き残ることができたM氏が仲間の霊を悼み、祭る為に、秋田県下から特攻隊として散っていった方々の住所と年齢、名前を何年もかけて調べ、自分のすべてをかけてこの慰霊祭を始めたのだそうです。M氏は社業の利益はすべて散っていった人の為に使うというのが「社是」だそうです。そして調べた人達の写真を大切にし、パンフレットにも載っている慰霊の塔を立て、その隣に彼らの写真を入れた看板をたてたのです。M氏の心の中には、いまもって彼らが生きているのかもしれません。そして哀悼の心を持っているのだと思います。

私はこのようなりっぱな志を持つ会社を他に知りません。利益追求が目的という会社組織において。
そしてそのM氏の「思い」は息子さんにしっかりと伝わり、今日りっぱにその志を引き継いでいらっしゃいます。

私達は今、大震災にあいました。いまだに行方不明になっている方もたくさんいます。

しかし昭和の大戦において、日本の為、同胞の為、愛する人を守る為に死んでいった彼らの事は、今の震災とは関係なく、私達は慰霊しなければならないと思うのです。日本を愛し、同胞の未来が安かれと散っていった彼らを、私達はどうして忘れられるのでしょうか。決して忘れてはいけないと思うのです。
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お時間のある方はどうぞおいで下さい。招魂祭の後には「ふみき会館」を会場としてチャンネル桜キャスター、三輪和夫氏、西村幸祐氏、小山和伸氏、富岡幸一郎氏、葛城奈海氏のシンポジウムもあります。要領はパンフレットをどうぞ。


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10月21日(木)頑張れ日本!全国行動委員会 秋田決起集会 最終

田母神氏はまた経済情勢に関しても、なかなか回復はしてこないだろうとの話をしていました。1979年に出たエズラ・ヴォーゲル氏の「ジャパンアズナンバーワン」という本をあげ、あのあたりからアメリカはソ連との冷戦構造も終わり、その間に漁夫の利を得たドイツと日本を本格的に弱体化させようという方向に動きだした為だといっていました。その辺の内容は私もよくわからなかったのと、もう少し詳しく知りたいと思い、調べてみました。その中に興味深い記事が書いてありましたので、興味のある方はご覧下さい。タイトルは「日本メーカーが米国に完敗した真因」です。その中でもっとも興味深い事はこの弱体化計画のシナリオをかいたのは先のヴォーゲル氏本人であるという事です。

読みたい方はコチラです。

そして田母神氏の話が終わると、葛城さんでしたが、なぜかその頃から、まわりの人達が動きだしたのです。トイレタイムがなかったのでトイレにでもいったのかな、位に思っていたのですがかなりの数で帰ってきませんでした。いくら葛城さんが、水島氏や田母神氏に比べ知名度において劣るとしても、講演中に自由きままに動く人達に失礼な人達だと思いました。だからといって葛城さんの話がつまらないものでも無駄なものでもなかったにもかかわらずです。この人達は本当に日本を憂えているのか?左の様子見?とまで考えてしまいました。

葛城さんの話の中で自分も予備自衛官をしているが3年で50日の訓練をつめば自衛官OBでなくてもOKだし、そのくらいの経験を日本人はしなければ、学校教育だけでは日本人にならないのでは、とおしゃっていました。徴兵制度ではまったくないがそういった経験により、より真実の日本人にめざめるのではないか、ともおっしゃっていました。その間もまたパラパラと人は動いていました。
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一人一人の話で終わるのかと思ったらさらにそこから、田母神氏、水島氏、葛城さん、秋田支部幹事長の松村譲裕氏が一堂に会しパネルトークがありました。テーマは「我々は秋田で何をするか!」でした。要約すると既存の政治家や財界人に頼らず我々一人一人が団結して(草莽崛起)して日本を変えて行こう(その中には考えを同じにする地方議員を作って行こうというのも含まれます)ということでした。

閉会の挨拶は秋田支部副支部長の木村二三雄氏がしました。30年位人前で話した事はないとおしゃっていましたが,この会で一番迫力があり尖閣諸島で漁船が日本の巡視船にぶつかってきておいて、日本に圧力をかけて船長を釈放させただけでもとんでもないのに賠償金を口にするなんて、これを「盗人猛々しい!」というのだ、と力強く話していました。私は木村氏が今日一番ではないかと思いました。

とにかくこの企画を出し実現した秋田の皆様、本当にご苦労様でした。この企画がとおり、それを支える有志がたくさんいることは、とても素晴らしい事で羨ましい事でもあります。あなた方は皆、日本の将来を憂い、少しでも良い未来を作ろうとする本当に素晴らしい方々だと思います。これからのますますのご活躍をお祈りするとともに、あの場所においでになった有志の方々がすこしでも今夜の出来事をまわりの人達に伝え、秋田から素晴らしい風が起きる事を期待します。また、頑張りましょう!私達でできることはやりますのでよろしくお願い致します。素晴らしい夜をありがとうございました。       完

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10月21日(木)頑張れ日本!全国行動委員会 秋田決起集会2

司会は葛城奈海さんでした。始めに「頑張れ日本!全国行動委員会」秋田会長の小松信一氏が開会の挨拶をされました。「今、自由にものが言え、幸せに暮らしていけるこの国を、孫の代まで残してやりたい」と強く秋田弁でおっしゃっていました。実際この日本がこのまま残っていくには山のような課題があると思いました。

 何気に私達は経済発展をとげ他国にはない安定した日常をおくれています。しかしそれは本当の事なのでしょうか?戦後生まれの私達は20年で日本は主権をもって成長してきたと思っている人達ばかりですが、実は昭和26年にアメリカを中心とする連合国側と第二次世界大戦を終結させる為に結ばれたサンフランシスコ講和条約まで連合国側の占領地に置かれ、極東裁判により日本だけが戦争犯罪の汚名をきせられて主権を剥奪されていました。極東裁判のような戦勝国が一方的に日本人のみ悪く裁くという裁判は、中国においても他の白人地域においても行われました。日本の事だけを悪くいうなら、アメリカは東京大空襲しかり、広島や長崎への原爆投下、沖縄の民間人を巻き込む地上戦など国際法上許されない大殺戮を行いました。ソ連は日ソ不可侵条約を突然破棄して日本に攻め入り多くの中国に残った日本人を殺戮し、それだけでも足りず終戦後もシベリア抑留で何万もの日本人を殺しています。そういった成敗はひとつもなく、日本だけが悪かった、日本だけが侵略国であったというのは戦勝国側のかってな言い分です。ここに「極東裁判」における日本弁護の映像を入れておきます。どうぞご覧下さい。

アメリカよ原爆投下を謝れ!東京大空襲を謝れ!ロシヤよ!シベリヤ抑留を謝れ!何人殺したと思っているんだ!大体突然の寝返りを謝れ!卑怯者!27年から日本は主権国家に回復しましたが、その変わり戦争放棄をさせられ、自前で自国を守れない国にさせられてしまいました。これは結局、アメリカの体のいい占領地です。現代版植民地なのではないでしょうか?

 小松会長の心配がはずれ、日本国民の前に希望の光がさすことを願わずにはいられませんでした。「どうか幸せな未来が日本の将来に開けますように!」

 その後に全員起立で「国家斉唱」が行われ、水島氏、田母神氏、葛城氏の講演が行われました。水島氏がこの会は自民党もだめ、民主党もだめなので我々一人一人が力をあわせ、同じ考えを持った政治家を育てまたは、自民党や民主党が割れてもいいので真の保守が団結して将来の日本を作っていこうという会であるとの説明をしていました。ちなみに秋田支部幹事長の松村譲裕氏(若く、ハンサムな方です)に政治家にならないかと盛んにラブコールを送っていました。
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次の田母神氏は尖閣諸島問題などごく最近の話題にまで触れていました。たとえ日本が中国との紛争状態になっても多分アメリカは加勢してこないだろうと言っていました。第一に中国がアメリカの国債を大量にもっているのでそれをてばなすよ、というおどしに出るだろうから。また、日本に味方したらロサンゼルスに原爆を落とされるかもしれないので、アメリカ国民を窮地に陥れてまで日本の無人島(尖閣諸島)の為に攻撃しては来ないだろうという事でした。すみませんまた続きます。       つづく                           


 

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10月21日(木)頑張れ日本!全国行動委員会 秋田決起集会1

当日、私は和服に着替えて秋田に出かけました。私の祖父は自宅にいる時はいつも着物でした。父は着物を着ない人でした。それでも私の少し上の世代は会社から帰ってくると着物に着替えるのは当たり前のようでした。つい最近1975年製作のDVDを見ていたのですが、大学教授の父役の人は自然に仕事から帰ってくると着物に着替える様子が映っていました。いったい、いつごろから男は自宅にいる時に着物を着なくなったのでしょうか。アニメ「サザエさん」の父、波平はいまでも着物をきています。「サザエさん」は案外日本の伝統、文化にかなったものだからこれだけ、長寿番組になれたのかもしれません。今、私は仕事が終わってからと、休日は必ず着物にしています。これも私なりの世間へのアピールで道行く誰かが、私を見て、ひとりでもいいから日本を意識して欲しい、日本文化を守って欲しい、日本はいい国だと認識して欲しい、日本の伝統を継承してほしいという願いからです。
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秋田文化会館には5時30分頃に着きました。来場時間は6時30分でした。その為、来場口あたりには椅子があり入り口側を向いて座って待つ大勢の人達がいました。そして、私が秋田文化会館に入ると、その大勢の人達がいっせいに私のほうを見ました。着物を着ていると目立つので,見られなれしているのですが、この視線は少し左翼系がいるのではないか?と思いました。私の思い違いならそれでいいのですが、それは後からも,感じましたがその話はまたあとで。なかなか本題に入らなくてすみません。今回は2話構成にし1話のみお話します。

秋田に着いた私は,佐藤昭夫さんに携帯をかけ,繋がらないので留守録に「いまどこですか?連絡下さい。」と入れて時間まで待っていたのですがついに連絡がなく、6時30分の来場時間となりました。そして来場口には知っている秋田の人達がグリーンのジャンバーを着てチケット販売やら、チラシ配りやら、募金のお願いやらをしていました。そうしたらその中に佐藤昭夫さんがチケット販売をしているではありませんか!びっくりしてしまいました。「昭夫さん!何してるの。(見ればわかるのですが、秋田県民ではないので混じっていることにびっくりしてしまったのです)」昭夫さんはちらっとこちらを見たような、見ないようないつもの不思議さを充満させていました。
とにかく中に入りました。中は所々ぽっぽっと席があいてはいましたがほぼ満席状態でした。その中の前から8列目の端側に座りました。座ると直ぐにDVDの上映が始まりました。今年チャンネル桜がかんだデモ等のダイジェストでした。南京の真実の映画の「草莽崛起」の文字、NHKのジャパンデビューへの抗議、小沢一郎の選挙地岩手での街宣デモ、尖閣諸島の中国侵略糾弾抗議デモ、10月16日(土)中国大使館等のデモのようすが次々と写しだされていきました。その間太鼓のドンドンという緊迫を煽る演出が素敵でした。本当に太鼓の会とかが映写画面の邪魔にならない所に大太鼓をおいて、叩いていたらもっと日本は危機の中にあることが観客に伝わったのではないかなと思いましたが、いろいろ諸事情も、おありなわけで、もし秋田の方、ご覧になっていたら勝手なことを申しまして申し訳ありません。笑ってお許しを。                           つづく

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近づく!「頑張れ日本!全国行動委員会」秋田決起集会

田母神俊雄氏には昨年酒田市の文化センターで開かれた拉致被害者救済キャンペーンの講師としていらっしゃった時に一度お会いしました。テレビ等で見ると大きく見えますが体の小さい人でした。よくジョークで「私は何ぼ叩かれてもこれ以上小Img0591さくなりませんから」と言い、笑いがおこっていたのですがよくわかりませんでした。お会いしてようやくわかりました。でも優しい人でした。話し方も穏やかで握手をしてもらいましたが子供の手のような小さな手でした。それがいったん登壇し、話し始めると大きく見え気骨のある日本を愛し、日本を守ろうとする人に変貌したのです。なぜこの人を航空幕僚長のままにしておかなかったのか残念でなりません。航空幕僚長だったら今起っている尖閣諸島問題でも、もっと違った日本に有利な解決を見い出したかもしれません。その田母神さんが秋田にいらっしゃるのです。尖閣諸島問題についても田母神氏ならではの正しい解釈を教えて下さると思います。

10月2日尖閣諸島は日本の固有の島であるというパレードが各地でありましたがどこの新聞(産経新聞ですら載せていませんでした。何故?)にも載っていませんでした。TVなどは当然流していませんでした。何故このような日本の国体に関わるニュースが流れないのでしょうか?もうすでに日本は日本ではなくなっているのでしょうか?こんな時代だから、なおさら私達は田母神氏の話に耳を傾けるべきだと思います。

水島総氏には「南京の真実」上映会の時にいらっしゃた時と、岩手選挙区-水沢で小沢一郎の街宣活動がありそれに参加した時と2度お会いしました。いつもくしゃくしゃになりながら頑張っている人です。水島氏も穏やかな人柄で腰の低い人です。岩手の水沢の地で、もちろんサポーターの方々も頑張っていましたが、水島氏が先頭に立って街宣車の上から演説する姿は熱を帯びていました。疲れてはいないのか、体は大丈夫なのか、こちらが心配になるほど頑張っていました。「体に気をつけて下さいね」と私が言うと汗を拭き拭き恐縮しながら握手し、「心配しないで下さい」とおっしゃっていました。街宣活動は水沢の駅前から民主党前、水沢の繁華街、小沢一郎事務所前と行われ、また水沢の駅前に戻りました。静かな町でした。ひとっ子ひとり通らない田舎でした。この静かで美しい自然と素朴さをもった水沢から何故あのような巨悪が出現するのかまったく不思議でした。街宣活動を終え、東京からサポーターとしてきていた方々もバスで東京に戻り始めました。私達も車で帰路につきましたが、別の車で来た水島氏は誰もいない駅前でまだ一人でマイクを持ち、ますます熱を帯びて話をしていらっしゃいました。水島氏はどこでご飯を食べ、どこで休憩をとっているのかまったくわかりませんでしたが、とにかく日本の為に自分のすべてを使っている姿に感動してしまいました。私達の車は動き出しましたがいつまでも水島氏の声が聞こえていました。一番頑張っていた人がまだ頑張っている。私は不意に涙が出てきました。水島氏の声がまだ聞こえます。そしてその声が聞こえる間、私の涙も止まりませんでした。どうか皆様、水島氏の話を聞いてやって下さい。お願いします。

このお二人のお話で私達はまた勇気を持って明日から生きていけると思います。また、私の口から言うのもおこがましいのですが、この運動はこういった考えを持った政治家を地方から育てようという壮大な計画です。利権やら、お金やら、親中やら、親韓やら、親米やらの政治屋ではなく日本を愛し日本を守る政治家を育てる深い意味のある活動です。どうか10月21日(木)18:50~21:00まで秋田市文化会館 大ホールに行って下さい。どうかどうかお願い致します。

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「頑張れ日本!」秋田決起総会

Image1181_4 9月25日(土)午後3時から6時まで行はれた「頑張れ日本!全国行動委員会秋田支部」結成総会に行ってきました。場所はホテルパールシティ秋田川反というところでした。全体的に50名位の椅子が用意されていましたが、発起人を含めて20~30名というちょっとがっかりな結果でした。

初めに関西支部結成大会の大盛り上がりのDVD30分程みてから本題に入りました。秋田にも全国行動委員会を作るということで会長の小松信一さんからご挨拶がありました。

有志の方々150名の方にメール便を出したそうです。数的には小松さんのほうからも少しがっかりしたとの言葉が出ていましたが、私は羨ましいと思いました。とにかく日本をよくしたいと思う熱い熱情をもった方々がたくさんいて今日結成総会まで開けることはすごいことではないかと思いました。「孫たちにこの美しい日本を残してやりたい!中国のようにものひとつ言えない国にはならないこの日本を残してやりたい!」と何度も仰っていました。その熱情を見ただけで私はここに来てよかったと思いました。

その後は10月21日(木)「頑張れ日本!全国行動委員会」秋田決起集会に向け実行委員を決めて終わりました。ただまた会員の会費は無しと言う事でした。10月21日には田母神俊雄氏、水島総氏、葛城奈海氏がいらっしゃるわけでただではないわけです。そういったお金は私が心配することではないのですが、秋田の有志の方々が出すわけで本当に尊い人々の集まりであると思いました。当日は1000名を予定しているそうです。是非立ち見が出るほどの盛況で左翼をぎゃふんと言わせて欲しいと強く感じました。皆さん行ける方は行ってあげて下さい。政治家なんかなにも役にたたない!こういった市井の人達の声が大きくなる事が重要なのです。「頑張れ秋田!」でした。

その後懇親会がありましたが、その中に特攻の回天に乗っていた人や当時関東軍の人がいたのは、たまげました。まだ事実として歴史を話せる人がいるのです。皆さん、中国、韓国の「嘘も百篇言えば本当になる」などと思っている人達から絶対に勝ちましょう!

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