カテゴリー「南京大虐殺関連」の記事

「南京大虐殺」はなかった-日本人は統一見解を持つべきではないか!

「ザ・レイプ・オブ・南京」のブログの途中ではありますが一度解決します。続きはまた書きますが、先に読んだ私にとってはあまりにも馬鹿馬鹿しいので先走りします。

南京大虐殺は次のように作られた中国の作り話です。簡単に構造だけ先に書きます。

まず第二次世界大戦で敗戦した時に中国はたくさんの捕虜を収容した。

中国はその捕虜達に戦争犯罪の贖罪を植えつけた。それについては田辺敏雄氏のHP コチラの④をどうぞ

その「洗脳=マインドコントロール」工作が完了した時点で日本に帰還させた。1956年(昭和31年)から。

その洗脳された人達は共産主義者に変わり日本に帰ってきてから、盛んに中国が刷り込んだありもしない「南京大虐殺」を本にしたり、また講演をしたり、周りの人達に伝えるなどをして吹聴してあるいた。

その人達は1957年(昭和32年)「中国帰還者連絡会」(中帰連)として組織化していった。やがてその吹聴がまったく戦争を知らない人達に信じられるようになっていく。

しかしまだ当時は南京戦に参加した人達がこぞって反論した。

1990年(平成2年)石原慎太郎氏がニューヨークのプレイボーイの対談の中で「南京大虐殺」は中国の作り話であると述べた。

この為、中国は一層「南京大虐殺」をアメリカで宣伝する中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」を作り本格的に「南京大虐殺」を宣伝するようになる。それも日本ではなくアメリカで。

その中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」がアメリカ人のアイリス・チャンに吹聴し洗脳し「ザ・レイプ・オブ・南京」製作を後押しした。

そしてその「ザ・レイプ・オブ・南京」の残虐場面は東史郎などの「中帰連」の偽文書を盛んに入れている。1_2

こうして「南京大虐殺」はさらにあったことだと強化された。

これが構図です。

中帰連の東史郎は本「東史郎日記」などをだしていますが、その中に登場する上官(橋本光治氏)に名誉毀損で訴えられ敗訴しています。それについてはコチラをどうぞ。
それ以降中国は実名をだすとそれを知っている隊員が出るので匿名にするようになりました。

うそがばれそうになったアイリス・チャンは自殺しましたが中国に始末されたという噂もあります。

原作が中国人なのでところどころ日本人的感覚が欠如し、中国人の考え方で書いているし、「残虐場面についてはある兵士が証言しています。と書き、ある兵士は誰か参考資料が無いのに書いてしまうことが多々あります。実際実在しないからです。

アイリス・チャンも中国から洗脳されたのかも知れませんが、中国、韓国はよく作り話をさらに膨らませてつくります。

そして、以上の循環がまた最初に戻ります。

現在チベット・ウイグルに行っている侵略行為、東シナ海のガス田開発、勝手に決める領海、毒餃子のかってな収束、中国漁船の海上保安庁巡視船への激突、民衆主義を天安門事件で葬り去る国民性を持った中国が言えることでしょうか?自分の国は棚にあげて、64年も前になる日本の歴史ばかりを捏造して批判する。

はっきり言えることは日本からさらなる謝罪金をもらいたいのです。俗に言うと「金がほしい」のです。

こんな中国が国際社会でのさばっていられるのはなぜでしょうか?

しかし、この捏造に抗議する立場の日本の政治もとんでもありません。中国から金をもらっている「日中友好協会」加藤紘一(山形の恥)会長や中帰連を中心とする反日団体から応援をもらう民主党やハニートラップにあっている既成議員ではどう組み替えても無理だと思います。菅直人、仙石由人などは中国漁船衝突映像を隠すという、中国のスパイのような行動さえしています。

このままだと中国はいずれ叩かなければならない存在となります。もし日本に軍隊があれば、中国はほどほどにするかもしれません。しかし無いので現実的には政治的解決が望まれますが、野田総理のように内向きの政権では安全保障問題は無理でしょう。

中国、韓国に恫喝できる総理を私達は心待ちにしています。個人的には石原慎太郎総理に中国、韓国を恫喝してもらいたいと思います。最期に河村たかし名古屋市長発言に対する石原都知事の映像を載せておきます。

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河村たかし名古屋市長-「南京事件なかった」 発言part3 日中友好協会

河村市長の「南京大虐殺はなかったのではないか」発言に対し抗議をした1「日中友好協会」のなかにはpart1で書いた「中帰連」が団体加盟している。「中帰連」の実際の中国帰還者はほとんど亡くなっているが、その後継者達がさらに左傾化している。「中帰連」の有名人としては、東史郎(一番有名な捏造者)、中山重夫、永富博道、舟橋照吉、曾根一夫(懺悔屋の代表格)、田所耕三、太田壽男、富沢孝夫、上羽武一郎などがいる。いずれも中国で洗脳され、作り物の日記や本を出版しているがすべて嘘がばれている。しかしそれを本当のこととして「日中友好協会」はますます反日、反台湾運動に頑張っている。右の写真は河村たかし市長あての抗議文を名古屋市の担当者に手渡す日中友好協会(愛知県連合会の石川賢作会長)

さて、文章はさらに苛烈で激情的でおどろおどろしくなるので、覚悟して読んで欲しい。

「ザ・レイプ・オブ・南京-第二次世界大戦の忘れられたホロコースト」 アイリス・チャン著

南京大虐殺は、虐殺された人々の数だけでなく、彼らの多くが、恐ろしく悲惨な状態で死んでいった事実においても、想起されなければならない。中国人の男性は、銃剣の練習や、首切り競争で殺害された。強姦された中国人の女性は2万人から8万人に上ると見積もられる。(前回まで)

多くの兵士は強姦に飽き足らず、女性の腹を裂き、胸を切り取り、生きたまま壁に釘付けにした。家族の見ている前で、父親が娘を犯し、息子が母親を犯すことをしいられた。生き埋めにし、去勢し、内臓を切り刻み、火あぶりにするといったことが当たり前のように横行しただけでなく、舌を鋼鉄の鉤(かぎ)にかけて吊るしたり、腰までを生き埋めにした人がシェパード犬に引き裂かれるのを見物するというような、一層悪魔的な拷問が行われた。そのおぞましい光景は当地に滞在していたナチ党員をも戦慄させ、「けだもの集団」の所業といわしめた。

にもかかわらず、南京大虐殺はぼんやりとした事件であり続けている。日本での原爆投下や、ヨーロッパにおけるユダヤ人のホロコーストとは異なり、実際のところ南京大虐殺の恐怖はアジア以外の人々にはほとんど知られていない。アメリカ合衆国で出版されている大部分の歴史文献は南京大虐殺を無視し続けている。アメリカの中等学校の歴史教科書を精査してみても、南京大虐殺への言及はほんのわずかしかない。(中略)

人間を人間的にするための社会的な制約の薄板を取り除いて人間を悪魔にするのもあるいは補強するのも、いずれも文化の力にかかわる問題である。今日のドイツが改善されたのは、その国が60年ほど前に行ったことをユダヤ人が許さなかったからである。アメリカ南部が改善されたのは、奴隷制度と奴隷解放後の百年間のジム・クロウ主義的」な人種隔離政策が邪悪なものだったことを自ら認めたからである。同じように日本も、半世紀の自らの行為がいかに不当なものであったのかを、世界に対してだけでなく、自分自身に対して認めない限り、日本の文化が前に進むことはないだろう。(中略)

第1部

1「南京への道」
この章はこのような残虐非道な日本人を理解するためにはまず武士道について述べ、明治維新は指導者が侵入者を懐柔し、彼らから学び、静かに報復を計画するものであったと述べている。

2「六週間の暴虐」
1937年11月下旬、日本軍の3つの軍団が並行して南京に向けて進撃していた。一つは揚子江南岸を西に向って進んでいた。この軍団は揚子江デルタ地域に入り、上海の西北にある白茆江を通り、京滬鉄道(南海・上海鉄道)に沿って進んでいた。日本軍の爆撃により、この地域のほとんどの橋は破壊されていた。軍団を率いていたのは、日本軍の駐仏情報将校を務め、天皇裕仁の秘密警察の長を務めた経歴をもつ中島今朝吾(けさご)である。

中島についての文献は多くないが、残された記録はどれもこれも芳しくないものばかりである。「天皇の陰謀」の著者デイビッド・バーガミニは彼を「小さなヒムラーであり、思想取締り、弾圧、拷問の専門家であった」と書き中島の別の文献から、彼が人間を焼く特殊な油を携えてやってきたサディストだったという記述を引用している。彼の伝記を書いた木村久邇典(くにのり-1923年7月11日 ~ 2000年4月12日は、日本の新聞記者、作家、文芸評論家。北海道生まれ。中央大学法学部卒。朝日新聞社に入社、山本周五郎の担当記者となり、のち山本の研究家として多くの著書を著した。ほか軍人伝、小説などがある。朝日新聞がまた悪さをしました)でさえも、中島が「獣的」で「暴力的な男だったと描いている。

★ヒムラーとはコチラをどうぞ。

もう一つの軍団は松井石根大将が、三番目は柳川平助中将が部隊長であった。

南京への経路にある地域は、どこも容赦されなかった。日本の古参兵は小さな村落をもれなく襲撃し、人影を目にするや棍棒で殴打し銃剣で刺し殺した。しかし、受難をしいられたのは小さな村落ではなかった。太湖東側に位置する蘇州は中国最古の都市のひとつで、繊細な絹の刺繍、王宮、寺院などで知られていた。運河と古い小橋の風情を見た西洋人は、この街を「東洋のベニス」と呼んだ。11月19日の朝、激しい雨の中で中国軍歩哨に見咎められないよう頭巾をかぶった日本軍前衛部隊が蘇州の城門を通過した。城内に入ると、日本軍は市内で何日にもわたって殺人、略奪、を続け、古城を焼き払い、何千人もの中国人女性を拉致して性奴隷にした。チャイナ・ウィクリー・レヴュー誌によれば、この侵略行為により、市の人口は35万人から500人に激減したという。

あるイギリス人の駐在記者は日本軍が通過した9週間後の、松江(上海郊外の地区)に何が残されていたかを記録している。「放火破壊されていない建物はほとんど見当たらない」。彼は書いている。「焼け焦げた廃墟と人気のない街路、唯一の生き物である野犬が人間の死体のごちそうで不自然に肥えている光景は異様だ。10万人ほどの稠密な人口がいたはずの松江全体で、私が見た中国人はフランス宣教師の屋敷に悲嘆に暮れていた5人の老人だけだった」

                                                        

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河村たかし名古屋市長-「南京事件なかった」 発言part2 アイリス・チャン

河村市長が言う南京大虐殺なる事件を、有名にしてしまった本が中国系アメリカ人-アイリス・チャン著の「ザ・レイプ・オブ・南京-第二次世界大戦の忘れられたホロコースト」という本だ。この本は1997年(平成9年)12月にアメリカで出版された。Photo

この本は発売4ヶ月で12万部が売れ、翌年の秋にはペーパーバック版(日本で言うと文庫版)が出版され全発行部数は50万部を超えたといわれている。この本は1997年中国でも発行されている。日本の柏書房もその版権を取得したが次の理由により出版しなかった。

根本原因として「偏見と誤認に依拠する原著とその著者の基本的姿勢そのものにある」と述べている。著者の基本的姿勢はこのブログの「南京大虐殺という大嘘」~アイリス・チャンの死にアイリス・チャンの映像がありますので是非ご覧下さい。日本に対する憎悪がみえる映像です。

この日本の柏書房の後、日本では出版される事も無く、その間その本の内容はアメリカ人に、特に中国系アメリカ人に日本をさらに憎む教本となり、中国では反日教科書のようになった。その動きは益々燃え盛っている。私はこの本がいったい何を書いているのか、日本語訳がある本を探した。そして見つけた。それはアメリカ、中国に遅れること10年。2007年12月10日に、日本語訳「ザ・レイプ・オブ・南京-第二次世界大戦の忘れられたホロコースト」の初版がでていたのだ。

この本は日本人の心を傷つけ、名誉毀損であるような本だが、このまま日本人の目に触れずに終わるのならば、せめて私は、このブログを読んでくれる読者の為に、そして河村市長の為に書こうと思う。私の見解はいれ無い。その反論は別の日のブログで書く事にする。とにかく読者はこの本の内容がわからないと思うので、まず原文どおりを要約して書くので、よろしくお願いします。途中で気分が悪くなるようでしたら読むのをやめてください。それでは。
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「ザ・レイプ・オブ・南京-第二次世界大戦の忘れられたホロコースト」 アイリス・チャン著


人間の同じ人間に対する残虐性の記録は長々と続く悲しい物語である。しかし、恐怖の物語の無慈悲さの度合いにも等級があるとするならば、その強烈さと規模において、第二次世界大戦期に起きた南京大虐殺に匹敵する残虐行為は世界史上にわずかしかないだろう。(中略)1937年11月、上海の侵略に成功した日本は中華民国の新しい首都として制定された都市に対する大規模な攻撃を発動した。

1937年12月に南京が陥落したとき、日本軍の兵士たちは世界史的にもほとんど類例のない残虐行為の狂宴をくりひろげ始めた。何万人もの青年が駆り立てられ、家畜のように市外に集められ、あるいは機関銃でなぎ倒され、あるいは銃剣の練習台にされ、あるいはガソリンを浸して生きたまま焼かれた。何ヶ月もの間、市内には死体が積み重なり、腐敗して、死臭が漂っていた。後年極東国際軍事法廷の専門家は1937年の後半から1938年の年初にかけて南京で、日本軍兵士の為に26万人の非戦闘員が死亡したと推定した。別の専門家はこの数を過小であるとし、35万人を超えていると主張した。(中略)

大量殺人の用具が発達し洗練された今世紀には、ヒトラーは600万人ほどのユダヤ人を殺し、スターリンが4000万人以上のロシア人を殺したというのはたしかなことだとしても、これらの死は数年間をかけてもたらされたものである。南京での虐殺は、わずか数週間に集中して行われた。

実に歴史上のもっとも破壊的な戦争は何かという標準で考慮した場合でさえ、南京大虐殺は大量殺人の最悪の例の一つである。その程度を実感するためにもう少し統計資料を引用しなければならない。中国の一都市であるしかない南京での死者の数は、それだけで、多くのヨーロッパ諸国の、第二次大戦をとおした、一国の民間人の死傷者数を超えている。

前述のもっとも内輪の見積もり数の26万人を採用するにしても、あるいは最大の35万人を採用するにしても南京での死者数が、アメリカによる東京大空襲の死者数(8万人から12万人と見積もられている)」を超え、1945年戦争終結時の広島と長崎に対する2つの原爆攻撃の死者数の合計(広島で14万人、長崎で7万人が死亡したと考えられている)をも超えていることを思うと、衝撃を感じざるを得ない。

南京大虐殺は、虐殺された人々の数だけでなく、彼らの多くが、恐ろしく悲惨な状態で死んでいった事実においても、想起されなければならない。中国人の男性は、銃剣の練習や、首切り競争で殺害された。強姦された中国人の女性は2万人から8万人に上ると見積もられる。
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河村たかし名古屋市長-「南京事件なかった」 発言

2月20日(月)名古屋市長の河村たかし氏は名古屋市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で旧日本軍による南京事件について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件(南京大虐殺)はなかったのではないかと発言した。河村氏は終戦時に父親が南京市にいたことをあげ「事件から8年しかたってないのに南京の人は日本の軍隊に優しくしていたのはなぜか?」と指摘した。中国外務省の洪磊報道官は20日の定例記者会見で発言について「南京大虐殺は動かぬ事実だ」と非難した。2月21日付 産経新聞

2012年2月20日(月)名古屋市長の河村たかし氏と名古屋市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談は名古屋のテレビ局「メーテレ」が撮影しています。

現在問題にされている「南京事件はなかったのではなかったか」という報道についてはこうであったという映像です。その映像はコチラをどうぞ。

河村市長の微妙なニュアンスなどがわかりますので是非ご覧下さい。

河村市長は遠慮がちに亡くなった父親が敗戦を南京で迎え、その時に南京の住人にとても優しくされたという話を聞いていて敗戦が20年なので、南京陥落はその8年前の昭和12年12月13日です。

そしてそこでは日本人が中国の軍隊のみならず、民間人までも含めて30万人を虐殺したとされる南京大虐殺なる事件があったとされたが、そんな残虐な行為があった南京でわずか8年後には、もう南京の人には優しくされているのです。そのことからして南京大虐殺などなっかたのではないかという話をしているのです。

河村氏ははっきり無いと思っているのでしょうが、非常に遠まわしに遠慮がちに話しているのです。だからその歴史についても一緒に研究しましょうと述べているのです。

私ごときがいうのは何の意味も無いかもしれませんが、いろいろな書物、資料、そして生き残った当時南京にいた人の話から、この事件は無かったとしかいえません。そして日本政府も有識者も無かったと思っていると思います。次の映像は平成19年(2007)12月6日、東京九段で「南京陥落70年国民の集い」が開催され、南京攻略戦に参戦した元日本軍の参戦兵士9名が参加、貴重な歴史的証言を行った映像証言です。是非ご覧下さい。

しかしそれならば何故日本はそれに抗議しないのか?それは何重にも重なったトリックがあるからです。

敗戦後にアメリカ主導で行われた極東裁判において南京事件に関わる重要ポストにいた生き証人を処刑した点。
これは後年生き証人が出てきて本当の事がわかれば、南京事件が無かった事がわかり、すると東京大空襲で民間人を容赦なく焼き払い、長崎7万人、広島14万人の民間人を殺したアメリカの戦争責任が拡大するからです。

アメリカは用意周到に復讐が美徳とされる日本にそれをさせない手を打っています。戦争が出来ない憲法を与えました。

そして極東裁判のような裁判はあらゆる国によって行われました。中国でも。韓国でも。オランダでも。昭和17~20年頃のアジアは欧米諸国によって植民地化されていたので、それらを追い出した日本はそういった国々から無秩序に戦争犯罪の罪で殺されました。

また、その頃日本は、社会主義者を政治犯として取り締まっていましたが、それらの人々を解放させられ、反対に戦争に応援した小学校から大学までの学校長はすべて仕事を剥奪され、その代わりに赤狩りで捕らえられていた社会主義者がその要職にあてられることになりました。この左傾化はのちの学生運動に繋がっていきます。東大紛争は東大にはもっとも左傾化した人間があてられた為、激しいものになりました。

また、戦争を盛んに鼓舞した町内会長や夫人会長などはある日突然呼び出され、知らぬ間に処刑されてしまいました。

しかし、この時点で日本は何もできなかったのです。それはひとえに我々がもっとも大事とする天皇陛下の命が人質にとられていたからです。日本人は天皇陛下を殺されてまで筋を通すことができません。これは当然のことなのです。すべて罪状を飲むしか道はなかったのです。

それ以降はおしてしるべしです。自分の国を自分で守れない国家が誕生しました。

中国はさらに、処刑するだけでなく自国教育を殺さない変わりに日本人に施し日本に送り返しました。そしてこのマインドコントロールを受けた日本人が盛んと内から反日を叫ぶようになってしまいました。「中国帰還者連絡会」です。中国はアメリカのいう思想の自由という聞きざわりのいいことばを利用して、反日集団を日本に作ったのです。下記の団体がマインドコントロールされた団体です。

旧日本軍の中国・南京占領から71年になる13日、市民団体が「南京事件71周年集会」を東京都内で開き、 野中広務元自民党幹事長が講演で、1971年に後援会の人たちと南京を訪れた際、 日本軍兵士だったという1人が「女子供を百数十人も殺した」と告白したエピソードを紹介しています。

「子どもと教科書全国ネット21」など主催で、約300人が参加した。
野中氏の講演によると、後援会員は南京を占領した部隊の一員。野中氏らと訪れた城壁の近くで 突然倒れ「体がガタガタ震え、地の底に引き込まれる気持ちになった。やってはならない(ことをした)中にいた当時を思い起こし、居たたまれなくなった」と説明。

この後援会員は「占領した市内の点検を命じられ大きな土塀の家を調べたところ、中は女子供ばかりだった。 上官に報告すると、『その中に便衣隊(民間人を装った軍の部隊)がいるんだ。皆やっちまえ』と言われ、目をつぶって、恐らく百数十人を全部殺してしまった」と話したという。

野中氏は「規模は分からないが、異常で非人間的な事態があったことを、その人を通じ知ることができた」とし「国の将来を思う時、歴史に忠実でなければならない」と訴えた。

【共同通信】2008年12月13日 17時56分

また自民党総裁谷垣禎一氏は中国のハニートラップに合っているのでなにもいえません。それについてはコチラをどうぞ。

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「南京大虐殺」という大嘘~アイリス・チャンの死

前回は「南京大虐殺」を日本中に広めたのは朝日新聞社の記者本田勝一氏による中国の旅という記事からであり、その本田勝一は日本人ではないという話まででした。

その後、その話により日本人の心の中に「贖罪」意識が芽生え、従軍慰安婦問題しかり、強制連行しかり、歴史教科書しかり、あらゆる方向にその問題は事実として歩き出してしまいました。そして長く長く、日本人はその問題にむかわざるをえなくなってしまいました。

そこに1997年に中国系アメリカ人のアイリスチャンによる南京大虐殺があったとする決定本「ザ・レイプ・オブ・南京」が発売されました。Tyannそれにより何も日中関係を知らないアメリカ人を震え上がらせる事になります。そしてこの本のヒットにより南京大虐殺は日本人の戦時中に犯した最大の罪として世界中に広まる事となりました。

アイリスチャンがこの事件を知るようになった経緯は次のようなものです。

“チャンは少女時代より、両親から「南京大虐殺」の話を聞いていた。しかし小学生の頃、図書館で「南京大虐殺」に関する書物を探したが何も見つからず、学校でその事件について教えられることもなかった。20年後に、この事件に関する記録映画を制作していたプロデューサーに出会い、この事件に再び向き合うことになった。1994年にサンノゼ市近郊で中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」が主催した集会に参加したときに、会場に展示されていた日本軍による残虐行為とする写真を目にして衝撃を受け、本書の執筆を決意したとされる。”

この中に出てくる中国系団体「世界抗日戦争史實維護聯合會」は中国が日本叩きの為に、アメリカで反日プロパガンダを広めていた団体です。この嘘にすっかり乗せられてしまったアイリスチャンは世界をだます妄想本を書いてしまう事になりました。当時1998年のアイリスチャンと駐米大使の映像がありますのでご覧下さい。

皆さんはこの映像をみてどのように感じるでしょうか?

この後アイリスチャンはうつ病にかかり2004年11月9日に自殺(中国に始末されたという噂もあります)しています。彼女も批判やさらなる検証により自分が書いた本が、そして本に使用した写真が事実ではないことに、だんだんと気が付いたのかもしれません。その為に中国から「口封じ」をされたのかもしれません。

彼女が書いた「ザ・レイプ・オブ・南京」がインチキ本であったから南京大虐殺がなかったとはいえないかもしれません。しかし本当と思われる本は、この「ザ・レイプ・オブ・南京」に勝てずにいるのです。

私達日本人は中国お得意の歴史捏造にまたもや負けてしまったのです。

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「南京大虐殺」という大嘘

皆さんは「南京大虐殺」という言葉を知っているでしょうか?南京大虐殺とは日中戦争初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際に、中国兵から一般市民までを含め30万人を虐殺したとされる事件です。詳しくはコチラをどうぞ。

この問題は、「南京大虐殺」という事実がそもそもあったのか、あったとしての規模(30万人)の問題などで長く論争が続けられている事件です。この事件が大きく「南京大虐殺」というネーミングで広く世間に広まったのは、日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞に掲載された本田勝一記者の「中国の旅」という連載記事によってからです。本田氏は、日本軍のありもしない行為をこれでもかといった残虐性を帯びた表現で記載し、日本人の名誉をこっぴどく貶めたジャーナリストでもあります。それについては「韓国は何故反日か」サイトに詳しく書いてあります。3部構成でかなり長いのでその部分だけを抜き出しました。(詳しくご覧になりたい方はコチラをどうぞ)

★そしてその民主党と中国共産党を日本国内で援護する情報工作を担当をしているのが『朝日新聞』である。

この朝日新聞とは、中国共産党と創価学会の影響を強く受け続け、社員に在日枠が用意されているため在日朝鮮人が記事に影響を及ぼし、中国共産党の機関紙(国営紙)である人民日報とは正式な提携関係にあり、日中韓3国だけの意見を引用して反日をあたかも国際的意見のように騙りつつ、裏では『朝鮮人の資金源である“武富士”』とつるむ露骨な売国新聞である。

そして『朝鮮総連(※後述)』にはジャーナリストらしい突っ込みを入れずに、拉致被害者「曽我ひとみ」の当時北朝鮮にいる家族の住所をそのまま報道し、本社の脱税額は11億8600万円など、明らかにモラルに欠けるメディアである。

実はこの朝日新聞も戦前は愛国心(※当時の価値観で)溢れる新聞社だったのだが、中国と朝鮮の影響で徐々に内容がおかしくなっていった。

1970年。
朝日新聞の広岡知男社長は中国の『文化大革命』を礼賛する記事を掲載した。※文化大革命とは、中国政府にとって都合の悪い“自国民”を なんと「2000万人以上」政府が虐殺するという世界に類を見ない政策。(ちなみに原爆2発分の被害者ですら“数十万人”である。規模が桁2つ違う) 世界中から非難されている中国の愚行を“肯定”する記事を載せたのである。

そしてその年の10月21日、朝日新聞は『中国政府の意向に沿った記事を書くこと』を公言した。

1971年。
『南京大虐殺』という嘘を浸透させるキャンペーン開始。朝日新聞の記者である本多勝一により『中国への旅』が連載された。新聞で「百人斬り」「慰安婦」「大虐殺」など中国の注文通りの無茶な作り話を検証を一切せずに報道し、日本国民に『罪悪感』を植え付けることに成功。ちなみに日本刀は構造上1本の刀で斬れるのは2~3人が限界でそれ以上は刃を鍛えなおさなければ不可能であることは刀を知る者の常識である。後に中国の嘘や捏造が次々と証明されるのだが、朝日新聞は報道しなかった。

そして後に、記事を書いた「本多勝一」の本名が「崔 泰英」であると発覚した。つまり日本人ではない。★
                                         to be continued

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