カテゴリー「中国関係」の記事

竹林はるか遠く 最後に

三人が朝鮮を旅立ったころ淑世は38度線を目指して歩いていた。森の奥深くに入っていた為方向がわからなくなっていた。下が急な崖になっている平地まで来ると、下に京城に向かって何キロも伸びている線路が光っていた。それから少し前を見ると歩いている人々が見えた。

すると突然歩いていた人々の向こう側から機関銃の銃撃が始まった。淑世は一瞬動けなくなった。それから崖の上の発砲した方に向かった。人々は罠にはまったのだ!下に見える線路がざわついていた。「みんな死んだ!」朝鮮語を話している声が上まで届いた。「所持品を調べろ。貴重品は全部取れ」と違う声がした。「裸にしろ。金歯をしていたら、歯を引き抜け」彼らは共産主義の兵隊で崖の上に隠れ線路づたいに歩く引き揚げ者を殺し、略奪を繰り返していたのだった。

淑世は山の奥深くに逃げ込んだ。森から離れないように一日中歩いていた。いつしか月日がわからなくなっていた。ある朝目覚めると霜が周りに厚く降りていた。雪が降り始めた。「僕はこれを乗り越え生き延びなければいけない」「母と妹たちに会いたい」「三人とも、苦労しているに違いない」「京城までたどりつかねば!」雪は吹雪に変わった。靴底はボロボロになり服は凍り、そして疲れきっていた。一寸先も見えなかった。

突然吹雪の中、木々の間から遠くにかすかな赤い明かりを見た。淑世は立ち上がった。ひどいめまいを感じ、よろめいたが引きずるように歩いた。明かりの方へ、明かりの方へと。やっとの思いで小さな農家にたどり着くと、そこで気を失い、力尽きて倒れてしまった。

一生懸命読んでくださった方には申し訳ありませんが、あらすじはこれ以上書きません。私はこの本を実際に読んでもらいたいのです。この後、淑世はどうなるのか?日本に向かった母と好と擁子はこの先どうなるのか?淑世は皆に再会できるのか?この辺の部分を私は伝えません。どうか買って読んで下さい。

あの当時朝鮮半島に住んでいた日本人がいかに敗戦という事実により朝鮮人に手のひらを返すようにいたぶられたかをあなた自身で知ってもらいたいのです。日本は1965年の日韓基本条約ですべての戦後賠償は解決しているにも拘わらず、いまだに賠償を求められています。韓国の順法意識のなさにはあきれはてます。

反日教育をしながら、経済面では日韓友好協力などが叫ばれています。

「竹島問題」

「従軍慰安婦問題」

「強制徴用問題」

「歴史の捏造問題」などなど‥

このゆすり、たかり、ヤクザ国家はなんとかできないものでしょうか。

この異常な国の一部を知るだけでも「竹林はるか遠く」は参考になると思います。また、この困難に立ち向かった川嶋家の懸命な「生」への頑張りは生きるどんな人達にも応援になると思います。是非読まれる事をお願いします。もし近くの書店にない場合はアマゾンで購入できます。

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竹林はるか遠く あらすじ 3 船出

軍服を着た三人は京城をめざして歩いていた。擁子の右耳は相変わらずズキズキ痛み、傷ついた胸は軍服に擦れた。しばらくすると日本人らしい男たちがリュックサックと包み、女たちが赤ちゃんをおぶっているのが見えた。母が話しかけここがどこかと尋ねると「遠くに見える茶色の屋根が京城駅です」と教えてくれた。遂に!

いつのまにか三人は避難民の検問所の行列についていた。検問所の警察官がこれからどこに行くのかと尋ねた。母は息子が着くまで京城に留まり戦争が終わったら羅南に戻るつもりだと話した。「戦争は終わった」と彼はいった。私達は驚きのあまり呆然としていた。「いつ?」好は聞いた。「昨日だが、君達は羅南には帰れない。今、朝鮮では、日本人は危険な状況下に置かれている。だから、北からこれほど多くの人達が避難しているのだ」「今日は何日ですか?」また好は聞いた。「8月16日だ。では長崎と広島に原子爆弾が落ちたことも聞いてないのか?」「はい」「日本は負けた」「広島も長崎も地獄そのものだ」突然母が地面に倒れた。

しばらくして母が意識を取り戻した。検問が終わり三人が出発しようとした時、警察官が擁子の怪我の手当をしてやりなさいと言った。屋根に赤十字のマークのついったテントにいた医師は擁子の耳と胸をみて「この子がどうやってここまで耐えてこられたのかわからない。ひどく化膿している」と言った。耳に細長い針金を入れて金属のかけらを抜きだした。母はこれからどうするのかと尋ねられたのでここで淑世を待つと言った。そういうことなら擁子は入院したほうがいいということになり入院する事となる。擁子には母と好が交代で付き添い、付き添わないほうが駅にいて淑世の到着を待っていた。しかし2週間たっても淑世は来なかった。

9月1日医師が母と話した。「患者は全員今月の末までにトラックで釜山(プザン)に向かいます。赤十字船が10月2日にそこから日本に出発することになっているのです。一緒に母国に戻りましょう」しかし母は淑世を待つつもりだと断った。

医師達との別れが来た。皆がひきあげてから三人は駅に戻った。「食料を探してくるわ」と好は言うと空っぽのリュックサックを持ち、ホテルのごみ箱で食べられそうなものを漁りほぼ一杯にして戻ってきた。三人が京城に来て、5週間が経ったある日、好が深刻な事態を知らせた。「私達は京城をでなければいけない。朝鮮人の男達が藪の中へ女の人達を引きずって行くのを見たし、若い女性に乱暴しているのもみたわ」好は震えていた。「女の人たちは金切り声を上げて日本語で助けを求めていたの。今からもう一度私の髪を剃ってくれる?」川で母は私達二人の頭を剃った。それから好をもっと男の子らしく見せるため、ガーゼで胸をきつく巻いた。

「明日の最終の貨物車に乗りましょう」と母は決めた。好と擁子は駅の支柱や木という木に「淑世、釜山へ」と彫った。次の日貨物車の材木の上に乗ることが出来た。三日目に、ついに列車は釜山駅に着いた。駅は満員だった。三人は港の近くの倉庫に行くように命じられた。「私は駅で息子を待たなければいけないのですが」母は朝鮮の係員に話した。「駄目だ!我々はここで独立祝賀会を開く。出て行け!」三人はのろのろと歩き倉庫に着いた。倉庫はいっぱいだった。なんとか隅に隙間をみつけて座る事が出来た。

しばらくして擁子は「お便所にいきたい」と言った。建物の隅に六つの便所があったがドアもなく男女の区別もなかった。擁子の前にいた女性が戸惑いながらズボンとパンツを下ろしてしゃがんだ。母が来て女の人の前に立ってなるべく見えないようにしてあげた。彼女は出てきて戻っていった。すると、突然、助けを求めて金切り声を上げた。振り返ると列の終わりで朝鮮人の男、4人が彼女を捕まえていた。

好のところへ戻ると好も便所へいきたいと言った。母は青白い唇を開いて「胸の包帯はきつく巻いてある?」「好、男の子がするようにするのよ」それ以来、私たちは男の子のように立小便をした。それは悲惨なものだった。しかし身の安全には代えられなかった。その日は悪夢のようだった。独立を祝いながら、酔った朝鮮人が三人の周りにきた。一人が前後にふらつきながら好に執拗にせまった。「お前は男か女か?」「男だ」と好は答えた。「女の声のようだ。触らせろ」「触ってみろ」好は言い返した。

酔った朝鮮人は大きな手を好の胸に当てた。「平らだ」男は言った。「男には興味がない」男たちの集団はさったが彼らは悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、そして娘たちをみつける度に外へ引きずりだした。たびたび女たちの悲鳴が響いた。

母も好もその夜眠れなかった。翌朝は擁子が食べ物探しに行くことになった。擁子はごみをつつきながら一杯になったリュックサックを頭の上に乗せ戻りはじめた。小さな小川で水を飲もうと立ち止まったとき、擁子は泣き叫ぶ声を聞いた。草むらの中で女性の上に乗った朝鮮人がいた。彼女は思いっ切り男を蹴飛ばしながら金切り声を上げていた。擁子の膝が震え始めた。出来るだけ早くその場を離れ、母と好の元へと急いだ。「これ以上ここにいることは出来ないわ」擁子が見たものを話し終えると母はそう決断した。「私たちは日本へ帰らなくちゃ」しかし、母の目は涙でいっぱいだった。「でも淑世が‥。淑世は朝鮮で一人ぼっちになってしまうわ」

一週間後、貨物船がやってきて百人が日本に行く事ができると知らされた。しかし三人は百人に入ることができなかった。百人は去ったがまた次の百人が押し寄せてきた。三人はその場から離れることができなかった。一週間後、船は戻ったが次の百人にも入れなかった。母は群集の中淑世を探し続けた。再び船が見えた。ついに三人は百番以内に入ることができた。朝鮮人の係員のきびしい検査もとおり三人は船に乗ることができた。

海が朝日の色に染まってきらめき始めた頃、船はゆっくりと埠頭を離れた。「ついにやったわ!もう脅えることはないのね」好は、ゆっくりと消えてゆく朝鮮半島をじっとみつめていた。涙が頬を伝っていた。母の顔も涙がこらえられず、ぐしょぐしょになっていた。
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竹林はるか遠く あらすじ 2  兄-淑世

母達が逃げだした時、淑世は、羅南の爆薬工場にいた。淑世の友人正一、誠、眞蔵の三人が便所に消えたちょうどその時突然共産軍が工場に入ってきた。淑世は前にあった空箱に飛び込んだ。級友の泰男が銃をとり発射した。すぐさま共産軍は反撃してきた。ダダダダダダダダ‥。泰男は倒れた。ほとんどが殺され、何人かが捕まえられた。淑世は無事だった。共産軍は捕らえた何人かと出ていった。隊長は「武器を外に出し、この建物は爆破しろ」と命じた。

淑世は何も聞こえなくなったことを確認すると、用心深く箱から出て泰男の体の上を這った。死体だらけだった。吐き気と恐怖におののきながら、便所の戸までやっとのことで行くと、頭で押し明けた。「誠?」淑世は立ち上がった。「正一、眞蔵、誠、俺だ、淑世だ」三つ目の便所の戸がわずかに開いて三人が出てきた。「奴等はここを爆破するつもりだ。一刻も早く逃げるんだ」

共産兵は捕まえた人に銃を向けながら大通りの方へ歩かせている。四人は便所の窓を押し開け、一目散に工場の壁に沿って山の方に向かって走った。それほど遠くへ行かないうちに爆発音が響いた。振り返ると工場が爆発し爆煙が上がっていた。

青年達は家に向かって歩き続けた。夜が明ける頃村外れの竹林の中に建っていた淑世の家に着いた。玄関は壊され、勝手口は開けっぱなしになっていた。共産軍に掠奪されていた。淑世はミシンの上にあった書置きに気が付いた。「息子へ。私達は出発しなければいけません。京城の駅で待っています」淑世は残っていた米や飯盒や下着や靴下、セーターをリュックサックに詰め、すぐに逃げ出したがまた戻って家族のアルバムをしっかりと腕に抱えて家を後にした。

正一の家に行くと眞蔵と正一の両親は南の方へ逃げていたが、誠の両親は殺されていた。日本の学生服ではこの町を逃げることは出来ない事がわかる淑世は家族の友人の李さんのところへ朝鮮服を借りに行く事にした。李さんは朝鮮人だが共産主義者ではない。だがいってみると李さん夫婦は殺されていた。共産軍は同胞の善人をも惨殺していた。「服を借りて、ここから逃げよう」正一が叫んだ。

青年達の歩く旅が始まった。彼らは話さなければいけないときはいつも朝鮮語を使った。共産軍に見つからないように日中は休み、夜間に歩いた。歩き始めてすでに10日がたっていた。日がたつにつれ多くの朝鮮人や日本人、女性や子供が線路を歩いているのが目立ち始めた。年老いた老人が淑世達に日本語で話しかけてきた。そしてその老人から日本が負けたという事と戦争が終わった事を知らされた。

線路を離れ茂みを探しているその時だった。「止まれ!」誰かがへたな朝鮮語で叫んだ。反対側の茂みから二人のソ連兵が銃を持って走ってきた。淑世は朝鮮共産軍の人間だと嘘を言い、日本製の美味しい煙草を差出し端川(タンチョン)の町に行けば、共産軍の本部が安い賃金で労働者を雇っているのでそこで働けば食料ぐらいはもらえるだろうという話をもらった。

端川に着くと共産軍本部で働く事にした。仕事は死体を大きなわら袋に入れて崖から端川湾に放り投げる事だった。それらは列車から投げ落とされたり、野原に置き去りにされたりして死んだ人々だった。一日の労働を終えると煮たキャベツとご飯が与えられた。ここでの仕事が終わると、給料を少し受け取り、さらに南へと歩き続けた。港町の元山(ウォンサン)に着くまで1ヶ月半かかった。もう9月の終わりになっていた。淑世はここで仲間と別れ一人京城へと向かう事にした。淑世は少なくても38°線まで行こうと決めた。一人旅を心細く感じていたがもうすぐ母や姉妹に会えるという夢を抱きながら線路を歩き続けた。

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竹林はるか遠く あらすじ 1

話は1945年3月頃から始まる。主人公川嶋擁子は父が満州鉄道に勤めていた為、一家で朝鮮北部の羅南(らなん)に住んでいた。平和な村だった。父は会社に住込み1週間に一度帰って来るという生活だった為、普段は母と兄の淑世(ひでよ18歳)、姉の好(こう16歳)、擁子(11歳)の4人暮らしだった。

両親はたとえ戦争中であっても擁子に習字や茶道、華道、詩歌の詠み書き、日本舞踊などの稽古を続けさせていた。東京大空襲の事は家族の耳に入っていた。大日本帝国陸軍は軍の病院を拡大する為に力ずくで朝鮮から農地を奪った。朝鮮人達は大日本帝国に統治されていた為に、日本人を嫌い、戦争を快く思っていなかった。

そんな時、擁子は陸軍病院で負傷兵の為の催し物に参加する子供に選ばれていた。当日擁子は日本舞踊を踊った。その中に生きる意欲を失い食事もとらず、治療もさせない人がいた。その人が松村伍長だった。擁子は松村伍長と会話する機会を与えられ、その会話が松村伍長の心を救った。

それから数週間後、傷痍軍人の着物を着た松村伍長が現れた。それからというもの松村伍長はしばしば擁子達の家を訪ねることとなった。

しだいに戦局が厳しくなり、兄の淑世は兵器工場で住込みで働くことになり、出かけていったその夜、突然誰かが戸を叩く音と叫び声が聞こえた。松村伍長だった。「まもなくソ連兵が上陸してきてきっとみなさんを探しにきます。ここに残っていては殺されてしまうでしょう。息子さんには京城(現在のソウル)駅で待っていると書置きを残して下さい。日本人の病人を非難させている赤十字列車(傷病兵輸送列車)が朝4時に羅南を出発します。それにあなた達が乗れるよう私が駅長に取り計らってあります。彼は私の友達なのです」

伍長は擁子の顎に手を触れて微笑むとおでこに唇をあて「君の事を忘れないよ」といった。「私は再び出征するように命令されています」と帰ろうとする伍長さんを擁子は呼び止めた。“武運長久”と擁子が書いた習字の半紙をすばやく巻いて伍長さんに渡した。「ありがとう。自分も皆さんのご無事を祈ります」そういい残して暗闇の中に消えていった。

1945年7月29日真夜中、三人は淑世と父に書置きを残し羅南から脱出した。母は細引きで自分の手首と擁子の手首を結びつけた。「これで絶対に離れ離れにならないわ」続いて好の手首を縛りながら「家の鍵は掛けていくけど淑世は窓からはいれるから大丈夫。あと私達がここを出る事を誰にも気づかれないように。たとえ何があっても駅までは静かにするのよ。わかった?」

三人は駅まで一番近い川沿いの道を歩いた。「静かに」母がささやいた。三人は雑草や小石で体をすりながら急斜面の土手を滑り降りた。「イル(1)、イー(2)、サム(3)、サー(4)」反日朝鮮軍だ。彼らは三人のすぐそばまできていた。「止まれっ!全員川岸まで走れ!敵を殺す訓練をする」敵というのは日本人のことだ。部隊長は三人のすぐ近くで敵の刺し殺し方や身の守り方を説明し、川や溝に死体を引きずり降ろす方法まで教えていた。やがて「全員泳げ」という命令と共に遠ざかっていった。

三人はまた道を歩きはじめた。やっと羅南駅に到着した。駅は日本人の衛生兵や民間医療班や傷病兵でごったがえしていた。朝鮮人の駅長は松村伍長のことなど構わず三人を乗せまいとした。軍医の威圧的態度にやっとのことで女性患者の貨車に乗れることになった。汽車は京城行きだった。貨車の中は死にそうな病人であふれていた。

しばらくして汽車が止まった。看護婦が「共産軍の兵隊達が車内を点検しているのだ!」といった。擁子は衛生兵に血のついた床に投げたおされた。好は横になるように言われ先ほど子供が生まれた女性の胎盤をおなかに乗せられ大きな敷布で覆われた。母にも横になるようにいった。そして血で汚れた擁子のブラウスを脱がせ好と母の顔をこすった。まもなく共産軍が飛び乗ってきた。

「ここにいるのは全員、病人か?」「我々は健康な日本人を探している。中年女性で、16歳と8歳位の少女と、19歳の青年を連れて羅南から乗ってきた者だ。名前はカワシマ」この難は看護婦の機知によりなんとかだます事ができた。また夜が更けていった。突然汽車が大きく揺れて止まった。飛行機が汽車の上を飛んで行った。先頭の機関車が爆破されたのだ。赤十字をつけた列車や船を攻撃してはならないのにだ。

京城から70キロ離れた所だった。共産軍がねらっている擁子たち三人はここで汽車を降り歩く事とした。線路伝いに京城に向かった。夜が明け始めると線路から離れ茂みを見つけ睡眠をとり日中は捕まらないように隠れていた。夕闇が三人を隠してくれるまで待ち、そして再び線路の上を歩きだした。

夜が明けると遠くで飛行機の音がしはじめた。三人は線路から離れて森の中に隠れた。丸1日寝た。目が覚めわずかなご飯を食べ終わった頃、突然3人の共産兵が三人の前に立ちはだかった。「立て、動くな!」と彼らは怒鳴った。共産兵は3人とも好を見ていた。「今夜楽しむには、丁度いい年頃だな」と一人がいった。その言葉が終わるか終わらないうちに、飛行機の爆音が聞こえ、三人の頭すれすれに飛んだ。よく訓練された三人はすぐに、地面に伏せた。ドカーン!

爆弾が近くで破裂した。擁子は気絶した。誰かが乱暴に擁子を揺すったので目をさましたが、擁子の右耳は聞こえなくなっていた。そして胸の激しい痛みと共に血が出ていた。共産兵は皆死んでいた。三人は生きていた。いつしかまた眠りに落ちていた。次の日に起きると好と母の姿に驚いた。好は共産軍の軍服を着、長い黒髪は切り落とされていた。母も軍服を着ていた。母は擁子の髪を剃った。そして擁子にも死んだ共産軍の軍服を着せた。それからまた何日も何日も線路を歩き続けた。
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竹林(たけばやし)はるか遠く  ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著

この本は面白い。読み初めからいきなりひきずり込まれました。苦難が何度もやってきます。どうなるの?どうなるの?の繰り返Take_3

しでどんどん本の世界に入ってしまいます。あまりの面白さに読み終わるとまた、初めから最後まで読みました。そのくらい面白い本です。

この「竹林(たけばやし)はるか遠く」は川嶋擁子氏が1986年にアメリカで出版したもので、もう27年も前に書かれた本です。そしてこの本は翌年の1987年からアメリカの中学校の教材として採用されたそうです。

川嶋擁子氏について少し経歴を書いておきます。

川嶋擁子氏は1933(昭和8)年青森県で生まれで、生後6ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南(らなん)-現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市に移住。家族は父と母、長男の淑世(ひでよ)、長女の好(こう)、そして主人公の次女擁子の5人です。

本の内容は彼女が、1945年7月29日の深夜に羅南を母と姉と擁子の三人で脱出し、数々の苦難を乗り越え日本に辿りつき、京都で暮らし始め、その後、半年位までの体験を書いた自叙伝的小説です。家族と伍長として登場する松村氏は本名となっています。

引き揚げ者の話ですが、あくまで11歳の少女-擁子の目線で書かれた戦争引き揚げ体験談です。

戦争という恐怖の中で家族が力を合わせ、知力をふりしぼり、そして当時わずか11歳の少女がこの状況の中で、恐れず、あきらめず、生き抜く姿は全米中に感動を与える事になりました。この本の英語のタイトルは「So Far from the Bamboo Grove」で1987年からはアメリカの中学校の教材になりました。

また、数々の賞にも輝いています。1998年にはボストン図書館が推奨する児童文学者に選ばれています。

アメリカの平和団体ピース・アビーよりガンジーやマザーテレサ、ダライラマも受賞した「The Courage of onscience

Award(誠実な良心に対する賞)」

「ALA Notable Book(アメリカ自由協会が注目する賞)」

「Parents' Choice Gold Award(親が子供に選ぶ素晴らしい本である賞)」

等多くの賞を受賞しています。

日本に帰ってきた川嶋擁子氏はその後働きながら学問に励み、大学の夜間部で英米文学を学び、卒業後米軍空軍基地で通訳として働きだしました。そして1953年、彼女はアメリカ人パイロットのドナルド・ワトキンス氏と結婚しヨーコ・カワシマ・ワトキンズとなりました。1958年に彼女は彼と一緒にアメリカ、マサチューセッツ州に移ります。それから21年後の1976年から自叙伝を書き始め1986年に「So Far from the Bamboo Grove」を出版しました。

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズの日本語版刊行に寄せてより

この本がアメリカで出版されて20年経った2006年の秋、ボストン近郊に住む在米2世韓国人たちが突如怒りを爆発させました。

本書はアメリカで中学生の教材として採用されていたのですが、その内容について、「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない。といった理由をつけて、本を教材からはずす運動をあらゆる手段を使ってやり始めたのです。

さらに、「私の父が731部隊に属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送っていた悪者である」といった事実に反することも言い始めました。そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったのです。


この本の中には、彼女達が脱出して釜山港で船に乗るまでの逃避行の際、なんども共産党の朝鮮人に略奪され、殺そうとされ、強姦されようとする場面が出てくるのです。三人は何とか逃げおうせましたが、強姦され殺される場面を何度も目撃しています。彼らは共産党員ではない朝鮮人にもその刃を向けていました。

この事実は現在の韓国にとってはものすごくまずい証拠なのです。彼らにとっては自分達こそ日本にくい物にされた可哀想な国でなければならないのです。ここからさらに従軍慰安婦があった運動に力が入ることとなりました。

この本はアメリカで原書を読んで感動した人達がまずネットで紹介しだしました。アメリカでは直訳で「竹の森遠く」で出版されています。その噂が日本全土にネットで飛び、それを知った日本人は、韓国がありもしない「従軍慰安婦」でたたく20年も前に朝鮮人による略奪、強姦、殺人が行われていた事実に驚くことになりました。

そんなこんなで待望していたこの本が邦訳されついに日本で発売されました。発売されたのは2013年7月11日(木)です。邦題は本人の希望により「竹林(たけばやし)はるか遠く」となりました。

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何故!今も中国にODAを続けるのか!

尖閣諸島周辺の日本領海に3日、中国国家海洋局所属の海洋監視船「海藍」3隻が侵入した。中国公船の領海侵入は2日連続で尖閣国有化後は5回目だ。3日午前には、日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国農業省漁業局所属の漁業監視船「魚政」の乗組員が、操業中の中国漁船2隻に一時乗り移り、この海域に中国の主権が及ぶ事を主張するパフォーマンス-立ち入り検査をした。

第11管区海上保安本部(沖縄市)によると、「海藍」3隻は3日午後0時35分から55分頃にかけ日本の領海に侵入。海上保安庁の警告に対して、「貴船は中国の領海に入っている。航行を妨害せず、領海から出なさい」と逆に警告してきた。

日本の海上保安庁は中国公船の「立ち入り検査」とみられる行動に「漁業に関する管轄権を行使しているのであれば認められない」と警告すると「魚政」は「ここは中国の管轄海域。正常な公務を行っている」と応答してきたという。

中国は反日デモの中でデモだけではなく、日本人への暴行、イオンにみられる日本の建物の破壊、そして物品の略奪を行った。もはやこれはデモではなく泥棒、強盗だ。それを何故日本政府はつかないのか!壊されて、盗まれてそれでいいのか!

中国が日本を抜いてGDPで第2位になったのは誰のおかげなのか!中国の発展を支えてきたのは日本ではないか!ODA(政府開発援助)は、日中国交正常化後の1979年から今日まで33年間途切れる事なく続いてきた。そのODAなる資金はすべてわれわれ日本人の税金が原資となっているものだ。そしてその額は膨大で2008年までで、3兆6000億円がつぎ込まれた。

おかげで中国のGDP(国内総生産)は大幅に伸び2008年に一部が終了するなど見直されたが、それは円借款(有償資金協力)が終わっただけで「無償資金協力」と「技術協力」はその後も続いたままだ。

ODAとは外務省が主導して日本単独で行う二国間援助のことで、もう一度いうが2008年までで3兆6000億円が中国につぎ込まれた。もちろん中国が日本に援助することなどない。そし有償資金協力がなくなり、返さなくてもよい「無償資金協力」と「技術協力」は今も続いているのだ。かつてあの貧乏な中国を日本は深い慈愛だか、陰謀だかわからないがとにかくよく面倒をみた。

だが「親の心、子知らず」のように中国は日本を脅すりっぱな(?)ヤクザに成長した。

「無償資金協力」は文字通り返済義務がない。「技術協力」は研修員の受け入れや中国への技術専門家の派遣などのことをいう。

外務省によると、10年度「無償資金協力」は14.7億円、「技術協力」は34.7億円だそうだ。さらに11年度「無償資金協力」は7.2億円、「技術協力」は30.6億円だそうだ。1979年からの累計にすると、「無償資金協力」は1565億円、「技術協力」は1769億円にものぼっている。

ODAのほか、国際機関を通じた「多国援助」というのもあり、日本が最大出資国の「アジア開発銀行」を介した対中融資は昨年末現在で約2兆202億円が行われている。そのうちの出資比率から計算すると日本からは3198億円が渡っている。そのほか環境省や文部科学省などの各省庁も中国と共同事業を行っていて、これらすべてを合計すると6兆円を超える規模になる。

極貧の中国を誰が今の近代的中国にしたのか!日本は感謝されるべき存在であるはずだ!恩をあだ返す中国は、「南京大虐殺」だの東シナ海のガス田開発だのといった無礼千万だ!そして今また尖閣だ。

私達はこのヤクザ国家にまっとうな人として抗議しなければいけない!

この泥棒に物をくれるような対中ODAと技術協力は止めてもらいたい!

皆さん、是非このODAと技術協力を止めるよう外務省に電話をしましょう!

外務省の電話番号は03-3580-3311です。是非抗議の電話を!
              

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尖閣諸島-シナとの裏取引

尖閣諸島は突然国有化になってしまったが、その事情はまるでみえません。次の映像は8月31日の石原都知事の定例記者会見のもようですが、その中でシナとの裏取引について語っていますのでご覧下さい。13分13秒頃からが見ものです。

この映像もいつ消されるかわからないので書き起こしておきます。

石原都知事 「NTVいる?日本テレビ。この間ね、あなたのとこの記者が突然ね、一社だけやって来たの。それでね、どういう二ュースソースか知らないけどね、中国側がね『(日本)政府が(尖閣を)買ったうえで、何もしない、何も作らない、人も置かないっていうんだったら、我々(中国政府)はこれ以上、尖閣について口出ししない』って言ったけど、どう思いますか?って言うから。僕は初めて聞いたニュースだしショック受けた。それがもしシナの政府が言ってきたとしたら、まさに内政干渉だしね。そのねー他国が持っている領土の中に他国が何を作ろうが作るまいが勝手な話だけど、『それをしないなら許してやる』みたいな話ってのは…。どういうニュースソースなの?あれ。あなたのところで報道したんでしょ?あれ」

日本テレビ女性記者 「今日私は代理で来ておりまして、担当者が…」

石原都知事 「男の記者だったよ」「で、同じ局でわからないの?そういうこと」「あのニュースだけど、他には出ないね。出ないとしたらガセか」

中国人女性記者 「ありますよ。中国の方では出ました。中国政府が秘密の要求を出して、それをするんであれば、日本が実際に管理するのは口出さない…という趣旨のニュースがありました」

石原都知事 「(苦笑)ね、おかしな話だね。あ、そうですか、向こうのニュースでは出てるんですか」

中国人女性記者 「一昨日ぐらいに」

石原都知事 「なんで日本のもっと大きなメディアは報道しないのかね?」

中略

中国人女性記者の日中の報道について要約

日本と中国のあいだには、日中記者交換協定がありそれはかつて田川誠一(たがわ せいいち、1918年6月4日 - 2009年8月7日)は、日本の政治家。元衆議院議員(11期)が決めたそうだ。そして田川誠一のいとこに河野洋平がいる。決めた事は次の3つです。

1、日本政府は中国を敵にしてはいけない

2、日本政府はアメリカに追随して2つの中国の陰謀はしない

3、日本政府は中国関係は正常に向かう事を妨げない

要するにこの度の尖閣国有化は中国政府から要求されて行ったという事です。日本はもはや日本ではなくなっているのかもしれません。見えないように。静かに。


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石原都知事「尖閣寄付金への感謝と維新塾」-定例会見2012.5.18

石原都知事が本日の定例会見の中で6月にも政治塾「日本維新の会」(仮称)を発足させたいとの意向を表明した。映像は次のものをどうぞ。

この中で、政治塾は、たちあがれ日本の人材育成塾を母体とする予定で、次期衆院選をにらみ、第3極の結集を目指すとした。石原氏は先月、新党構想の「白紙」を宣言していたが、構想の具体化に向けて再始動した形だ。

石原氏は、昨年1月に開講したたちあがれ日本の人材育成塾について、「すでに優秀な人材を収れんしている。さらに拡大した形で、積極的に手伝って人材を育てたい」と述べた。大阪維新の会については、「東京と大阪が連携して新しい人材を政界に送り込む。全体で『日本維新の会』のようなものを作っていきたい。6月に大阪とも話して具体的なメッセージを発したい」と語った。

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尖閣寄付金に石原都知事感謝のメッセージ

石原都知事は5月11日正午現在で、都庁の尖閣諸島購入寄付口座に35.821件、469.796.129円が集まった事に対し、「国が何もしないなら、自分達の手で国を守りたいという意識の表れ。日本人も捨てたものじゃない。うれしさで胸がいっぱいだ」と述べた。

「今年になってから、シナ(=中国)が『日本の尖閣諸島の実効支配を俺たちは壊す。そのために果敢な行動を取る。そのための艦船を含めた機材も調達して、強化する』と言っている。外国がお前の家に強盗に入るぞということを宣言しておりながら、着々とその準備を進めていながら、国はそれに対処しようとしない。東京がやるしかない」と民主党政権を痛烈に批判した。


都は石原都知事直筆による感謝のメッセージをホームページにのせている。是非ご覧下さい。アドレスはこちら。
http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/governorMSG.pdf

メッセージ全文

「御協力ありがとうございました。心より御礼申し上げます。みんなでこの国を守りましょう。東京都知事 石原慎太郎」

また、寄付した人の住所がわかる場合、礼状が郵送されるとの事だ。

「東京都尖閣諸島寄付金口座」は

みずほ銀行 東京都庁出張所

普通預金1053860

口座名義は「東京都尖閣諸島寄付金」

振込手数料が発生した際は、寄付を行う本人の負担となる。募金の趣旨などについては都の専用ホームページで案内している。コチラをどうぞ。

国土を守るという行動が国ではなく、地方が動くということは現政権が国民の考えや望みから完全に遊離している事を意味する。後の世から見ると、今、この時点が「明治維新」や「終戦後の独立」のような激しく変わる歴史の分岐点なのだと思います。

今後も石原都知事は、朝日新聞や毎日新聞、日経新聞、東京新聞、中国の外圧、中国から応援をもらっている議員連中から、どんな虐めを受けるかわかりません。どうかみなさん 石原都知事を応援して下さい。みんなで石原慎太郎氏を守りましょう!

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中国中央テレビ(CCTV)・の石原都知事への・罵倒・に表れた対日警戒心

永 山 英 樹氏ブログ要約  http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1841.html

石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島購入計画を明らかにしたことを受け、中国国営CCTV(中国中央テレビ)のニュース解説番組「ニュース1+1」は四月三十日、「釣魚島購入:狂言!滑稽劇!」と題する報道を行ったが、「狂言!滑稽劇!」との感情的な罵倒表現の裏に見て取れるのは、領土主権を強く主張し始めた日本に対する中国の警戒心(恐怖心)だ。

それではいったい日本の何を警戒しているのか。以下に番組の内容を検証したい。

■中国に利用される日本メディアの反石原論調

番組はまず、ヤフージャパンが四月十七日から二十七日にかけて実施したネット投票の結果、東京都による尖閣諸島の購入に「賛成」の回答が九二%にも達し、それに中国のネットユーザーたちが憤っていることを伝える一方で、日本国内には購入に反対の声があることも強調しようと試みる。

かくしてスタジオのキャスターが中継で呼び出したのが、CCTV駐日特派員の張浩宇氏だ。

画面に登場した張氏の背後には新宿の高層ビル群が。おそらく日本支局を置くNHK放送センター内にいるのだろう。(中国中央テレビはNHKの渋谷センター敷地内に置かれ、中国に関する日本のニュースにまで意見をさしはさんでいる)

日本の公共放送局の施設を使用し、張氏は一体いかなる解説をしたかと言えば、まず「日本の主要メディアの大部分は否定的な態度だ。明確に賛成を表明するのは産経だけ」とした上で、「朝日は石原氏が外交に干渉するのは無責任と指摘し、毎日、読売、日経は領土問題は国家が解決すべきと論評。東京新聞は都税は民政方面で用いるべきと主張した」と伝えた。

日本の主権を脅かす国に、ここまで宣伝で利用される日本のメディアの愚かさ、有害さを思わずにいられない日本のメディアについてはコチラをどうぞ。

全国第3位という甚大な発行部数を持つ創価学会の『聖教新聞』は、北海道から沖縄まで全国37ヶ所の、おもに毎日新聞社系列の印刷会社(関東は東日印刷、関西は高速オフセット、また読売新聞や朝日新聞、ブロック紙、地方紙の工場にも印刷を委託している。

聖教新聞の約半分に匹敵するほどの膨大な発行部数を持つ公明党の『公明新聞』は、毎日新聞社グループの東日印刷である。

■石原氏を孤立へと追いやりたい中国の策略 

高氏はさらに「釣魚島は日本の政界では有効なカード。石原氏はそれで保守派を団結させ、新たな政治勢力を形成しようとも考えている。そうした目的は達成されており、今月の野田内閣の支持率は一〇%下がり、石原新党への期待値は六%を上がった。よって石原は中国に対する日本右翼分子というより、自己利益のためなら手段を選ばない投機者と言った方がよい」と断じた。

そして、「野田氏は購入構想に乗り気なわけではない」と分析。

これを受けてキャスターは「主流メディアも政府も石原氏の言論にはあまり支持していないことがわかった」と結論付けた。

中国政府は目下、国内の反日世論の激化を懸念し、購入計画は石原氏など一部の右翼勢力の企みだとする印象操作を行っているが、このように石原氏の孤立化を図ろうとする策略が、ここでもはっきりと反映されていた。

■石原氏を悪玉に仕立て上げる悪意の印象操作 

「それでは石原氏はなぜあのような言論を行ったのか。そして石原氏とはいかなる人物なのか」と続けるキャスター。いよいよ石原氏を悪玉に仕立て上げる宣伝工作の開始である。

石原氏のニュース映像とともに、次のようなナレーションが続く。

―――「私は反米ではなく嫌米。反中でもなく嫌中」。これは十一年十月に石原氏が中国メディアに取材に対して見せた態度だ。その石原氏の言動が再び震撼をもたらしている。この狂人の狂気は一体どこから来るのか。

―――「なぜ私を右翼と呼ぶのか。多くの人が誤解している」(石原氏)。これは石原氏の弁解だ。しかしこのような「誤解」はまさに長年の極端な言行に起因している。

―――七三年、つまり中日国交正常化の翌年、自民党の右翼議員たちは反国交回復の青嵐会を結成し、石原氏は幹事長を務めた。七八年、石原氏は青嵐会メンバーを率いて釣魚島に所謂灯台を設置。九〇年には米誌の取材に対し、「南京大虐殺は虚構」と発言。都知事に就任後も侵略時代の中国への別称「支那」を用いている。〇〇年四月には独メディアに「中国はいくつかの小国に分裂すべき」と語り、〇三年に都知事に再選されると、都内の公立学校の入学、卒業式などで軍国主義的色彩を持つ国歌君が代を歌うよう強制。二百四十三人の教員が拒絶して処罰を受けた。〇五年五月には争議の的である沖之鳥礁(沖ノ鳥島のこと)公然と上陸した。

ちなみに「国歌強制」云々のくだりでは、観閲式で行進する自衛官と、それを観閲する石原氏の姿が映し出すなど、石原氏が軍国主義者であるかのような、巧妙な印象操作を行っている。

もしCCTVと協力関係にあるNHKがこうした映像を提供しているのなら、東京都知事に対する悪意に満ちた政治宣伝に利用されていることを直視し、「協力」を見直すべきだろう。

■日本国民の尖閣購入資金の寄付を恐れる中国

さて、ここまで石原氏を扱き下ろしたのち、キャスターが「石原氏は日本の右翼勢力の代表的人物。いつも狂言を繰り返している」と総括。

そして著名な日本専門の御用学者である中国社会科学院日本研究所の高洪副所長を中継で呼び出して、「石原氏は島を購入したがるのは人気集めのためとしか思えないが、本気で購入する気なのだろうか」と聞く。

これに対して高氏は次のような見方を示した。

―――政治ショーの要素が相当ある。中国を挑発して政治的影響力を高めようとしている。これは彼の極端な民族主義の立場に符合しているだけでなく、そこには内政、外交上の複雑な政治的な企みが含まれているようだ。石原新党のためでもあるだろう。

―――ショーだというのは、現在政府は二千四百五十万円で島を借りているが、彼が今のところ集めている寄付金は数十万円で、一カ月の賃貸料にも足りない。(5月1時点で5,428件 76,007,211円)

―だが危険なのは、彼がこの手の手法(寄付金募集)で中国を敵視する民族感情を煽り、右翼集団の社会運動を形成し、日本の政治的発展の方向を改変することだ。これは最も危険なことだ。

これを聞けば明らかなはずだ。中国は日本国民が中国を恐れることなく、領土防衛の意識を高めるのを確実に懸念しているのである。

そもそもあの国の覇権主義の拡張政策は、まずは周辺諸国への恫喝から。それが効かないとなれば、にっちもさっちも行も行かなくなる仕組みなのだ。

■中国には衝撃となった日本と米国の牽制 

次いで番組が取り上げたのは、購入計画に当惑する一方で、一度は島の国有化の可能性に言及した日本政府の態度についてだ。

次のようなナレーションが流れた。

―――日本政府の釣魚島購入問題に対する態度は見分けがつかないが、その一方で争議を呼びかねない姑息な動きも絶えず見せている。産経によれば自衛隊は米軍と共同でフィリピンの軍事基地を使用する考えだ。

―――目下、東海(東支那海)と南海(南支那海)での情勢が緊張する中、日本のこうした動きは、どさくさに紛れて中国を牽制し、釣魚島問題で有利に事を運ばせようと企んでいるものと一般には見られている。

そして再び高氏が登場、「日本政府は石原氏の言論を特に支持はしていないが、歴史や日本の長期的発展の態勢を見る限り、長期的な方向では石原氏と大差はないのではないか」とのキャスターの質問に対し、こう答えた。

―――日本の政府、首相、外務省は釣魚島の盗取、占有の問題に関しては、石原氏と立場は一致している。ただ目標は同じでも手段、手順は異なる。政府から見れば釣魚島を巡る争いは中日関係のすべてではない。やはり両国関係の大局を配慮し、今年が国交正常化四十周年であることも考慮し、すでに中国と国民交流友好年の活動を行うことでも合意している。そのため政府は右翼の政治家とは異なり、狂言を弄して摩擦を激化させるようなことはしない。

ASEAN諸国を恫喝し、南支那海での支配を強化を進める中国の前に立ちはだかり始めた米国の「アジア回帰」と、それに励まされるフィリピン、ベトナムなどの抵抗姿勢に加え、日本が米国とともに中国の海洋進出への牽制に乗り出したことは、中国にとっては大きな衝撃となっているわけだ。

■恐れてはならない中国との摩擦 

そうしたなかで日本政府が、一度は石原氏の尖閣諸島の実効支配強化の動きに歩調を合わせるかのように、同諸島の国有化の意向を仄めかした。

そしてわずかそれだけで中国は、やがて石原氏や、それを支持する世論の影響を受け、再び強国への道へと進み、中国の拡張政策に対抗するのではないかと警戒しているのである。

番組の最後でキャスターは、日本に対してこう訴えた。「日本では一般的に温和な政治家の政権は長く続かず、それに対して一部の極端な政治家は往往として民意の支持を受けている。今年は中日国交正常化四十周年。私たちは中日が不惑の年齢を迎えたなか、疑惑の声が上がらないよう希望する」と。

傲慢なものだ。日本の政府も国民も、中国の海洋への勢力伸長を大人しく受け入れ、摩擦、対立を回避するべきだと呼び掛けているのだ。

実際に日本の政府もメディアもこれまで中国の恫喝に屈服し、そのようにしてきたわけだ。

国民世論の力で「日本の政治的発展の方向を改変」させよう。それをしなければ中国の拡張に対し、何の抑止効果も生まないのである。

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